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「6月の珈琲 Ethiopia:ときが満ちる」

期待することもされることも苦手だった。

Ethiopia:ときが満ちる
ずっと咲かなかった紫陽花が
その姿をあらわにした
一輪咲いてみれば
今まではなんだったのかと思うほど
歯止めはきかない
6年経った7度目の梅雨入り前
ときが満ち、溢れていく酸味

次の道筋が見えたような気がした。
あるべき姿へと向かう道筋。

それは、自分が思い描く未来で、欲が自分に見せる錯覚なのかもしれない。

期待には自分の欲が混じっている。
そう感じた。

度重なる期待は、いつのまにか、重圧に変わる。

だから、もう、期待することもされることもないように生きようと思っていた。

この小さな平屋に住んで、丸6年が経つ。

それは、7度目の梅雨入り前のことだった。

磨りガラスにピンク色がぼやけていることに気がついた。

紫陽花が庭にあってね。
たぶん、紫陽花だと思うんだ。
でもね、全然咲かないの。
え?なんで、紫陽花だってわかるのかって?
だって、葉っぱは紫陽花なんだよ。
でもね、引っ越してきてから、丸6年が経つんだけどさ、全然咲かないの。

春に交わした友人との会話を思い出しながら、玄関の扉を開いた。

そこには、大輪の紫陽花が一輪咲いていた。

やっぱり、紫陽花だったんだ。

やっぱり。

丸6年、花を咲かせなかった紫陽花は、雨の中、次々と、その花を咲かせていった。

次の日も。
その次の日も。
そのその次の日も。

紫陽花が、丸6年の間、ずっと、花を咲かせる準備をしていたことを知って、泣きそうになった。

ずっと、花を咲かせない紫陽花なんだと思っていた。
そう言って、笑い話にしていた。
だって、期待してはいけないと思っていたから。

すぐに結果が出なくても、とりあえず、取り組んでいたら大丈夫。

そう言われたのは、いつのことだったのだろう。

大丈夫。
大丈夫。

期待することもされることも苦手だった。

それでも、花を咲かせない紫陽花を根から抜いてしまえなかったのは、やっぱり、心の底に、ほんの少しの期待があったからなのかもしれない。

いつか、花が咲くという、いつ、満たされるかもわからない淡い期待。

大丈夫。
大丈夫。

すぐに結果が出なくても、とりあえず、取り組んでいたら大丈夫。

だって、いつか、花は開くから。

6月の珈琲「Ethiopia:ときが満ちる」のときが満ち、溢れていく酸味のように。

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