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仕事って何か、少しわかった十数年前の今頃。


#あの失敗があったから

思えば今ぐらいの時期だ。私が新入社員になった年の今頃。

私は、工場の生産管理に配属された。その部署で初めての女性総合職、というやつだった。工場だったから、制服があった。私がくる前に、女の子だから、制服はどうする?という議論があったらしい。結果的に男性社員と同じ、タックが入ったズボン、肩幅広めのジャケットがあたった。

先輩は、その部署でブイブイ言わせてきた感が丸出しの10歳年上、高卒で最初は現場配属だったものの、見込まれて総合職に転換した人だった。赴任したときは、挨拶もそこそこに目も合わせてくれなかった。

1日目、何を教えていいか分からないからか、別の先輩が、発送の様子見てて。と、現場の発送場に案内される。そこで仕切っている出向してきている運送会社のおじいちゃんが丁寧にいろいろ教えてくれた。一向に迎えはこない。しばらくするとその置いていった先輩が通りがかって、「あっ、忘れてた」と言った。私を預けていたことを忘れていたらしい。

そんなのが数日続き・・・

もう1人の若い先輩から業務の引き継ぎを受けた。これが、滅多に注文がこないマイナーな商品で、その発注、発送は一瞬で終わった。

1ヶ月ぐらい経った頃、暇すぎて、嫌になった。何かないですか?と聞いてもすぐ終わってしまう、一時的な業務ばかりだった。

私は何のために来たんだろう。求められてないんじゃないか。なんのために大学に行ったんだ。営業志望だったのに、なんで工場だったんだ。仕事ないのに。。私の方が営業に適任だったと思うのに。・・・そんな思いが巡り巡って、本社の人事担当の人にメールで連絡した。なんて書いたか忘れたんだけど、仕事がないみたいです、どうすればいいですか、みたいな感じだったと思う。人事の人は、上司に言ってあげることもできるけど、もう少し待って、で、なんかないかってどんどん聞いてみたらどうかな、と。同じく人事のアシスタントの人がそれを知ったらしく、社内便で、お菓子を送ってきてくれた。今思えば人情深い人が多い会社だったように思う。

結局どこからかその話が、直属の部長に言ったんじゃないだろうか。ある日、目を合わさない先輩に神妙な面持ちでなんか話していた。ちょっと聞こえた。

「無理っすよ」

叩き上げで這い上がってきた先輩にとって、私はどんな存在だったのか。教えてあげなきゃいけない、大切にしてきた仕事を渡さなきゃいけない、それが初めての女性総合職、現場も知らない、製品も知らない、不安だっただろうな、面白くない部分もあっただろう・・と。

そのたぶん数日後。「じゃ、これ。」と、フォーマットとしてはうまいとはいえないWordで打ち出したマニュアルを渡してくれた。とても忙しい職場で、きっと残業してつくってくれたんだろうと思った。マニュアルは順を追っていけばできるようになっていた。もう反射的にと言えるくらい、あれを聞かれればこれと言えるような人だったから、いろんなシーンを思い浮かべて、書き出してくれたんだ、と思った。

しかし、これからが大変だった。マニュアルで大まかな流れはわかったものの、品種が入り混じり、今どこに何があるか、どこで何をつくっているか、素材はあるか、製造の担当者は各工程で空いているか、この日は休みの申請があったから調整、とか全体感を把握した上で、動かしていかなきゃいけなかった。ただ制作指示をするだけでもいけない。現場の人が元気か、気持ちよく仕事してもらうために会話しに行くことも大切だった。

それでも任されたのはまだ一部の商品群だけだった。

それに、私が担当の商品でも、まずは先輩に問い合わせがいく。それ、私の担当になったのに、と思うものも、なかなか私に連絡してくれる営業の人はすぐには増えなかった。

入社して3ヶ月ぐらいして、ほんの少し流れがわかってきた頃、数年に一度という特殊な注文がきた。営業担当者は初めて会話するベテラン営業で有名な人だった。この人は、必ず私に連絡をくれる初めての営業担当者だった。頼ってくれたみたいで嬉しかったのは束の間、特殊な商品で、納期も短かった。さらに、一度発注したら、納期まで連絡がない営業担当者もいるのに、その人はマークがすごかった。数日に一回はどんな状態か、今どんな作業をしているか確認があった。

そしてその日はきた。例によって、電話で進捗確認があって、加工の細かい仕様を聞かれた。分からなかったので、「確認して連絡します」と言った。何気ない一言だけど、前にも言っていたのかもしれない。その人も堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。電話口でいつも優しい口調だったベテラン営業のおじさんが

あなた、担当者でしょう!」

とぴしゃりと言った。

その時は何が起きたかちょっと分からなくなって、すみません・・といいつつ、入社3ヶ月、うち1ヶ月ちょっとは、研修と暇してたのに・・・という理不尽さも感じつつ、でもこの言葉がすごく心に残った。

どこかで言い訳していた。

後で聞けばいいやと思っていた。

担当者だったら、自分の責任。もっと理解しなきゃ、勉強しなきゃ、早く自立しなきゃ、任せて欲しいなら私も即答できるようにならなきゃ、プロにならなきゃ。と目が覚めた一言だった。

ノート片手に作業内容を聞く。あまりにも細かく聞くのでみんな困り顔だったけど、優しく、辛抱強く教えてくれた。

本気で立ち向かえば、助けてくれる。

そして、チャンスをくれて、任せてくれて、ダメなところは教えてくれる、そういう人の存在。

そういう人たちの期待に応えたいな、と頑張ってきたように思う。


この1年目の頃の今頃の思い出は、社会人の原点の一つで、今、会社は変わっちゃったけど、仕事ってこういうことだ、と今でも思い出す出来事。

私が関わった仕事です、と胸を張って言えるように、仕事に向き合えるようになったと思う。


後日、無事納品して、一つの小包が届いた。
お礼の一筆と、もみじ饅頭だった。


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