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スポーツの本質を追求する/Insight #10 イベントレポート

スポーツの本質とは何か?今回は山梨学院大学スポーツ科学部教授の笠野英弘先生に、スポーツ社会学の観点から、またこれまでのご自身のご経験もふまえながらお話しいただきます。

先生は現在、同大学にて「スポーツ社会学」、主にドイツや日本のスポーツ組織を研究する傍ら、サッカー部(男女)の部長も兼務されています。


<登壇者紹介>
ゲスト 笠野英弘氏
山梨学院大学スポーツ科学部教授、博士(体育科学)

ゲストコメンテーター 續木智彦氏
西南学院大学サッカー部監督

司会進行 和田タスク
前FC町田ゼルビアスタジアムDJ

チャレンジしていく愉しさがスポーツの本質

タスク:第10回のインサイトは、「スポーツの本質とは」というテーマで、笠野英弘先生をゲストにお迎えしています。よろしくお願いします。
先生はご自分でもサッカーをされ、大学卒業後にサッカー留学もして帰ってこられたそうですね。その後、筑波大学大学院の修士・博士課程を修了して、「筑波大学体育系特任助教授」として任期付きで勤められたと。

笠野:その任期が終わるとき、スポーツ科学部を新たに作るということで山梨学院大学に呼んでいただいて、今もずっとそこで勤めています。「スポーツと社会との関係」が専門で、どうしたらもっとスポーツがよくなるのだろうと研究をしています。

問題意識としては、「日本のスポーツに対する考え方や価値観」が海外と比べると窮屈で、心から楽しめる環境をスポーツに関わる人たちが作っていかなきゃいけないんじゃないかと訴えたいです。

タスク:2019年にはマリーニョさんと共著で「子どもにサッカーの“本質”が伝わる本」(東邦出版、A・P・マリーニョ共著)も出されていますね。

笠野:実はマリーニョさんは私の義理の父でして。サッカーについていろいろ語り合う中で同じような考えを持っていて、ぜひ本にしようという話で一緒に進めました。


タスク:「スポーツの本質」という言葉をどう捉えていますか?

笠野:「人間の本質は」とか「社会の本質は」というように、何か普遍的なものがあるというような考え方をするのが哲学で、社会学では、社会が変われば本質も変わり変化していくものという捉え方をするんです。

古代オリンピックでは人と人、あるいは人と猛獣のどちらかが死ぬまで戦い勝敗を決めて楽しむのがスポーツとして思われていましたが、現代では、暴力はだめだと変わってきてます。ルールだけではなく楽しみ方などさまざまなことが変わってきている。ただ、スポーツを「楽しむ」ということ自体は変わっていないんじゃないかな。

タスク:先日、フットサル審判の担当だった先生が、楽しいというのは「楽」ではなくて、「愉」のほうに近いんじゃないかっていう話をしていました。これについてはどうですか。

笠野:「楽しむ」を社会学者たちは分類し、定義づけをしています。仕事や勉強など日々の慌ただしさから逃れて「今日はもう1日寝ていよう」という楽な楽しさではなくて、「このような練習をすればこういうプレーができるかもしれない、この人に勝てるかもしれない」と、チャレンジしていく「愉しさ」がスポーツの本質なんじゃないかというふうに思ってます。

タスク:低年齢のうちから、「好きなようにしなさい」と育てられた人と、ある程度の規律やルールにもまれながら育ってきた人とでは、社会の中での人間力に差がある気がしていて。
これは、「楽しさ」と「愉しさ」に当てはまるのではと思います。何かに挑戦していくのは、教育にも非常に影響が大きいのでは?

笠野:近代スポーツは、イギリスのパブリックスクールから始まり、トーマス・アーノルド校長がスポーツを教育に結び付けたといわれています。当時のスポーツは古代的な要素を持ち暴力的なものでした。そこで、アーノルド校長はトーナメント戦ではなくリーグ戦を考えました。負けたら終わりのトーナメント戦と違い、リーグ戦は必ず次の試合があります。
たとえ勝っていても、自分のチームに負傷者がいっぱいいたら、人が足りなくて出れません。相手も一緒で、せっかく試合ができても相手の人数がそろわないとできない。

そういう環境から、「相手をけがさせないルールにしよう」など、生徒自らがルールを決めるように。トップダウン的に規律を与えるのではなく、生徒が自ら身につけられるシステムを作れたのです。


ひとつに決まってないところが、スポーツの価値

タスク:サッカーがメジャーなのは、整備されたルールの中で自分たちで考える要素がプラスされているから夢中になるという楽しさがあると思います。他のスポーツとの差はなんでしょうか?

