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ACミラン97-01年まとめ!カペッロが去った混沌の中で、ザック・ミラン意地のスクデット獲得。そして、アンチェロッティへ

Ciao!ドドン小西です。先日のレッチェ戦!久々の大量得点に大興奮しながらも、次のローマ戦がヨーロッパの舞台にミランが舞い戻るための分岐点だと感じています。来シーズンの移籍話や監督人事など、様々な噂やニュースが絶えないミランですが、しっかりと今シーズンをいい形で終えてほしいものです(久保建英選手の名前まで挙がってました)

先週はミランの80年代後半から90年代半ばまでの黄金期をご紹介しました。カッペロがレアル・マドリードに去ってから、しばらくミランはお休みに入ります。揉めます。うまくいきません。まるで近年のミランのよう。

なによりも(個人的に)97年のフランコ・バレージの引退が大きかった。その存在の偉大さは彼の背番号6が永久欠番となったことからも窺い知ることが出来ます。1977~1997年の選手生活で実に15シーズンもグランデ・ミランのカピターノという重責を担いました。ちなみに彼のお兄さん。ジュゼッペ・バレージはインテルのカピターノだったこともあり、ミラノデルビーでの兄弟対決もみられました。

さて、カッペロのあと。
アンチェロッティが監督に就任するまでに、5年で8回監督が替わります。

1996年オスカル・タバレス
(後のウルグアイ代表監督でコパ・アメリカ優勝)
同年ジョルジョ・モリーニ
(タバレスがすぐ解任されたため暫定監督)
1996-97戻ってきたサッキ
1997-98戻ってきたカペッロ
1998-2001ザッケローニ
(後に日本代表監督)
2001年チェーザレ・マルディーニ
(パオロの父・72~74年にも監督を務める、イタリア代表監督も)
同年マウロ・タッソティ(前回紹介した元ミランDF・暫定監督)
さらに同年ファティ・テリム(トルコ代表やのガラタサライ監督など)

このなかで、ザッケローニは日本代表の監督をつとめていたことからご存じの方も多いと思いますが、1998-99シーズンはスクデットを獲得します。

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1999年はミラン創立100周年。なにがなんでもスクデットがほしいミラン。序盤は勝ったり負けたりとパッとしませんが、ザッケローニは徐々に選手の特徴を掴みはじめ、自身の代名詞でもある3-4-3システムからより選手個人の能力にあった3-4-1-2へ変更。首位を走っていたラツィオへ猛追。特に最後は破竹の7連勝!。勝ち点わずか1差でスクデットを獲得。見事に100周年に華を添えました。

簡単にザッケローニさんの3-4-3を解説すると、中盤でボールを奪い、ピッチの幅を目一杯使ったサイドアタック。当時は3バックは珍しく、だいたい4-4-2の相手と対峙することが多い。相手の2トップを左右のCBでみる、コスタクルタが一枚残るイメージ。相手の中盤4枚はこちらも4枚でみる。3トップは守備よりも攻撃に重心を置いています。3トップ以外で守備をし、DFラインや中盤で奪って、サイドへ。そこからビアホフら目がけてクロスを供給。ポストプレーがうまく強いCFとサイドからの質の高いクロスと運動量を持つMF、献身的な潰し屋と奪ったあとのパス供給役が必須だったでしょう。

3-4-1-2へ変更の変更はボバンをトップしたに置くことで、パス供給をより正確にする狙いがあったものと思われます。中央でプレーするほうが彼が好むところでもあったでしょう。

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前回紹介した選手は省略しています。他にも活躍した選手はいるのですが、とりあえずザックがらみの選手を紹介しています。

とにかく、なんとかスクデット獲得はできたものの、チャンピオンズリーグ敗退やベルルスコーニとの不仲によってザックも解任されます。

アンチェロッティが2001年監督としてミランに戻ってきます。そして、またミランの新たな時代が始まります。

如何だったでしょうか。本日はここまでとさせてください。

なんといっても、この文章を書いているのは6/29の0:05。ローマ戦がはじまります!みなさん。ここが踏ん張りどころです!いっしょにミランを応援しましょう!!では、また来週!!

追記
ミランvローマ 見事2-0で勝利しました❗️次戦は最下位のSPAL。とりこぼしたくないですね。リアルタイムで応援した皆様、お疲れ様でした😊

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