お守りを手放した日
その日のことはよく覚えている。
もう一人の自分の声が、心に響き渡った日。
その懸命な訴えを、自分自身がしっかりと受けとめた日。
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18歳で自律神経失調症になり、10年間、精神安定剤が手放せなかった。
外に出るたびに起こるめまいに悩まされて心療内科を受診した。処方された薬を飲むと症状が軽くなるため、食後に1錠、1日3回きっちり服用した。
その量が徐々に減っていったのは、発症から5年ほど経った頃だった。思い切ってバイトを始めたことで生活リズムが整い、できることも少しずつ増え、気分もなんとなく明るいことが多くなっていた。
バイトに休まず通うために体調管理をしっかりしなければという想いも芽生え、自己流ではあったが、運動や食事改善にも乗り出した。
その甲斐あってか、以前より体力もつき、日によって浮き沈みの激しかった体調や気分の波が穏やかになっていくのを感じていた。
接客や清掃などのバイトを経験したのち、憧れていた場所で、事務の仕事に就くことができた。
「その日」がやってきたのは、その仕事に就いて半年が経った頃のことだった。
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「薬をまったく飲まずに外に出てみようか」
そんな、少し前の自分からは想像もできないような気持ちが、あるとき湧き上がったのだった。その日、次から次へと薬を貪るという不快な夢を見たせいかもしれない。
その頃服用していた薬の量は、はじめの頃に比べると半分以下の日も多かった。とはいえ、少しでも飲んでいるのと、まったく飲まないのとは大違いだ。
「今、私は薬が効いている状態だ」という意識からくる安心感は、まさにお守りのようだった。そのお守りを完全に手放すなんて、どう考えても至難の業だったのだ。
しかし、その日の私は少し違った。自分の身体に巣食うものに対して反抗的に、妙に勢いよく思ったのだ。
「薬を飲まないと外に出られないなんて、そんなことあってたまるか」
心の底でもう一人の自分が力強く叫んでいた。身体の中でGOサインのランプが点灯したのを見たようだった。
自律神経失調症を発症して、ちょうど10年が経とうとしていた。
穏やかな青空がひろがる、秋の日だった。
家から出てしばらくは、なんだか足元がおぼつかなかった。自転車の補助輪を、初めて外したときのような心許なさだったかもしれない。
しかしそんな感覚も、気持ちのいい外の空気を感じて歩くうちに、次第に薄れていった。
わずか数十分の散歩だったと思う。けれど、心と身体をスキャンするように歩いた時間は、自分に「大丈夫かもしれない」と思わせるのには充分な濃密さだった。
この日を境に、薬を飲まずに仕事にも行けるようになり、苦手な乗り物も、やがて薬なしで乗れるようになった。コンビニに行くときでさえ、薬をきっちり飲まないと不安で仕方なかった頃の自分からしたら、信じられないくらいの進歩だった。
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この後しばらくして、ショックな出来事に直面し、一度手放した薬をまた服用した期間もあった。このとき「やっとのことでやめられた薬をまた飲むなんて…」とかなり抵抗があったが、心療内科の先生の「これは応急処置だから。飲んだらまたやめられなくなるということはないから大丈夫」という言葉が心強く、一時的に薬に頼ることに決めた。
1か月ほどで精神的な辛さから抜け出し、先生の言った通り、またきっぱりとやめることができた。
さらに数年後には、予備としてわずかに手元に残してあった最後の「お守り」も、感謝とともにすべて処分した。
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初めての出勤日。
苦手な電車に乗った日。
薬を手放した日。
ほんのわずかな、小さな一歩。
とてつもなく勇気がいる、大きな一歩。
自律神経失調症だった10年間、そんな一歩をいくつも積み重ねてきたように思う。
これからも鮮明な一歩を重ねていこう。
自分で自分の手をひいて。
恐る恐るでもいい。
思った通りの歩幅でなくたっていい。
どんな一歩でも、踏み出した先にはいつも新しい世界が広がっている。
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