4.そろそろ使用期限切れ。『男』と『女』に分類するトレンドはもう飽きがきているかもね。
私や神南さん、中谷さんを含む世代は、オンラインの飛躍的発展と共に大人になった。SNSを用いたコミュニケーションは生活の一部であり、むしろアナログな手段よりも、インターネットを介した手段のほうが他者と交換する情報量は多いといえる。実際に人と対面しての対話の場は限られ、そしてそもそも対話をしたいと望む相手がいないために、ほんのり息苦しさが辺りを漂っているのがリアルな日常だ。
「うまいけど、喉乾くな」と私が言うと、「僕レオさんで水入れてきますよ、土田さんお手伝い任命」「ラジャー!」と神南さんと土田さんが水を汲みに行ってくれた。テンポのいい二人だ。
皆にとって、常にその時の自分を出せる場があってほしいと願う。自然体が当たり前になるように。発言と表現が自由でありますように。対話する場がもっと生まれますように。そう願いながら、私はアゴラに通い、人に会い、言葉を受け取り言葉を発し、対話し続けることを辞めないようにエネルギーを使う。
私は話したい。
あの短い季節が、心の深い場所でふわりと立ち上る。
今日は本当に良い天気だ。
「いつも僕たちは、喫茶店で宿題をしながら周りの人と突発的な話題で会話をしたり、面白そうな議論に交じったりで、自分たちで話題を発信したことはなかったんですけど、どうしても気になるというか、どうしても誰かと話したいことがあるんです。アゴラでしか話す場所が思いつかなくて」そう土田さんが話し出した。
「学校の政治経済の授業で、人の多様性っていうテーマが出てきたんです。多様性のある社会を目指そうという動きが二十年ほど前から活発化して、今もその動きは積極的に行われています、社会や企業などの組織の中で、人種や性別、障害や価値観といった多様性を認め合い尊重しましょう、っていう内容でした。具体的な例で、LGBTQって言葉を使って、性別や性自認に関係する社会的マイノリティについて授業がありました」
私は一瞬、神南さんから目線が飛んできたことを感じた。それは無視し、うんうんと頷きながら聞く。
「確かに昔はそういう動きが意識的にされていたのかもしれませんが、この考えや取り組みが本当に、特に日本で、まだ積極的に行われているのかなって思ったんです。日本史の授業の中で、近代社会の歴史の動きとしてなら分かるんですが、この現代社会で今なお進行中なのか疑問なんです」
土田さんはそう言って、萩原さんと目をあわせた。萩原さんが言葉を続ける。
「多様性があるのは当たり前じゃないですか。当たり前って分かっているのに、積極的に言葉にするのはおかしいと思うんです。昔は、みんなが認識できていなかったから、認識させるためにLGBTQという言葉で形にして、議論して、正しい考えを広めることができた。それはとても良い歴史の動きだったともちろん思います。でも、LGBTQを必要以上に使って、特別扱いして、逆に、人間にはそういう区別があるよ、グループ分けがあるよ、と強調してしまっている気がするんです。もしくは、まだその考えは普及していませんよ、って言い聞かせているような」
「なるほど。昔は間違った認識の枠組みがあって、それを正すために、正しい認識の枠組みを言葉によって導入した。しかし正しい枠組みが定着してきている今、昔の間違った枠組みの存在がせっかく薄くなっているのに、その言葉によって、その言葉が標的としていた間違った認識も一緒に表舞台に復活してしまうってことか」私は学生二人の顔をよく見ようと横をのぞき込みながら言った。
「全くそんな考えはなかったのに、親から『これ触っちゃダメよ』と言われて、それでそれを触るというアイデアを得る、みたいなね。魅力的な人になりたいと思っている時点で、今の自分は魅力的じゃないと強調してしまっている、みたいな」神南さんが続けて言った。
「僕のクラスでも同性が好きな子がいます。別にそれが特段上のレベルの何かじゃないんです。筋肉でがっちりした人が好き、ショートカットの人が好き、目の細い人が好き、と同じレベルの、ただの個人による違いなんです。僕はおっとりした人が好きですけど、土田はハキハキした強い人が好きみたいですし。それと同じです」
萩原さんが続ける。
「社会的マイノリティと呼ばれてきた人たちや、その言葉が生まれた経緯、社会的な問題点、歴史や文化的流れ、現在にまだ存在する問題はもちろん知る必要がありますが、授業で社会的マイノリティとして同性愛者は分類されていますって現在進行形で言われると、クラスメイトのことを『え、LGBTQっていう社会的マイノリティって認識しないといけないの?』ってなって、嫌な気持ちになりました。皆それぞれ違う部分のある同じ人間で、そんな風にクラスメイトを自分とは違う分類として区別なんかしていなかったのに」
「正直、ほんといらんこと言うなよ、って感じです。昔の古いギャグを先生が言って、マジで面白くないから、ってイライラする感じだよね。なんか古い」土田さんが溜息をつくように言った。
「AB型の血液型の人も、身長が百八十センチ超える人も、カレーライスが嫌いっていう人も、日本では少数派じゃないですか。それらと並列で、同性愛者の人もただの数だけでみた少数派って僕は思っていたのに、LGBTQっていう言葉で、そのクラスメイト一人とその他を分ける枠がどんって教室に被せられてしまったんです」
面白い。
神南さんは感心したような表情をしながら大きくうなずき、口を開いた。
「そう、古いんだよね、きっと。LGBTQもだし、LGBTQの分類を生む大元となった『男』と『女』って言葉も長く使いすぎているんだよ」神南さんは私に目線を飛ばした。今回は私も目線を返す。
「私が思うに、その二つの言葉は長く社会に存在しすぎて、『男』の枠の中と『女』の枠の中に捕らわれてしまった要素がたくさんある。一つの言葉として多くを抱えすぎている。そして枠の中にそれらを留めておくために、より強固な枠となってしまった」
「そろそろ使用期限切れ。『男』と『女』に分類するトレンドはもう飽きがきているかもね。とてつもなく長いトレンドだったけど。僕たちは発展し先へ進もうとしているし、その準備もできているんだけど、教科書や言葉、政治、大衆メディアのアップデートが追いついてなくて、もたついている感じ」そう言って神南さんはウインクをした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?