見出し画像

ACミラン01-09パート③一時代を築いたカルロ・アンチェロッティとスーパースター軍団「ACミラン」

Ciao!ドドン小西です。セリエAはユヴェントスが前人未踏の9連覇を決めました。すごいことです。近年はユヴェントスの一強と言われて久しいですが、来シーズンこそはミランのスクデット獲得を観たいですね。ちなみにユヴェントスの連覇が始まる前のシーズンの優勝はミラン。あれから10年経つかと思うと感慨深いです。。。

ところで!ミランの19-20シーズンも残すところあと2試合。先日行われた、サッスオーロ戦ではズラタン・イブラヒモビッチの2得点で勝利し、次のアタランタ戦では1-1のドロー。今シーズンここまで96得点を叩き出しているアタランタに対して、怪我や出場停止で、ロマニョーリやテオ・エルナンデス、ベナセルなど今のミランの快進撃を支える選手達を欠く中、まずまずの結果と言えるのではないでしょうか。リーグ再開後のミランは7勝3分とすばらしい成績を残しています。現在リーグ6位とEL予選出場権内。ELグループリーグへのストレートインのためにも5位フィニッシュしたいところですね。ミランの残り2試合は14位サンプドリア(前回0-0)と18位レッチェ(前回4-1勝利)。現在、5位のローマは16位トリノ、そしてユヴェントスとの対戦が残っています。ミラン、ローマの両チームにとっても最後まで気が抜けない戦いが続きます

では、アンチェロッティ率いるミランの紹介を続けていきます。前々回はアンチェロッティが監督に就任してからの8年間を簡単に説明しました。そして前回は02-03シーズンCL決勝に出場した選手達を紹介しています。

さて、なんといってもこの人でしょう!

03-04シーズン、ブラジルからあのカカーがミランにやってきます!

画像1

ブラジルの名門サンパウロでの活躍が評価され、02日韓W杯後(出場機会は少なかったが代表入り)様々なクラブからのオファーがあるなかで、ミランへの移籍が決まります。前評判は高かったのですが、まさか21歳の若者がいきなりセリエAに順応し、1年目から大活躍するとは誰も予想していなかったでしょう。入団後のインテルとのミラノデルビーで初得点を決めると瞬く間にルイコスタからポジションを奪い、レギュラーに定着。カカーとシェフチェンコの活躍(得点王)もあって、5シーズンぶりにスクデットを獲得します!03-04シーズンのミランは勝点82と当時のセリエA最高記録でした(ちなみに13-14シーズンにユヴェントスが勝点102を記録。とんでもねぇ・・)。

|カカー 1982.4.22生 BRA

185cm/79kg MF (03~09年・13~14年)

画像2

画像3

古巣サンパウロでは背番号8を背負っていたが、既にガットゥーゾが着用していたため、自分の誕生日である22番を選択。カカーと言えば「22番」。
テクニックとプレービジョン、閃きと高い身体能力を併せ持つ。その能力をいかんなく発揮したドリブルはテクニカルかつスピードがあり、相手は霞にまかれたように為す術なく抜き去られてしまいます。ミランへ移籍する際のメディカルチェックでは30メートルを3.8秒で駆け抜けたとのこと。
ミラン公式戦307試合104得点、セリエA223試合77得点と得点感覚も非常に優れており、まさにパーフェクト!MFというよりはセカンドトップと言った印象です。
06-07チャンピオンズリーグでは10得点と大暴れし、得点王と大会MVPを獲得しました。そしてこのシーズンは、FIFA世界最優秀選手賞(当時)も受賞するなど、まさにすべてを手に入れたと言っても過言ではない素晴らしいシーズンでした。
レアル、チェルシー、マンチェスター・シティなど、様々なメガクラブからのオファーがあったものの、カカー個人はあくまでミランに忠誠を尽くす姿勢でした。しかし、ミランの財政難から泣く泣く放出を余儀なくされ2009年ミランを去って行きます。レアル・マドリードでは一瞬の輝きは見せたものの、度重なる怪我で本来の姿は見せることが出来ず、2013年にミランに復帰。13-14シーズンのみではありましたが、カカーの姿を再びミランで観ることが出来るファンは幸せでした。
長身と可愛い顔立ちから(なのかどうかはわかりませんが)アルマーニのモデルも務めたこともありました。
また敬虔なクリスチャンであり、ゴールセレブレーションは天を仰いで神に感謝するもの。2000年に水の張っていないプールに誤って飛び込み重傷を負ったとき(脊椎損傷、極度の近視になった)のことを振り返り「あの難しい時期(半身不随になりかけた)を乗り越えられたのは信仰のおかげ」と語っているほどです。
なお、ジゴンことロドリゴという選手が2004年にミランのプリマヴェーラ(U-20チーム)に入団していますが、彼はカカの実弟です。元々FWの選手でしたが、マルディーニへの憧れから?CBへコンバート。トップには定着せず、レンタル移籍を繰り返し、2011年に放出されています。カカのレアル・マドリード移籍を阻む意味合いでの獲得だったとも言われていますが、真相はわかりません。カカー自身は「いつかジゴンとも一緒にトップチームでプレーしたい」と語っているのであながち効果がなかったとも言い切れないでしょう。実はカカという登録名は弟ジゴンがまだ幼い頃、兄のリカルドという名前をうまく発音できずにカカと呼んでいたことに由来するそうです。ミランのチームメイトからは本名に由来するリッキーと呼ばれてかわいがられていたようです。