笠野:サッカーは、「手を使わない」というルールがあるからこれだけ世界に広まったんじゃないかと。他のスポーツは、ほとんど手を使うと思います。手を使えないこと自体がむずかしいし、挑戦してできるようになっていくっていう可能性を秘めている。

タスク:⼈類は挑戦することを本能的に楽しいと思う。⼈⽣において⼤事な要素がたくさん詰まってるスポーツの価値が⽇本は低いんじゃないかと思うんですけど。サッカーの価値って、もっと⾼くなってもいいのでは?

笠野:たかがサッカーという考えが、⽇本ではやっぱり強いんじゃないかな。困難にただチャレンジするだけじゃなくて楽しむことがスポーツだとすれば、今の環境問題、戦争問題など解決できないような社会問題を楽しみながら解決する⼒がスポーツを通して⾝に付いてるんじゃないかな。これこそが、スポーツの大きな価値の一つだと思っています。

タスク:スポーツにチャレンジするということは無⾊透明ということですか?

笠野:⾃分たちでルールを創造していくような価値もあるし、そうじゃないところに価値を⾒いだしている⼈たちもいると思うんです。スポーツの価値は無⾊透明だからこそ世界中の誰もが自由に意味づけできる、何かひとつに決まってないところが、スポーツの価値じゃないかと思うんですよ。

タスク:笠野先生自身はスポーツに対してどのように価値を感じていますか。

笠野:何かひとつに決めるということが価値を限定しちゃうってことになるので、そのときそのときに変えてます。プレーするときには楽しむ、それによって友達もたくさん増える、また海外で生活することもできたりとか。今、まさにスポーツを仕事にできているわけですし。

タスク:今後、日本がスポーツに対して、価値を見いだしていけるためにはどうしたらいいですか。

笠野:スポーツは明治期に欧⽶から⼊ってきて、教育機関の中でスポーツというものが普及していきました。教育機関ですので、規律を守らせるためにスポーツをさせるとか、教育的な側⾯ばかりを強調しすぎてきたので、遊びでやるのは意味がない、教育的なスポーツをやりなさいっていうのが、⽇本の強い傾向と思ってます。

タスク:色を決めて落とし込んでしまったということですね。

笠野:ヨーロッパでは⾃分たちでスポーツのルールを作ってたんですけど、⽇本に⼊ってきたときには欧⽶のルールで⼊ってきたので、ルールに従ってやらなきゃいけないっていう形のままです。

タスク:決まったものとしてルールを守っている僕らは、スポーツを半分も楽しめていないかもしれないですね。


⾳楽は⽂化で、スポーツは何かのためにやるもの

タスク:スポーツがもっと⽂化的に価値を上げるには、どう指導したらいいのでしょうか?

笠野:⾳楽って、誰もが年齢も性別も何も関係なくみんな聞くと思うんですね。例えば、シニアサッカーをやってると、「なんでその年までそんな頑張るんですか?」とか⾔われると思うんですけど、⾳楽は「なんでその年になってまで⾳楽聞くんですか?」なんて絶対に⾔われないと思うんです。

⾳楽は⽂化で、スポーツは何かのためにやるものだから「なんでそんな無理してやるんですか?」という考えになる。

タスク:私たちがスポーツを「愉しむ」ためにはどうしたらいいですか?

笠野:スポーツ庁が、スポーツでの経済・地域の活性化や国際貢献などの価値を唱えて「そのためにスポーツをやるんだ!」というような言い方ばっかりなんです。

考え方を変え、「スポーツは好きだからやっていた。すると健康で病院にも行かず高齢者になっても元気だった。」「自然と国際貢献になっていた。」という考え方を、日本人に示していくことが大事です。

タスク:どうやってこれを広げていったらいいですか?

