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読書メモ_「共同幻想論」吉本隆明・「21lessons」ユヴァル=ノア=ハラリ

2011年ハラリが「サピエンス全史」で述べたことを、1968年に吉本隆明は「共同幻想論」で喝破していた。未来に向けて「フューチャーネーション」で述べられている考察とともに、今何が起きているか、について考えるメモを残しておきたい。

歴史学者のハラリは、社会の発展は「神話」を生み出せるかどうかにかかっている、という素晴らしい洞察をしている。人間は神話によって旧石器時代の小集団から、はるかに大きい、それゆえに名前も知らないもの同士のコミュニティへと進化できたのだ、と。例えば貨幣制度。「1万円紙幣は原価20円であるが、日本のどこでも1万円の価値があると信じられている」というようなことである。この共通認識(神話)が、大規模な土木工事や、外敵に対する攻防を可能にした。

神話が作られる過程では、2元論はとても有効に作用する。映画やある政体にとって、敵/味方という構図はシンプルであり没入を生み行動を喚起しやすい。しかし現代の世界はそれほど単純ではない。西洋という言葉一つとってももはや定義は一様ではないし(フューチャーネーションP.82)、複雑系や、国家を超えたイシューがあるなかでは、そもそも全貌を理解することすら難しい

吉本隆明は共同幻想を国家の起源に求めたが、現代ではそれは「情報社会≒共同幻想」なのだという。現代社会の全貌がわからないが故に飛びつきたくなる画面上の情報が、共同幻想を帯びるというのだ。不安に襲われている私たちは、真偽不明の情報を信じるあまりに翻弄され、「多忙な時代」をさらに助長してしまう。(注:評者先崎氏)

人はなぜ生きるのか、個人としての自立だけではなく共同体として神話を信じたくなる弱さとどう向き合うべきか。信じるとは何か。それは生きることにとって必要なことなのか?

全体像について考える余裕と言うのはなかなか手に入らない贅沢だ。ムンバイのスラムで苦労してして2人の子供を育てるシングルマザーは、次の食事のことしか頭にない。地中海の真ん中で小舟に揺られている難民は、陸影を求めて血眼で水平線を眺め回す。混み合ったロンドンの病院で死にゆく人は、残る力を振り絞ってあと一度、息を吸い込もうとする。彼らはみな、地球温暖化や自由民主主義の危機よりもはるかに切迫した問題に直面している。(21 lessons p.8)

沈黙の有意味性(中略)これは次のような意味を持つと考えられます。生活者は普段から、知識人のように声高に政治的意見をまくしたて、激しく国家を論じることはない。日々の生活と労働を黙々とこなし、一人ひとりなすべきことをやっています。自分の生活リズムを決して手放さない、この不器用さを「沈黙」と名付けよう。彼らの沈黙は特段、政治問題に関心を示すわけではない。でも国家(中略)とりわけ法的規範が日常の生活リズムを奪う時、彼らは個人的な生活感覚から、それをおかしいと考え始めます。知識人の誘導によって政治問題に駆り立てられ、走り出すのではなく、生活が乱れるから政治に注目するのだ。こうした態度を「沈黙の有意味性」と呼ぶことにしようーー。(共同幻想論NHK p. 116)

1人に1つ、かけがえのないドラマがある。それは知識人に操られ群集化するのとは違う、地に足のついた匂いも手ざわりもある生活実感のことです。平凡が非凡であること、非凡な営みに支えられて、ようやく日常という秩序が成り立っていることに気づくこと。この「気づき」を吉本は「裂け目」と名づけ自立するための根拠だと強調しているのです。(共同幻想論NHK p. 118)

昨日の都知事選投票率は55.0%であった。比較は難しいが、2020年1月台湾総統選74.9%、2019年6月デンマーク総選挙84.5%である。

都知事選の結果を見ながら、考えていたことのメモ。

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