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モラハラ被害者の僕が感じた「注意事項」と「しなければならない事」

先日、「自己愛性パーソナリティ障害」についての僕の「note」をみて頂いたモラルハラスメントの被害者の方が、ご主人に対し「自己愛性パーソナリティ障害」の疑いがあると伝えてしまったと言う出来事がありました。

幸い、その時点では大きなトラブルになってしまう様な事は無かったようですが、一瞬、その事で考えられるありとあらゆるリスクを考えたら恐ろしくなりました。


認める事は負ける事

話がややこしくなるので今回は「自己愛性パーソナリティ障害の配偶者」=「モラハラの加害者」=「加害者」と言う事で話を進めさせて頂きます。

加害者は、「物凄く小さくて脆くて弱い本当の自分」を守る為に自分自身を「根拠のないプライドと傲慢さに満ち溢れ捻じ曲げられた偽りの正義の鎧」で身を固めています。

加害者にとって被害者は「完全なる悪」です。あなたがいくら自分の正当性や公平性、身の潔白を証明する証拠を叩きつけたとしても、例えあなたの事を99.9%の人が「あなたは正しいし何も間違ってないよ」と言ってくれたとしても、加害者にとっての被害者は「完全なる悪」なのです。

その「完全なる悪」であるあなたから「あなたは障害者だ」(これは予想ですが加害者に自己愛性パーソナリティ障害と言ったとしても聞いた瞬間に普通なら“自己愛性パーソナリティ”の意味の方が気になると思いますが、自己愛本人には“障害”という言葉のの方しか聞こえないのだと思います)と言われた瞬間に、加害者はあなたに「障害者と言う言葉のナイフ」を突きつけられてる様に感じてしまいます。

特に被害者の方がそこまでの意識が無い場合や、被害者が加害者に対して「障害」の事を認めて貰い、治療出来るのならば一緒に心療内科に連れて行き治療させたいと思うような場合でも、自分が「自己愛性パーソナリティ障害」だと認める事は「負け」を認めた事になると考えてしまいます。

基本的に、何事に対しても勝ち負けの発想しか出来ない戦闘民族の様な人間には、特に勝ち負けとは関係無い事柄でも「勝ち負け」でしか判断が出来ません。

おまけに「負ける」という事は「物凄く小さくて脆くて弱い本当の自分(無価値な自分)」を認めてしまう事になるので何があっても負ける訳にはいきません。

その為には事実を歪め、真実を無かった事にしてでも認める事は無いので、普通の感覚で物事を判断する被害者には、その思考が理解出来ないので戸惑い迷ってしまうのです。

僕の様に男性が被害者の場合なら、よっぽどで無い限りは物理的なDVにはそれなりに抵抗出来る場合の方が多いと思いますので、なんとかなる可能性が高いと思いますが、女性が被害者の場合だと、この加害者に対する「自己愛性パーソナリティ障害」という宣告は個人差はあるでしょうが加害者にとっては「最上級の挑発」と受け止められる可能性が考えられますので本当に危険だと思います。

なので不用意に、モラルハラスメントの加害者に対して「あなたは自己愛性パーソナリティ障害だ」とは言わない様に気をつけて下さい。

それを伝えても加害者が素直に認める事はあり得ませんし、そもそもそれを素直に認める様な相手ならモラルハラスメントの加害者になる事はないでしょう。

加害者との接し方

これは特に、女性が被害者の場合に限った事では無いのですが、モラルハラスメントのwikiにある“加害者の人格・心理構造”からもモラハラを含むDVの加害者に“ナルシシズム傾向があるのは明らかで、「自己愛性パーソナリティ障害」の“元になるもの”が「ナルシシズム」といういう事からも、モラルハラスメントの加害者は「自己愛性パーソナリティ障害」の場合が多いという可能性はかなり高いのだと思います。

おまけにモラルハラスメントの被害者(自分を含む)の多くの証言が「加害者=自己愛性パーソナリティ障害」としか思えない様な体験を謳っているので、ほぼ間違い無いと思っても良いでしょう。

