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コーチングで、私が"私"を取り戻すまで


こんにちは。あべかおりです。

私はいまコーチングを学んでいます。

ここでは、

私がなぜコーチングを学ぶに至ったのか?

ということについて書こうと思います。

それは同時に、私が一度は失いかけた”私”を、再び取り戻すまでの道のりでもありました。


コーチって何する人?

コーチという職業について初めて知った日のことは、今でもよく覚えています。

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エリック・シュミット著「一兆ドルコーチ」に登場する、ビル・キャンベル

「コーチって、スポーツの世界の話でしょ?」と思っていた私に、

「対話をしながらその人の本当の願いを引き出し、その実現に向けて導く人のことをコーチと呼ぶんだよ。」

と説明してくれた知人がいて、

この世界にそんな魅力的な仕事があるなんて!

と、衝撃を受けた記憶があります。

溢れ始めていた水

そんな私が実際にコーチングを学び始める少し前、世の中は既に"コロナ禍"に突入し、変化の真っ只中でした。

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初夏にもかかわらず人影まばらな逗子海岸

日常が変わり、労働環境も混沌としていましたが、当時チームマネジメントを担っていた私はメンバーを不安にさせたくなくて、つとめて気丈に振舞っていました。

ミーティングを分刻みでこなし、その隙間で家事をこなし、リモートワークする自宅から出る暇もない毎日。

誰かと他愛ない話をする機会も少なく、考える必要があることだけをひたすら考えて実行する、倍速再生のような日々を繰り返していました。

今思えばこのあたりで既に、コップからは水が溢れ始めていたのだと思います。

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感情をミュート(消音)する

そして同年の夏、私のもとに悲しい出来事が訪れます。

妊娠発覚から数か月後に、私は流産を経験しました。

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「辛い」「悲しい」「痛い」
「なんで」「どうして」
「ごめんなさい」
「寂しい」「苦しい」「助けて」
「放っておいて」

その時ばかりは、まるでダムが崩壊したかのように、私のなかにたくさんの感情が押し寄せました。叫びに似た声も聞こえました。

しかしそんな状況下でも、時間は永遠に止まってはくれません。

それらを抱えながら倍速再生の日常を生き抜くことがしんどくて、私は反射的に、感情のボリュームを0にしました。いっそ心を無にしようと思ったのです。

そうすることで自分の中に平穏を取り戻せたと、その時は感じていました。

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そんなのは嫌だ

やっと調子が戻ってきたと思っていたある晩、急に泣きたくなりました。

夫が驚いて、「どうしたの?」と尋ねるのですが、どうしたのか自分でもよくわかりません。でも涙はどんどんあふれてきます。

そこから何日かそんなことが続きました。

次第に、私の中には危機感が募っていきました。

このまま感情と向きあうことから逃げていたら、なぜ泣きたいのか、自分が何を訴えたいのか、そんなことすらわからなくなるのかもしれない。

そんな自分になってしまうのは嫌でした。

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心に霧がかかったように、自分の感情が見えなかった。

私を突き動かした願い

実はこの事が起きるもっと前から、私は感情のボリュームを下げ続けてきたのかも知れないと、今これを書きながら感じています。

生きるうえで、自分の感情と向き合い続けるというのは決して容易なことではなく、それをしないほうがスムーズに運ぶこともたくさんあるからです。

しかし、もし心がそのまま錆びついて、その声を二度と聴けなくなってしまったら、絶対に後悔する。

そうなる前に私は、"私"を取り戻したい。

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そして、コーチングを学び始めました。

それは私にとって、感情とともに歩む旅路の幕開けでもありました。

全部抱えて生きていく

そんなわけで私はいま、コーチングを学んでいます。

コーチングを通して自分の感情を少しづつ受けとれるようになってから、

そうして生きる日々は、思っていたよりもずっと豊かで色鮮やかだなぁと感じています。

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だからこそこの先、自分と約束しておきたいことがあります。

それは、どんな感情も置き去りにしないこと。

つらいことも、しんどいことも、こんなの嫌だ!と思ったことも、

なかったことにはできないから、全部抱えて生きていく。

その道は必ずしも楽しいばかりではないかもしれないけれど、それにはきっと何か意味があるのだと思います。

感情をミュートした日から一年ほどたった今、改めて全身にみなぎる感情を噛みしめながら、

私はようやく、心に穏やかな空気が流れるのを感じ始めています。








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