06-07チャンピオンズリーグ決勝!

ここからは06-07CL決勝、因縁のリヴァプール戦を振り返るとともに、選手達を紹介していきます。

画像4

03-04シーズンCL決勝。リヴァプールに前半3-0で折り返すも、後半終盤に追いつかれ、PK戦の末、敗戦するという「イスタンブールの悲劇」は既にご紹介したと思います。この06-07シーズンは奇しくも、同カード。ミランにとっては雪辱戦でした。

結果は2-1でミランの勝利。大舞台にめっぽう強いインザーギが2得点の活躍で試合を決めました。通算7度目のチャンピオンズリーグ制覇。あれから13年の月日が経ちましたが、この優勝以降、現在までCL優勝は一度もありません。それどころか近年はCL出場はおろか、EL出場も満足に出来ていません。

先制点は前半終了間際の45分。ピルロのFKから生まれます。ピルロが蹴ったボール目がけて、体を投げだすインザーギ。その肩にあたり(当てた?)、起動が変わったボールはゴールへ吸い込まれます。

画像5

画像6

前半はリヴァプールの攻勢に耐えるシーンが多かったと思います。ヤンクロフスキやマルディーニのミスからピンチ招く場面が数回あり、ジーダの好セーブやネスタのブロックで辛うじて失点を免れています。カカーはマスチェラーノの守備に苦しみ、うまく立ち回れず、セードルフも押さえ込まれ仕事をさせてもらえない時間帯が続きます。時折、両サイドのヤンクロフスキやオッドからのクロスが供給されますが、すべてはじき返されてしまいます。苦しみながらも、カカーが得たFKを得点に結びつけたミランが先手を取った格好となりました。

後半は勢いづいたミランとリヴァプールの一進一退の息詰まる攻防が繰り広げられます。そして、82分。カカーからの完璧なスルーバスに反応したインザーキがキーパー(ペペ・レイナ:現在ミランからアストン・ヴィラへレンタル移籍中)をかわし、冷静にゴールに流し込み2-0。しかし、過去の悪夢を忘れてはいけません。89分にはCKからカイトに1点返されるものの、その後のリヴァプールの猛攻に耐え、試合終了。非常に見応えのある素晴らしい試合だったのではないでしょうか。

以下、私の好きな言葉です。

ファビオ・カンナヴァーロは最初の得点を見て、

「運ではない。これがインザーギだ」と呟いたという

wikipedia:フィリッポ・インザーギ より引用

しびれます。本当にその通りだと思います。

画像7

ここからはまだ、紹介していない選手たちを簡単に。。。

|ジラルディーノ 1982.7.5生 ITA

184cm/79kg FW (05~08年)

画像8

ミラン在籍は3年。移籍当初は定位置を確保したかと思いましたが、インザーギの復調やロナウド、パトの加入などで徐々に出番を減らしていきます。イタリア代表にも選出されるなど、その潜在能力は高く評価されていたものの、もう一皮むけることができない印象でした。ミラニスタからのブーイングもしばしば。しかし、ミランで90試合以上出場し、40点近くゴールを決めています。過小評価されていたのでは、、と個人的に思う選手です。あと、結構な男前でした。

|ジュゼッペ・ファヴァッリ 1972.1.8生 ITA

182cm/73kg DF (06~10年)

