遠州

たった60年、それで愛を伝えきれるだろうかと思った。

遠州

たった60年、それで愛を伝えきれるだろうかと思った。

最近の記事

5.問題の更なる解決には、新たな段階に進む必要がある。

「学力試験だけを受けて集まる学校のクラスでも、本当にいろんな人間がいます。いわゆる社会的マジョリティの僕たちも多様性に寄与させてよって感じです。僕も頑張っていろいろ考えている、他に同じ人間のいない個性のある人間なのに」土田さんが悔しそうな顔をする。マジョリティだから偉いとか、権利が守られていて差別されなくてラッキーではない。個性があって違いがあることが注目される時代、そして個々が発信し何者かになれる時代になってしばらく経った今は、土田さんの感覚が主流になるのだと思う。  私は

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    • 4.そろそろ使用期限切れ。『男』と『女』に分類するトレンドはもう飽きがきているかもね。

       私や神南さん、中谷さんを含む世代は、オンラインの飛躍的発展と共に大人になった。SNSを用いたコミュニケーションは生活の一部であり、むしろアナログな手段よりも、インターネットを介した手段のほうが他者と交換する情報量は多いといえる。実際に人と対面しての対話の場は限られ、そしてそもそも対話をしたいと望む相手がいないために、ほんのり息苦しさが辺りを漂っているのがリアルな日常だ。 「うまいけど、喉乾くな」と私が言うと、「僕レオさんで水入れてきますよ、土田さんお手伝い任命」「ラジャー!

      • 3 私たちは、対話を忘れてはいない。

         商店街を少し進み、パン屋レオの角を曲がって小路へ入った。曲がってすぐにある木のベンチには、制服を着た高校生と見える二人が座って話をしていた。 「どうも、科戸です」私もベンチに横並びに座った。 「こんにちは、僕は土田で」 「萩原です」  そうお互いが名乗ったところで、私が来た商店街とは逆の方向から、細身で眼鏡をかけた見知った一人がやってくるのが見えた。こちらに向かって大きく手を振っている。はっきりとは見えないが、あれは笑顔だ。学生二人もつられて笑顔になっている。これだけで今日

        • 2 思考という営みを、純度高く、自由に

           渋谷区アゴラは、人々が対話、議論、思考する場だ。ここでは、誰かに対して言葉を発するまでの障害は限りなくゼロであり、またそうあるべきとされている。言葉に対して言葉で返し、対話の中にある対象を見つめ考える。対話や議論、思考という営みを、純度高く、自由に、ただその通りに行おうと試み続けている。  五年前、それまではシャッター商店街となっていた三枡商店街が、渋谷区アゴラと呼ばれるエリアへと姿を変えた。運営企業のN社は、それまでに商店街組合を含む関係者らと話し合いを重ね、世の流れや考

        5.問題の更なる解決には、新たな段階に進む必要がある。

        • 4.そろそろ使用期限切れ。『男』と『女』に分類するトレンドはもう飽きがきているかもね。

        • 3 私たちは、対話を忘れてはいない。

        • 2 思考という営みを、純度高く、自由に

          1 そして、言葉の持つ手触りが再確認されるのだ。

           風はやわらかく、春の潤いに満ちている。私は歩きながら意識的に深呼吸をした。穏やかに夜へと向かう空気の匂いは、ふとあの頃と同じ感情を呼び起こす。あの頃がいつなのかは分からないけれど。あの頃と同じ匂いだと確信し、この匂いを再び感じたことに喜び、この先もうこの匂いに出会うことはないかもしれない寂しさを抱いた。  私は、ちゃんと私だろうか。  夏を呼ぶ音。  私は、みずからを生きているだろうか。  優しい波紋が、淡い春に溶けていく。 「科戸!」  後ろからよく知った声がした。私は振

          1 そして、言葉の持つ手触りが再確認されるのだ。