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じっとり猫

ペット写真を見せられると意外に困惑している自分がいる。
理由は全く自分はペットの写真を撮らないから。何で撮るの?位。
最近はネットで大量にみるお陰で、ネット越しの写真には違和感はない。

愛着が無い訳では決してない事をここで強く強くもひとつ強く訴えておく。

高校1年生のまさに初日、隣に座った子に子猫2匹を頂く。(欲しいと言ってない)強い押し売り魂で「どこぞのさんは猫を飼うべき!」と言われ、クリスマス用のアイスケーキの箱に入る子猫を抱えて帰る。彼女は良いセールスマンだと思う。

我が家は猫を以前にも飼っていたので、「あら来たの?」と簡単だった。

名前をつける行為もどうにも困惑して机の上にあった鶴屋吉信の【梅まろ】の食べ残りがあったので、「うめまろ」と「たけちよ」と名付けた。たけちよは適当につけた。(うめまろもだけども)

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ここで追加余談だけど、当時の梅まろは丸い薄い缶に入っていて、多分通年販売だった気がする(単に古いのを食べさせられていたかもだけど)


子育て?に悩む自分は「猫は俊敏であるべき」と言う美学があり、運動能力を最大に高めたいので、猫の遊びにかなりなトレーニングを導入した。うめまろはみるみるうちにベンガル山猫(身体能力の程度は知らぬ)並みに2階の窓から平気で飛び降りたり、物干しざおを歩けるようなしなやかさも手に入れた。たけちよは全くできなかった。それが災いしたのか、ほかの猫にやられてあっけなくお陀仏。

うめまろは「うめちゃん」と焼き肉屋さんを彷彿とさせる呼び名には変化したものの自分に恐ろしく懐いてくれた。

というかストーカーだった。

猫は勉強の邪魔をする。は、よく聞く話だったが、うめまろは全く別の邪魔の仕方だった。割と試験が多かったので、夜にはそれなりに勉強をしていたけど、ふと何か視線を感じるので振り向くと襖越しに覗く。にゃーとも言わずただ襖の隙間から覗く。いつも覗く。おいでと言うとようやく膝の上に乗りとぐろを巻く。ご飯をたべている時もお風呂に入る時もトイレに入る時でもいつでも見えるか見えないか位の場所からひたすら覗く。寝るときは布団に入るとただその様子を遠くから覗くので半ば刑務所で監視されている感。

子育てに失敗したのか自分は・・・後悔の念がたつ。
普通猫はもっといい加減で自己中で呼んでも来ないし、勝手にどこかへ行くという生き物であると皆が言うのでそれなら飼うのも楽しかろうという目論見は海の藻屑。ただのストーカーが爆誕しただけだ。

その後もひたすらじっとりと自分を監視するうめまろ。大人になり社会人になってもひたすら監視をつづけるが、やはり寄る年波にはかなわずボケがはじまる。しかし監視はやめず、よぼよぼと古い雑巾みたいになってもひたすら遠くから監視するので、なぜか自分がうめまろを抱っこしてのんびり膝でとぐろをまいてもらう事に。

ものすごく長寿だったうめまろは、22年と9か月で生涯を閉じる。

その後だが自分は猫に好かれなくなり、
どの猫も呼んでも近づきもしない事象が起きている。

多分
いや、確実に
じっとり猫が自分の背後にいるのを知っている。
気付いている。



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