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こうであらねばならぬ、という思い込みの話

わたしは昔から「ねばならぬ」が強かった。というか今でも強いという悲しい性。

  新聞で見掛けてすごく欲しかった「家が好きな人」というマンガを買って読んだら、とても素敵な部屋とそこで暮らす5人の住人の話で胸がいっぱいになった。それぞれ自分の家が大好きで個性豊かな暮らしをしている。
絵もすごく綺麗で丁寧で色合いが素晴らしく、絵本を読んでいる様だった。私もこんな風に自分の部屋の居心地を良くしたいな。そう思った。
でも、それで終わらなかった。

  みんなワンルームで暮らしているのに私は2Kで贅沢をしている。工夫ができてないから2Kでも狭く感じる。わたしは何をしているのだろう。わたしは何てダメな人間なのだろうと無駄に自分を攻撃してしまう。

とどめはこちら。

勝手にアップして著作権で訴えられないか心配

 オシャレなナナコさんの部屋。非現実的にしたかったからと西洋風の家具とオシャレな装飾でまとめられている。
私も昔からこんな部屋に憧れてたな。
そこで終わればいいのだけれど、負の感情が湧き出て止まらない。

私は夢を見てばかりで何も行動できてない。ミニマリストに憧れてるけど物が多い。必要不可欠の物以外の物を捨てられずにダラダラ持ち続けている。
本当はもっと素敵な部屋にしてみたいのに、もっとちゃんとしたいのに、もっと物を減らして、もっとスッキリさせて、もっとシンプルにしないといけないのに、もっと、もっと、もっと。

「したいのに、しなければいけない」と強制している地点で全く楽しくない。そうやって自分を縛っている。

一時期、何もない部屋に憧れて部屋に飾った雑貨や写真、自作の作品をまとめて捨てたことがあった。
スッキリさせれば心も落ち着くはずだと自分を言い聞かせて半分ヤケになっていた。
   初めは白い壁が部屋を広く見せているようで気分が良かった。でもその内に疑問を抱くようになった。これで良かったのかな。自分の感性を捨ててまでスッキリした部屋に変えて、本当にそれで幸せなのかなと。
    わたしのかつての部屋はヴィレヴァンの店内の様だった。ごちゃごちゃしてて見てるだけで楽しかったし飽きなかった。けれど無印の店内に憧れて、それに近づけるように無理していた。

「わたしはヴィレッジのまんまでいいじゃん」
ある日、そう思えた。それから少しづつ雑貨を買ったり、自作の作品を壁にコレクションし始めた。今は元の賑やかな部屋に戻りつつある。

そんな風になれても、時々どうしようもなく落ち込んでいると、この本や他の人と自分を比べてもっと落ち込む。
もっと頑張らなければいけない、もっと狭い部屋にも住める様に物を減らす努力をしなければいけない。ねばならぬが再登場。その内、生きている価値はないと考え出し止まらくなり、持病のうつがよりひどくなる。

でも、まあ、仕方がない。
癖でも病気でも何でも「そんな風に考え込んじゃう自分」を丸ごと受け入れればそれでいい。それだけの話。開き直ろう。
相変わらず人と比べたり、自分を責めたりしてしまうけれど、「今日出したものは今日しまう」という事は出来ているのでそこまで散らかっていない。完璧ではないけど、これが私。

「これでいいのだ」
辛いこともあるけど、なるべく笑って過ごすために自分をもっと大切にしてあげよう。適当に適度に頑張って素敵な毎日を送ろう。

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