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1 そして、言葉の持つ手触りが再確認されるのだ。

 風はやわらかく、春の潤いに満ちている。私は歩きながら意識的に深呼吸をした。穏やかに夜へと向かう空気の匂いは、ふとあの頃と同じ感情を呼び起こす。あの頃がいつなのかは分からないけれど。あの頃と同じ匂いだと確信し、この匂いを再び感じたことに喜び、この先もうこの匂いに出会うことはないかもしれない寂しさを抱いた。
 私は、ちゃんと私だろうか。
 夏を呼ぶ音。
 私は、みずからを生きているだろうか。
 優しい波紋が、淡い春に溶けていく。
科戸しなと !」
 後ろからよく知った声がした。私は振り向き、端正なスーツ姿を確かめ立ち止まった。
「追いついた。アゴラでしょ? 一緒に行こうよ」
「中谷さん、お疲れ様です」
「お疲れ様」大学時代から変わらない挨拶を交わし、二人で歩き出した。

 K大学構内の自動販売機から研究棟へ抜ける道の途中に、壁に囲まれた中庭のような空間があった。壁の古い扉からは錆びた階段が伸び、何かのタンクがいくつか並んでいた。目的のない大きな石に腰掛け、缶コーヒーを片手によく思索の旅に耽っていたのだが、私と同じようにその空間によく居たのが中谷さんだった。はじめの頃は、お互いを景色の一部として気にも留めず、各々が各々で思考の泡を眺めていた。きっかけはもはや忘れてしまったが、私たちは言葉を交わすようになった。中谷さんは二年上の先輩だったが、子供の頃の「気付いたら友達」がこの年齢でも起こるのだな、と感心したのを覚えている。しばらくして中谷さんの同期数名もこの空間を共にするようになった。自分の中にある何かをその空間に出したい、皆に触れてみてほしい、共有したい、話し合いたい、そんな人間の自然な心の動きが、一切の混じり気なく、その空間では機能していた。自分の心の動き、知的欲望に素直に応えたくて、外の世界に出ようとする内なる何かを見つめ、それを言葉で縁取った。私たちは他愛のない話をし、笑い、相談し合い、夢も理想も現実も含めて、あらゆることを議論した。中谷さんに会うと、その時の光景と純粋な青春の香りが蘇る。そして、言葉の持つ手触りが再確認されるのだ。

 十分ほど歩き、アーケード商店街の入口に着いた。〈渋谷区アゴラ〉と書かれた、レトロな深緑色のアーチ看板がある。渋谷区アゴラの専用アプリで表示したバーコードをゲートにかざし、私たちは中へと進んだ。
「じゃあ僕は事務局に行くね。来週の〝導入会議〟よろしく」そう言って中谷さんは片手をあげ、商店街のメインストリートを進んでいった。
 遠ざかるその背中に感想はない。私にとっての中谷さんを表す言葉は、既に一つに決定されたのだから。二人の間に横たわる関係を見定め決定し、心を広げる輪郭を固定しないと、不確かさに疲れてしまう。そうして何にも響かない期待と共に空虚の思いが広がることを私は知っている。

#思い出
#渋谷区アゴラ

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