ですが、今の現状を考えると「モラルハラスメント」やその他の様々な「ハラスメント」や「DV」「虐待」「毒親」等の言葉は日常的にメディアで見かける事が多く、認知度も上がって来てはいるとは思いますが、その大きな元凶とでも言っても過言ではない「自己愛性パーソナリティ障害」については殆ど目にする事はありません。

もっと「自己愛性パーソナリティ障害」という障害がクローズアップされて、多くの社会問題の元凶だと認知され、それに対し個人だけで無く、行政もその問題に取り組む様な状態にならなければ不幸の連鎖はなかなか止められる事は難しいと思います。

自分自身が今その問題に取り組んでいても、そんなに簡単に物事が運ぶ訳でも有りませんし、何かしらのサポートがある訳でもありません。

また、僕は男性なので経済的な面や仕事の面でも女性の被害者の方と比べると、まだ恵まれていると思いますが、女性に対してはもっと何かしらのサポートがあっても困る事は無いと思います。

ただ、社会的にはそんな段階まで進むのは実際まだまだ先の話で、それがいつか形になる確証なんて何処にも根拠は無いので、まだまだ当分は自分自身で何とかしていくしかありません。

被害者がしなければならない事①

これは僕が勝手にイメージしている事なので皆さんに当てはまるかどうかは自己判断でお願いします。

まず、1番最初に考えなければならないのは「自分がモラルハラスメントの被害者」と認める事だと思います。

ずっと長い間「自分が我慢していればみんなが幸せになれる」「自分が耐えさえすれば…」と考えていたので自分が「被害者」だなんて大袈裟過ぎると思っていましたが、「被害者」になっている人はほぼ間違い無く「自己肯定感が低い」はずです。

「そんな事ない」と思ってらっしゃる方でも、何か違和感を感じた時に、その違和感を追求するでも無く「あれ?思い違いかな」とか「まあいいか」と先送りや「自分が悪かったのかな」で済ましてしまう傾向がある方は自覚症状が無くても「自己肯定感が低い」というパターンで僕がこれでした。

自分でも随分と悩みました。「被害者なんて大袈裟なんじゃないか」とか。でもありとあらゆる面で被害に遭ってるのは明白な事実ですし、逆にあちらは全く悪意が無く、むしろ自分が唯一無二の正義だと思っているとしても、人間としてしてはいけない行為を、まるで自分にはそれをしても許される様な特権を持っているかの様に行っていた加害者です。

これは変えようのない事実なのでそれを素直に認める事にしました。多分これが自分自身の「自己肯定感」を高めて行く「第一歩」になるのだと思います。

被害者がしなければならない事②

次に僕が考えた事が「敵を知る事」でした。

正確には「自己愛性パーソナリティ障害」について「知る」という事で、僕の場合は“それに関わる様な本”も買えない様な状況です。(経済的DV)

なので出来る事と言えば、とにかくネットで情報を収集しまくる事でした。

ネットの情報が、全て完璧に正しいとは思ってはいませんが、なるべく客観的になって多面的に物事を見るようにすれば、かなり事実に近い情報に近づけると思っています。

Wikipedia等も「自己愛性パーソナリティ障害」に関わる様々なリンクまで目を通し、その他にブログや医療系の情報等にもくまなく目を通し、それを何度も繰り返して自分の中で消化して行きます。

「note」でも貴重な体験談や、モラルハラスメント環境から脱出された方々の成功体験も知る事が出来ますし、「ツイッター」には被害者の「怒りの声」が溢れています。(※ツイッターの「怒りの声」は苦手な人は苦手かも知れません。きっと自分が暴言を言われ続けた事による暴言恐怖症の様なモノかも。僕がそれです)

それを知る事により、自分が1人では無いと言う事実を知り、それによってまた自分自身の「自己肯定感」が高まって行きます。これが「キズの共感が結ぶ力の意味」だと思います。

このあたりになってくると、最初は微かに見えかけてた光が次第に大きくなってくる事に実感出来ると思いますし、加害者に対する「怒り」や「憎しみ」も薄れてくるのではと思います。

