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毒親問題の二次被害

数日前に言われた一言が、昨日も今日も頭の中を蠢いていた。

そこまでわたしを苦しめた一言は、
「お母さんがそんなにも過保護・過干渉なのは、あなたが心配させるような言動ばかりしてきたからじゃないの?」
「あなたは天邪鬼なところがあるから、反発したいだけでしょ。愛されてると思って素直に受け取らないと」

というもの。

その言葉を投げかけられたときは、あくまでも平静を装ってはいたが、内心では「何にも知らないくせに!なんでそんなことが言えるの?」と、強い憤りを感じた。

(補足すると、この人には「結婚のプレッシャーをかけられて憂鬱になるから、実家に帰りたくない」「箸の上げ下ろしまで注意してくるから、帰省すると毎回しんどい」としか話していない。にもかかわらず、このような発言が飛び出したことに、不快感をおぼえたのだった。)

しかし、時が経つにつれて、
「反抗期の言動とか、わたしが蒔いた種なのだろうか」や、「わたしが我慢さえすれば、丸く収まるのだろうか」などと、自分を責めるような考えが強まった。
そうして、今日はベッドに横たわり、窓の向こうの青空に流れる雲を、日が暮れるまでじっと眺めることしかできずにいた。

でも、そろそろ気持ちを切り替えたいので、noteに書いて整理したいと思う。

母について

まず、母について大まかに説明する。
大体こんな感じの人だ。

・60代
・中学校〜大学まで女子校
・とことん心配性
・絵に描いたような完璧主義
・安定と王道と貯金が好き
・母(わたしから見た祖母)も、たぶん過干渉
(本人はあまり鬱陶しく思ってなさそう)

以下の記事でも少し触れているが、とにかく母は過保護・過干渉・感情的だ。

完璧主義だからこそ教育熱心でもあり、十分な教育を受けさせてもらえた点は感謝しているが、行動・思考の制限にずっと苦しめられていたのは事実だ。以下、いくつか具体例を挙げてみる。
※これらのルールは、わたしが問題行動をしたから加えられたものではない。日々のコミュニケーションで明らかになったルールばかりだ。

【学生時代】
・門限(高校卒業までは18時、大学は原則24時だが、男性がいる場合は22時)
・外泊禁止
・恋愛禁止
・オール禁止
・ライブハウスへの立入禁止
・朝の登校は、父と一緒に家を出ること
・外出する際は、「いつ」「どこで」「誰と」「何をして」「何時に帰る」の5点セットで申告し、1点でも問題があれば認めない
(「今すぐ電話して断れ」と強要されたことや、「あんたの周りは悪友ばかり」と断罪されたことも数知れず…)
【社会人〜現在まで】
・ウーバーイーツの利用禁止
・宅配ボックスを利用し、対面受取は禁止
・男性を部屋に上げることは禁止
・歩きながらのイヤホン使用禁止
・出張先や旅行先では、ホテルに着いたらLINEで報告すること
・外泊禁止
・オール禁止
・母からのLINEは3時間以内に返信すること

他にもいろいろあるが、ざっとこんな感じ。
(今は一人暮らしなので、バレないように無視しているルールも当然たくさんある。)

なかでも、高校2年の頃、彼氏の存在がバレたときは修羅場だった。
まず、「あんたに彼氏を紹介した友達は誰?まず、その友達とは縁を切りなさい!」と叫ぶように怒鳴り、殴りかかってきた。そして、「大学受験を控えているのに、恋愛に現を抜かしている自覚のなさ」と「まだ子供なのに、ふしだらで気持ち悪い行為をしていること」を、延々と責められた。(なお、妊娠のリスクがある行為は、この時点ではしていない。)
さらに、「あんたは学校生活でも悩んでばかりなのに、恋愛なんて無理よ。相手に迷惑をかける前に別れなさい」と、破局を強要された。

それでも、しばらくは意地で交際を続けていたが、母から携帯電話を没収されたことをきっかけに、1ヶ月後には別れざるを得ない状況に追い込まれた。
そうして、「もう別れたから、許してください」と、泣きながら告げたときの母の勝ち誇ったような表情を、今でも忘れることはできない。

その後、予備校に入るときも、「彼氏や男友達を作ったら転塾する」ことを約束させられた。そのため、男子生徒に声をかけられただけで、ひどく怯えた。結果、予備校では、コミュ障のレッテルを貼られてしまった。

大学に進学した後は、バンド活動や飲み会など、母に反発しながら自由を模索していた。そんなわたしを、母は「不良」とか「あんたの体内にGPSを埋め込みたい」などと非難した。
そんなこんなで、毎週のように母と大喧嘩し、弟からも「お姉ちゃんのせいで、家の空気が悪いんだよ!いい加減にしろよ!」と、怒られたこともあった。やがて、わたしは家での居場所も、家族からの信頼も失った。
(外泊禁止・オール禁止は忠実に守っていたが)

18歳にして母がおかしいと気付く

母がおかしいと気付いたのは、18歳の頃だ。 きっかけは、母に隠れて交際していた彼氏からの一言だった。彼は大学の同級生で、人の痛みがわかる優しい人だった。

ある日、「またお母さんに怒鳴られたから、今日は早く帰らなきゃいけない。本当にごめん」と、カラオケボックスで泣きながら謝ると、そっと抱きしめてくれた。
そして、「言いにくいけど、お母さんは多分病気だよ。心療内科かカウンセリングを勧めてあげたほうがいい」と、提案してくれた。

