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話せないこと


”手と目で護る”ことを看護と呼びます。
一番最初に看護の道を学んだ時には、この事を教えて頂きました。

 今回は看護師になるまでの経緯についてまとめていくうちに、知って欲しいことが出てきたので、そこから記事にしていこうと思います。
私は高校3年生になる少し前に看護の道を選びました。
そこに辿り着くまでに、きっとこの経験なかったら選ばなかったと思うのでそこから綴っていきます。


場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)

 この疾患をご存知ですか?小さい時に話せない子、周りにいたりしませんでしたか。ただの人見知り、恥ずかしがり屋さんと思われてしまうことも多く、気付かれにくい疾患です。

 場面緘黙症とは、家などでは普通に話せるのに、特定の場所では1ヶ月以上話せなくなる疾患です。自分の意志とは関係なく、話す必要があると思っていても話せず、体が思うように動かなくなったりもします。
発症年齢は5歳未満で症状がみられることが多く、500人に1人の割合だそうです。年齢とともに改善することもありますが、進行するとうつ病や不安症などの精神疾患へとなる恐れがあります。また言語習得の遅れ、人間関係に悪影響を及ぼすこともあります。原因不明ですが、不安になりやすい気質や心理的・社会的要因などで症状が出ると言われています。





 私も小学校6年間ずっと話すことができなかったんです。
話せない、伝えられないことは想像以上に苦しいことです。

 私はフィリピン出身で、小学校に上がるまでは日本と往復をして過ごしました。保育園や幼稚園などには通ったことはありません。
身内だけの世界から、小学校という大きな集団に入るということは、凄く怖かったことを覚えています。日本語もあまり理解しきれていなかったですし。
私は3月生まれだったのでクラスでも小さい方でした。
兄弟姉妹の中でも一番小さく体も弱く貧弱な子でした。
とくに食べることに関しては、小さい時から食べては戻してをよくしていました。病院には週1くらいで点滴をしていて、病院も怖い場所だと思っていました。点滴の針が怖かったんです。

 周囲の大人たち、接する子供たち、みんなの反応ばかり気していたかと思います。転んだり怪我しても痛いとは言えなかったし、おはよう。ありがとう。ごめんね。って本当は伝えたいのに、声が出なくて話せない。その度に自分は挨拶もお礼も謝ることも出来ないんだって幼いながらに悪い子だって思ってました。
気持ち悪いってことは自分が一番よくわかっていたし、話せないなりにジェスチャーは頑張っていました。治したい気持ちはずっとあったんです。

 もちろんそんな私は、いじめられない訳がなかったんです。
暴力とまではいかないものの、悪口はいっぱい聞いていました。
言い返せないし、守ってくれる友達もいなかったし
先生にも言えないから気付かれないし、そもそも先生も怖い存在でした。
家では話せていたから、家族にも気付かれず。母は働き詰めでだったし、父は優しい人だったけどなんとなく二人には心配をかけたくなくて相談できなかったです。今もそんなことがあったことを両親は知りません。
毎週通っていた教会には唯一、友達がいました。教会は物心ついた頃から通っていたからか話すことはできました。唯一の友達にも学校では、独りで辛い思いをしている、そんなこと言えなかったです。

 そんなこんなで独りでなんとか過ごしていました。
人に助けを求めることが出来なかった子供が、勉強や運動をこなすことは難しくて。わかんないところも聞けないんですから。教えてほしいところもわからないまま。本当は運動は好きだったけど、チームで動くとか協力をすることが怖くて避けてました。

 そんな私が、なぜ看護師になったのか今でも不思議で仕方ないです。
勉強も苦手だし、身体は弱い方でしたし、
コミュニケーション能力なんて皆無です。
そもそも病院も苦手、怖いなんて思ってました。
小学生の頃は看護師さんになりたいとかは一ミリも考えたことはないです。
自分が誰かのために何ができるか、というよりも。

話せるようになりたい。とばかり考えてました。

それを一心に、努力はしました。
話せないけど笑顔でいる。見た目に気を使うこと。
無理やりでしたが、可愛くあればなんとかなると考えてました。笑
おもちゃや動物は話せなくても可愛いから。
話せなくても、少しでも好きになってもらえるかも。なんて・・・

悪口言われても、気味悪がられても、
話すべきときにやっぱり声が出なくて悔しくて苦しいと感じてた時も
笑顔でいるようにしていました。
笑顔で頷くことだけでも続けていたら、だんだん優しくしてくれる人が出てきました。友達とまではいかなかったかもしれないけど、何かを一緒にって誘ってくれるようになったんです。
あとは、何かの話の中で「Eraちゃんと一緒だったら楽しいのになぁ」って言ってくれた子がいました。その言葉が嬉しかったのを今でも思い出します。
それがきっかけなのか、会話はできなかったけど
国語の時間の音読やスピーチだけは出来るようになっていました。

本当にきっと精神的なものが原因だったと思います。

あの時も、どうありたいか。そう思うことで、乗り越えられたんだと思います。
昔と比べたら今は仕事ができるくらいには話すことに問題はありません。
自分の気持ちとなると小学生の頃に戻ってしまう瞬間は時々ありますが。
愛嬌だけはあると思っているぐらいです。笑

今回は場面緘黙症について一人でも多く知って欲しくて書きました。

私は独りで治した。と思っていたけど思い返すと誰かの一言で救われていました。
同じような子がいると気付いたら、手を差し伸べてあげてほしいです。
独りきりで乗り越えられるものは、きっとないんだと思います。
人間関係で悩んだり苦しいことはあるけど、
繋がりが助けてくれることもある。
何事も表裏一体、善いところもあれば悪いところもある。

助けてが言えない子
自分の気持ちをうまく言えない子

場面緘黙症に限らずいると思います。

看護師として働いていた時も辛いことを言えない患者さん沢山いました。
本当は痛くても、苦しいことも我慢してしまう方。
時には必要な瞬間もあることはわかります。
ぐっと耐えなければいけない場面はあります。
だとしたらその機会を他に作ってあげたらいいんだと思います。

何かの本で、こんな言葉が印象に残っています。

”人が人である理由は「心」にあります。そして人は、人の心に触れることによってのみ、そこに進むべき道を見つけることができます。”






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