被害者がしなければならない事③

3つ目は、ある意味で「自分自身を否定」する事に繋がる事なのでかなり辛い“作業”になります。

自分でも何度か経験していますが、モラルハラスメントも長年にわたると波の様な周期があり、酷い時もあれば、ふとしたきっかけで嘘の様に平和になったりもします。

と言っても、その波が一波毎に酷くなって行く事の方が多いと思うのですが、被害者体質としてはその「一波」を乗り越えて落ち着いた時に「やっと分かってくれた」とか「やっと気付いてくれた」と勘違いしてしまい「自分の努力(忍耐)」がやっと報われたのだと思い込んでしまう傾向があります。(実体験より)

しかしそれは、本当に残念で残酷な話ですが、何かの要因で加害者の「欲」が満たされている上での小休止に過ぎず、その「欲」を食い尽くしてしまい、また飢餓状態になってしまうとその隠されていた爪が露わになってきます。

結局は「自己愛性パーソナリティ障害」の加害者に対し、どれだけの愛を捧げても、どれだけの痛みを捧げても、またどれだけの時間を捧げても決してそれに対し答えてくれる事は無いし、愛とはいつでも一方通行なものなので、初めから人を愛する事を知らない人からは、永遠に愛を注いで貰えるなんて有り得ないのです。

被害者としては、とても辛い現実です。今ではこんな状態だとしても以前には、愛を語り合い、いつまでもこの幸せが永遠に続くものだと思っていたあの瞬間が「全てまがい物」だと受け止め無ければならないのですから。

それを否定するという事は、その時の過去の自分(過去の選択)を否定する事と同義なので、本当に辛い“作業”だと思います。

ただその“作業”が進まない事には現状は何も変えられないし、永遠にモラルハラスメントのループの中から抜け出す事は出来ません。

それを“作業”と受け止める事が出来れば、辛いとは思いますが、なんとか乗り越えられると思います。おまけに一度そこは乗り越えてしまう事が出来れば精神面ではかなり楽になってきます。

被害者がしなければならない事④

ここまで来たら後一歩と言いたいところですが、現実的に考えると1番ハードルが高いところだと思います。

何度かお伝えしていますが、僕が丁度この辺りで足掻いてるところです。

要は「モラルハラスメント環境からの脱出」です。

これは「夫婦」と言う関係性を前提の話なので、「夫婦」なら要は「離婚」出来れば“とりあえず”のゴールで、まだその先には様々な問題が山積している事と思います。

ただ、実際に「脱出」に成功された方々の現状の端々を覗かせて頂いてる印象だと、大変さは感じ取れるのですが、とにかく「自由」を感じます。

その「自由」はそんなに大袈裟なものでは無く、本当にささやかな「自由」です。そのささやかな「自由」を側で見てても癒されている自分を感じます。

逆に、そんなささやかなで当たり前の「自由」さえも許されない生活を余儀無くされている自分の現状を、改めて実感させられます。

それを考えると様々な所から言われている「自己愛性パーソナリティ障害」の最終的な対処法「その人との関係性を断つ」と言うのが現時点で一番良い問題の解決法なのは間違い無いのだと思います。

モラルハラスメントの被害者だと自覚してる皆さん、とにかく早く逃げる事を考えましょう。

親子の場合は?(今後の課題)

先程「夫婦」と言う関係性を前提といっておりましたが、これが「親子」というケースもツイッターを見てて、かなり多い様に感じます。

僕も長年にわたり母親とはまともな関係ではありません。これも長年にわたり「なぜうちの母親はこうなんだろう」とずっと疑問に感じ続けて来た答えが「自己愛性パーソナリティ障害」と理解出来た事で全て理解出来たパターンです。

しかし「親」という存在は、例え一緒に暮らしていなくても、その関係性は永遠に続きます。

まだしっかりとその辺りを調べた訳ではありませんが、現在の日本では完全に親子が断絶出来る法律は無いようです。

その「親」に対していつまでも「理想化」を続けられる「子」は良いのですが、一度「脱価値化」された「子」は基本的には「理想化」の状態に戻る事は難しいでしょうし、「自己愛性パーソナリティ障害」は年齢と共に症状が酷くなるとも見かけた事があります。

親子の問題も、まだまだ考え無ければならない事が山の様にあるのですが、とりあえずは目の前の問題からクリアしていく事を考え、親子の問題はとりあえずは今後の課題としておきます。

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