「心療内科…?なんで?」
「おれの母親もヒステリックで。あれこれ禁止したりはしないけど、怒ると包丁を投げつけてきたこともあった。で、ばーちゃんが母親を心療内科に連れて行ったら病名がついて。今は仕事休んで薬飲んでる。なんかちょっと似てる気がした」
「そっか」
「子供が可愛くて心配なのは分かるけど。でも、やりすぎじゃないかな」

結局、母に心療内科を勧めることはできなかった。だが、その後の彼氏たちにも、「あおいの母ちゃんは常軌を逸しているよ。おれの母ちゃん、妹にそんなこと言わねーもん」などと、異口同音に指摘された。そうして、徐々に母の異常さに気づいたのだった。

25歳にして開き直る

成人後も、母の干渉は続いた。
交友関係だったり、就職先だったり、娘の人生の分岐点に細かく口出しした。

大学3年の頃、ベンチャー企業の説明会に行くと告げたら、「倒産する可能性が高い企業に入社しようとしているの?!」と、玄関の前で通せんぼをされてしまったこともある。「選考じゃない、話を聞くだけだ」と弁明しても無駄だった。
(結果、無難な金融系に入社を決めた。母は「女の子が総合職?」と顔を顰めていたが、企業自体は気に入っていた様子だった)

また、新卒3年目でシンガポール赴任のオファーを打診されたときも、「女の子が海外で一人暮らしなんて、絶対に許さない!」と言って憚らなかった。なんとか母を説得しようと、シンガポールでの待遇や犯罪発生率などを細かく説明したが、耳すら貸してくれず、すぐに家は冷戦状態となった。
(結局は、「母が病気なので日本から離れられない」という理由を作り、仕方なくオファーを辞退した。この選択は、今でも後悔している。)

その冷戦が落ち着いた頃、わたしは母とドキュメンタリー番組を見ていた。親子関係をクローズアップした回だったと思うが、番組終了後、母から信じられない一言が飛び出した。

「お母さんね、あんたの育て方を間違えたわ。何歳からやり直せばいいかな。こんな子になって欲しかったわけじゃないのに」

ショックで目の前が真っ白になりかけたが、「どんな娘になってほしかったの?」と、努めて冷静に聞き返した。

すると、
「女の子らしく、温和で人当たりが良くて、フランクな子になってほしかった。でも、あんたは男性的で、思ったことを率直に話したり、揚げ足を取って人を傷つけるタイプよね」
と。

その場では一言だけ謝ったが、寝る前に母の言葉を思い出して悔しくなり、自分の部屋でわんわん泣いた。まるで自分が失敗作だと言われた気がしたからだ。わたしは犯罪も自己破産もしていないし、ちゃんと定職に就いて真っ当に生きているはずなのに。どうして、こんなことを言われなきゃいけないんだろう。

だが、涙とともにしゃっくりが出始めた頃、ふと気がついた。

どんなに頑張っても、もう母の理想にはなれない。
母のことは気にせず、わたしはわたしが思う成功を掴もう、
と。

そうして、わたしは自分ファーストで生きると決意した。転職することも、転職先も猛反対されたが、全て振り切って自ら決断した。
やがて、転勤が決まったときも母は辞退を迫ったが、「もう28歳。好きにさせてくれ」と突っぱねた。
そうして、一人暮らしを始めたことで、自分の人生を生きている実感がようやく得られるようになった。もう地方都市に住みたくはないが、一人暮らしのキッカケが出来てよかったと思っている。

(余談1)
母から内定先企業のフィードバックを聞かれたので、「エッジが効いてて頭の回転が速いと言われた」と正直に答えた。
すると、「エッジが効いてるって…、そんな子にはなってほしくなかった」と、またしても言われてしまった。やはり、母の理想にはなれなかったようだ。最早どうでもよいが。

(余談2)
大学生の頃、「実はあんたを堕ろそうとした」というカミングアウトを受けた。ショックのあまり、その日は一睡もできなかった。
(堕ろそうとした経緯は、以下記事を参照。)

最後に

一人暮らしをしている今も、母の干渉は少なからず受けている。それは、ライフプランであったり、ワクチン接種を無断で予約されてしまったり。わたしが決めるべき選択を、勝手に舵取りされそうになることは、今でも度々ある。

それでも、わたしが蒔いた種なのだろうか…?
わたしが斜に構えているだけなのだろうか…?

書き進めるうちに、疑問が沸々と湧き始めた。
わたしにも少しの非はあるだろうが、母の心配性・完璧主義な気質も大きな要因ではないか。

この悩みを他人に理解してもらうことは、きっと無理だ。特に、言語は通じるが、住む世界が異なる人の意見は、作り笑顔を浮かべながら聞き流すしかない。

また、わたしも安易に人に意見すべきでないだろう。その人の苦しみは、その人にしか分からないものだから。加えて、その人の苦しみと、自分の苦しみを比較する行為もナンセンスだ。

もしも、似た境遇の人から悩みを打ち明けられたら、受容と共感に徹して、少しでも心が晴れる手伝いをしたい。間違っても、本人に非があるような言い方をして、追い詰めないように気をつけよう。

書き進めるうちに、そんなことを考えてしまった。
今回の出来事を反面教師にして、わたしは人の痛みが分かる優しい人間になりたい。

【今日の一曲】
UNISON SQUARE GARDEN/さよなら第九惑星

暗い気分のときは、とことん暗い曲を聴くのがわたし流です。

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