魂と肉体

自分の肉体を自分の魂のペットとして「自分の散歩」ということで毎日ジョギングをしている。そのおかげで10キロくらい痩せて、体調もいい感じがする。
実は昔にもジョギングを趣味にしていたことがあったのだが、そのときは「健康のためにジョギングしてる人は死に向かってゆっくり歩いているけど部屋で寝ながらプリングルス食ってる俺は死に向かってジョギングしてる。だから俺の趣味は(死に向かっての)ジョギング」というキモい一休さんみたいな考えからくる「逆方向へのジョギング」だったので、まともに(まともか?)ジョギングするのは初めてかもしれない。
2ヶ月前、初めはコントのような感じで「肉体を魂のペットだと思いこむ」ジョギングを始めたのだが、なんだか自分自身だと思っているよりも、自分の(魂の)ペットだと思っている方が自分(肉体)のことを愛せてしまっている。(ペットはすごく可愛いので)

ダイエットのためにこの「自分の肉体を自分の魂のペットと思いこむ」ことをしているのだが、それとは別に元々の考えとして「自分の肉体は自分の魂の乗り物」というのがある。
僕は昔からよく意味不明な怪我をする。この前もわかってはいるのに体が動かずガストの配膳ロボットに轢かれかけた。これが一般的に言う運動神経やリズム感なのかわからないが「自分の体をうまく乗りこなせていない」という感覚がどこか常にあった。自分の体に初心者マークのタトゥーを入れようとしたこともあったくらいだ(一生初心者じゃんと思ってやめた)。そんな自分のように自分の体をうまく乗りこなせない人のための施設「人体の教習所」があったら良いなと思う。何をしても怪我しない屈強な肉体の教習体(きょうしゅうたい)(教習車のようなものだと思ってください)に乗って色々なことをして、試験に合格すると人体の免許証が受け取れる。教習体にはもちろん試験官の魂も乗っているので「そこジャンプ」とか「変なとこ曲がってるよ」とか言われるだろう。免許を獲得したのにずっと寝てばかりの肉体ペーパードライバー生活も楽しそうだ。

魂が体の中のどこにいるのかはわからないが(肉体と同じ形をしてミチミチに人の形をしてるのかもしれない)イメージしやすいものとして心臓だとする。心臓がこの肉体という乗り物の運転席である。人間は大抵の人が左に心臓があり(チャンス大城さんなど稀に右に心臓がある方もいるらしい)僕も左に心臓がある。ということは僕は外車なのだ。左ハンドルの外車。そう思うとこの体もなんだか悪くない。まだ経験が無いのだが、鼻につく金持ちがピカピカの外車を自慢してきたら「いや自分も体、外車なんで」と言ってみたい。

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