笠野:私はスポーツ組織だと思うんです。サッカーであれば、日本サッカー協会の役割だと思っていて。スポーツ組織は、競技レベルの向上、トップレベルの強化、そういう側面ばかりを強調して「うまくて強い人がすばらしい」っていうシステムだし、そういう価値を与えてきたと思うんです。

そうじゃなくて、競技レベルは低いけど、純粋にスポーツを楽しんでる人たちも組織として認めていくことがもっと必要なんじゃないかな。例えば協会がそういう人たちを、表彰制度などで認めていくのがいいのではと。

タスク:そうなってくると續木先生は表彰されますね。先生はその挫折を味わってる選手たちにもすごく声かけてるというか、「もう1回楽しくサッカーやろうか」っていう部分でも選手たちにアプローチしてるじゃないですか。

續木:ありがとうございます。高校でサッカー嫌いになっちゃうことが多いから。そういう子たちにもう1回サッカー楽しいって思ってほしいなと思うし、みんな好きでやってるからね、元々は。

笠野:續木先生のように、そういうところにまで思いをはせられる協会になっていかなきゃいけないと思うんです。ただ客観的に何か記録として残るものでもないので難しいんですけど。

スポーツ関係者の人たちが「今の子どもたちはテレビゲームばっかやってスポーツはやらない。」と。それはその子たちの問題じゃなくて、スポーツに関わる我々がスポーツを楽しいと思わせられなかったからそうなってるわけで。「スポーツをやったほうが楽しい」と思えれば、絶対子どもたちだってやると思うんです。


皆さん、たくさんのコメントありがとうございました

制限がないと価値観は完成しないので、枠があるから⾃由がある。枠組みのない⾃由はただの無法。

笠野:よく議論される「自由と規律」の議論だと思うんです。やっぱり自由っていうのは、まさに規律があるからこその自由です。ただ規律や制限を一方的・トップダウン的に与えるのではなくて、アーノルド校長先生のような、自分から規律を守ろうとする仕組みを周りが作ってあげるっていうことが大事だと思うんです。教えないけれども、そういう枠組みに自分から気づけば入っていたというのが理想です。

スポーツが目的のための手段ではなく、子どもが目的なく遊んでるようになればいいですね。

笠野:スポーツ社会学では、「自己目的的なスポーツ」と「手段的なスポーツ」があるといわれています。どちらかというと、日本では後者に価値があるって言われてきた。

でも、本来はスポーツそのものが楽しいから、ただ好きだからやっていて、その結果自然と別のところに結びついていくのがいい。周りの人たちこそが重要で、本人は気づかないけど導いていってあげるっていうのが指導者の役割だと思うんですよね。

タスク:ジュニア年代の選手たちを見ることも多いのですが。勝敗がつくスポーツだからこそ「どうやったら勝っていけるか」という落とし込みが多くなってしまう。「純粋に楽しい」ってところも残していったほうが僕らもいいってことですか。

笠野:いや、それはよく昔に「運動会で順位をつけるかどうか」という議論もありましたけど、そうじゃなくて、「挑戦する楽しさ」を考えたときに、勝つために何をチャレンジしていくのかっていうところが大事です。あまりにもハードルが高かったり、低かったりすると、それはそれでつまらない。

自分がちょっと努力して、何かうまく工夫すれば勝てるかもしれない相手と試合をさせることによって楽しみができるという、そこら辺の仕組みをうまく作っていくのが指導者だと思います。

笠野:ただ、結果をまったく考えないのがいいかというとそうではなくて、例えばスポーツジムのダイエット企画のように、結果を手段としてスポーツを捉えて勧誘するのは別に悪いことじゃないと思うんです。痩せるためにダイエットしていたら、結果的に体を動かすことが楽しいから続けるという場合がありますよね。スポーツの過程の楽しさを伝えていくと、長く続ける人が増えるんじゃないかなと思って。

タスク:ぼやっと思っていたことをしっかり言語化していただいた気がして、ありがとうございます。續木先生はどうでしょうか?

續木:僕は自分のことを思い返しました。原点は笠野先生と同郷で一緒にサッカーをやってたこと。それって、今の人生にとってすごい大事な環境だったんじゃないかなって。サッカーと出会えて、その楽しさを教えてくれた指導者がいて、環境があって、仲間がいて夢中になれた
僕も今、スポーツでご飯食べさせてもらってるし、そういうところに繋がってるんだなって思いました。


次回の案内と「The Blue Print」のお知らせ

次回は2月2日(金)の午後8時〜いつも通りの時間です。詳細は決まりしだい、随時アップしていきます。

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