画像9

10年以上、ラツィオの不動の左サイドバックとして400試合に出場したファヴァッリ。スクデット獲得やコッパ・イタリア優勝など、ラツィオで数々の栄光を掴んだ男が、インテルに移籍。その後、ライバルであるミランに移籍してくるとは夢にも思いませんでした。ミランでは貴重な守備的左サイドバックとして重宝されていました。

|クリスティアン・ブロッキ 1976.1.30生 ITA

171cm/70kg MF (01~08年)

画像10

2016年、ミハイロビッチ監督の解任とモンテッラの監督就任の狭間で、ミランの監督を務めたブロッキ。もともと、ミランのプリマ出身ながら、トップデビューはプロ・セスト(現在セリエD)。ヴェローナ、インテル、フィオレンティーナを渡り歩き、再びミランへ。本職のMF以外のポジションもそつなくこなす、ユーティリティー性を持ち、様々な場面でチームを支える職人と言ったイメージ。ミランの中盤があまりにも豪華なので、便利屋さんのように使われていましたが、イタリア代表招集歴もある選手なのです。

|マレク・ヤンクロフスキ 1977.5.9生 CZE

183cm/82kg DF・MF (05~11年)

画像11

攻撃センスと戦術理解力が高く、ミランでは左ウイング、ときにはFWやセントラルMFも務めることもありましたが、本職は左サイドバック。チェコ代表でも活躍。非常に攻撃参加が多く、前線に多くのクロスを供給し、得点機を演出していました。キック精度が高いことから、フリーキックを蹴ることもしばしば。

|マッシモ・オッド 1976.6.14生 ITA

182cm/76kg DF (07~12年)

画像12

ミランのプリマ出身。トップチーム昇格を果たすも、出場機会に恵まれず、レンタル移籍を繰り返し、2000年には一旦、ヴェローナへ完全移籍します。しかし、12年ぶりにミランに復帰するとカフーとポジション争いをするまでに成長した姿をミラニスタに見せ、直後のCLでは優勝に大きく貢献します。彼自身、生粋のミラニスタであり、当時タレント揃いのミランで出場機会が得られるかどうか分からないなか、移籍を決めたのは、ミランへの愛が決め手だったとか。

|カフー 1970.6.7生 BRA

176cm/75kg DF (03~08年)

画像13

ブラジル代表のキャプテンを務め、4度W杯に出場し、2度の優勝を経験しているレジェンド!ロベルト・カルロスとカフーの両サイドバックはブラジルの大きな武器のひとつでした。
16年在籍したローマでは中田英寿のチームメイトでした。
そんな彼は、2003年に横浜Fマリノスへの移籍するはずでしたが、そこにミランが強引に待ったをかけ、違約金を支払って獲得。当時33歳のカフーに対してそこまでするのか?との懐疑的な声もありましたが、大当たりでした。すぐに右サイドの不動のレギュラーとなり、移籍してきた03-04シーズンのスクデット獲得に大きく貢献。豊富な運動量で右サイドを何度も往復し、素晴らしいクロスを供給するサイドの支配者。イタリアでは「ペンドリーノ(新幹線)」とも呼ばれていました。大ベテランになってもまだまだやれると誰もが思っていた矢先、07-08シーズン終了後に惜しまれつつ引退。
また、当時ブラジル人の多かったミランで彼らのお父さん的な存在だったとか。ブラジル人が移籍してくると自ら運転し、ミラノ市内を案内し、練習場まで送っていく。その車中で新天地での不安を少しでも和らげる手助けをしていたそう。

プレーだけでなく人柄も素晴らしい選手でした


本日はここまで。。なかなか終わらないアンチェロッティ時代😁かなり、省略して書いていますが、まだ書き切れていません。はやく現在に追いつきたいところですが、、、マイペースにいきます。

現在のミラン。ラングニック騒動に決着がつき、現監督であるピオーリの続投が決まりましたチームとしての団結力や強いリーダーの存在など、この頃のミランと重なるものがないでもないかなぁと個人的には思っていますが、懐古主義と笑われてしまいますかね。ともかく、ミランというクラブを応援することに変わりはありません。ミラニスタのみなさんもそうでないかたも、今後のミランに注目しましょう!では、また。。

この記事が参加している募集

スキしてみて

すごい選手がいるんです

もっともっとミランもしくはダニエル・マルディーニのちょっと変わった記事が頻繁に読みたいあなた!サポートをいただければその願いは叶うでしょう!お金もらう以上は定期的に記事をお届けしまっせ!