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最近の記事

Tonikakuという天使

今年の6月頃、ルーブル展を観に行った。絵の中の天使たちが色んな手法でちんこを隠していて、とにかく明るい安村さんが海外でウケる理由がわかった気がした。西洋の人たちはあの芸の楽しみ方を何百年も前から知っていたのだ。 Tonikaku(とにかく明るい安村)は紛れもなく天使だった。 Tonikakuは人間ではなく天使、という目線で見ると「とにかく明るい」という言葉にも別の解釈が生まれてくる。明るい、という言葉が、陽気=内面的な話ではなく、雲間から差し込む「光」や、天使の輪の「光」

    • おばけはえらい

      おばけは本当に偉い。死後の世界のネタバレをしないからだ。物音を立てて脅かしたり、体調不良にさせたりするおばけはいるが、もしも自分がおばけになって生きてる人の前に現れることができたら、死後の世界のネタバレをベラベラと喋ってしまうと思う。地獄の気温とか天国はフワフワだとか、輪廻で目が回って酔わないようにする方法とか。なんなら心霊スポットに後輩のおばけたちを集めて、肝試しに来たヤンチャな子に向けて「おばけが選ぶ、本当に棺桶に入れて欲しい物ベスト10〜!」とか勝手に番組みたいなことを

      • 魂と肉体

        自分の肉体を自分の魂のペットとして「自分の散歩」ということで毎日ジョギングをしている。そのおかげで10キロくらい痩せて、体調もいい感じがする。 実は昔にもジョギングを趣味にしていたことがあったのだが、そのときは「健康のためにジョギングしてる人は死に向かってゆっくり歩いているけど部屋で寝ながらプリングルス食ってる俺は死に向かってジョギングしてる。だから俺の趣味は(死に向かっての)ジョギング」というキモい一休さんみたいな考えからくる「逆方向へのジョギング」だったので、まともに(ま

        • 環境問題とお笑い

          「爆笑問題とお笑い」に見えてしまい、このテーマ辞めようかなって思ってしまった。 しかしそれは逆で、爆笑問題という文字を見て環境問題と見間違うようでなければらないと思う(は?) 「お笑い芸人」という名前のヤバさは一旦置いておいて(感情表現が名前に入ってる職業なんて他に存在するのだろうか。お涙大工とか)お笑いは環境に悪いのだろうか。確かに芸人はよく喋り、人間と車のハーフかと思うほど二酸化炭素を排出している。照明という太陽を浴びてこれでもかと二酸化炭素を排出する姿は逆植物とも言える

        Tonikakuという天使

          鏡について

          鏡は本当は作られてはいけない物だったと思う。少なくとも「まだ」作られてはいけない物だった。自分の姿を知る、というのは人生のゴールで、そのためだけに寿命をまっとうするのもいいものだろう。鏡はこの世のネタバレであり、神も最初鏡の存在を知ったときはそのとき創ってるもの(エッチな形の野菜とか)の手を止めて頭を抱えたと思う。雨上がりの翌日の水溜り、終電の窓ガラス、ポケットビスケッツのCDの裏面など、神がこの世界を創造する際に遊び心で「自分の姿を知る」ヒントを仕掛けてくれたのに台無しであ

          鏡について

          飯論

          全ての食べ物はゴッホである。なぜなら死んだ後に評価されているから。自分が美味しいということに気づきながら生きている生き物はいないと思うが、ウニやら海老やらは宇宙を感じる見た目でやはりゴッホ的な、誰かが食べてから(死後)評価されたに違いない。どう見ても美味しそうな見た目のもの、つまり生きているうちから評価されていたピカソ的な食べ物は何かないか考えてみたが(赤ちゃんの目になってスーパーを見渡したりしてみた)やはりどれもゴッホで、中にはゴッホすぎるゴッホゴッホなものしか無かった。葡