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ひらいて。

ひらいてを見た。

作品や原作本に関することは書かない。いや、書けない。

見て、自己投影して、ああ私もこうなのかもしれない。そう今の自分が思ったリアルタイムでの一時的な結論のようなものを記録したいだけ。


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主人公の愛は激しい恋慕のためにエキセントリックでかつ、相手を傷つける行為を平気でとる。自分のことを大切にできず、他人にも興味がないゆえに他人に求められている姿を体現してはのらりくらりと欲しいものは得て、いらないものは捨て、自分の欲望に忠実に、そして我慢のきかない暴走的なエンジンを抱えて生活している。


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恋とはなんだろう。愛とはなんなのか。時折、考える。

答えはないし、恋や愛という言葉しか日本語には言い表せる言葉がないのが私は時々もどかしく思う。もっと多言語を知っていれば、この複雑な感情に限りなく近くて言い表せる言葉があるのだろうか。いろんな温度の血管が複雑に絡み合って綯い交ぜになったようなこの感情を。そんな様子を想像してみたら脳裏にナポリタンが出てきた。

そして私はここ十年以上、恋というものをしていない。誰かを好きになってもいない。

気を許している人でも好意を向けられると居心地が悪くなってしまう。インスタントのコーンポタージュを飲んでいて、底の方に溜まった粉末のぬかるみを口にしたときのようななんともいえない不気味な感覚が胸に広がる。女性としてなにかを褒められたときなんかにはもっと居心地が悪い。梅干しの種を誤って噛み砕いたときのような感覚だ。


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彼女と私は全くもって違うけれど、彼女を通じて思ったのは本当は別にいらないのかもしれないなということ。

「私のものになって」と彼女は言うけれど、手に入った途端いらなくなるのも彼女なんじゃないかと思う。

私も恋人というものに憧れたり、欲したりする瞬間がある。

けれど、彼女を見ていて思った。経験がないから、得たことがないから、欲しくなっていただけなんじゃないかなと。

ないものねだりをしているだけなのかもしれないなと。

そう思うと、なんだか胸の内がすっきりとした。

だって私は一人が好きだもの。

二人もそれはそれでもちろん好きだし、三人以上になると困ってしまって私の特技だといえる『空気になる』を発動してしまうけれど。

明日のことは分からない。けれど、今はこうして連絡を自ずと取り合ったりするようなつかず離れず互いに結ぶことを選んだままでいる繋がりを大切にしようと思う。


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そういう人が自分のまわりに二、三人いるだけで充分素敵な人生さ。きっと。

私も愛ちゃんのように複雑で名前も分からないままでいい ”特別なだれか” と出会う人生を揺蕩うように、微睡むようにゆっくりと歩んでいきたいものです。


一生を誰にも託さない者に幸あれ                       フェルナンド・ペソア


大好きすぎる言葉で締めます。

では、ばいなら。


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