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親への恨みが沸いてくる人へ。

怖いタイトルすぎる。


自分の親のことを、
「あの人はああいう人だから、もうあんまり考えないようにしてる。」
って心理的に距離を置いている人って結構多いです。

でも、もう少し話を聞くと、心の奥には
ドロドロした気持ちや、幼い頃の悲しさや寂しさが出てくる方もいたりします。

堰を切ったように親への恨み辛み、あれをしてくれなかった、こう扱われたと話し始める人もいます。

一緒にいてくれなかった。
褒めてくれなかった。
兄弟と比べられた。
やることなすこと反対された。

いつも言うようにそこには、
『愛してほしい』
『わかってほしい』
があります。



普段は、親に対する自分のネガティブな感情って隠れていると思うのですが、
ふとした誰かの一言や、まだ親が生きている場合は、親とのやり取りの中でその気持ちが沸いてきて、

そう言えば、あの時も辛かった、あの時も悲しかった、と腹が立ったり、泣きたくなったりすると思います。

こういうとき、無意識は何をしているかというと、

根底に眠っている『親を許さない』という気持ちを【忘れないように】時々思い出して反芻しているのです。

記憶というのは、反芻することで強固になります。
記憶が強固になれば、それにくっついている感情も強固になります。


記憶が引き出しに入っていると想像してみてください。

『親を許さない』という記憶が引き出しの”奥”に入っていると、探すのも一苦労だし、いつかあることも忘れてしまうかもしれません。
ですから、時々引き出しを整理して、
『親を許さない』というのを一番”手前”に並べ直し、またしまい直す。ということをしているわけです。


なぜ、そんなしんどいことをするのでしょう。
許してしまえば、楽になるのに。
愛してしまえば、楽になるのに。

『親を許さない』という心を抱えている人は、
親に対する怒りや悲しみと同時に、
親を愛することができない自分のことも責めています。

親を責めている自分にも、
親を愛せない自分にも罪悪感を持ちます。

罪悪感を持っていると、
こんな私が幸せになれるはずがない、幸せになっていいはずがない。という声がずっと聞こえている、という状態なので、
無意識に自分を幸せにしない選択をしたり、

自己価値の低さから、
判断を外の世界に求めてしまうことが多くなります。
(自信がないので、他人のイエスがなければ動けない、とか承認欲求が強くなったりとか。)

『親を許さない』人にとって、罪悪感は宝ものです。
罪悪感を持ち続けることによって、
自己肯定感を低く保つことによって、
自分を責めることによって、

「私がこんなにダメな人間なのは、誰のせいでしょうか。」
「私が幸せになれないのは、あなたの子育てが間違っていたからだ。」という復讐をしているのです。

そして同時に、
「こんなダメな私にしたのは親であるあなたなんだから、なんとかするのは親の役目でしょう。」という大人になりたくない自分(依存)もそこにいます。

残念ながら、いくら自分が復讐のための罪悪感を持っていても、親にわかってもらえる日はきません。

そして、親がまだ生きている場合は、わかりやすく今の自分の不幸を親に示す、という方法が取れますが、
小さい頃に離れていたり、なくなっている場合は、パートナーに親が投影されることがあります。

こうなると、復讐の恋愛をするはめになります。


ここまで書いたことは、全て、無意識のやることです。
あなたが意識して、自分を不幸にしたり、親に依存し続けたり、ということはないと思います。


この鎖を切る唯一の方法は、
心の底から『自分の手で自分を幸せにしてあげる』と誓うことと、
心の底から『親を許す』と誓うことです。

きっと、
半分の方は

「でも。」というでしょう。

それがあなたの無意識です。
親を恨み続けることで、子供でいつづけることができるからです。


親に幸せにしてもらうのではなく、
もう大人になろう、自分の手で自分を幸せにしてあげよう、
そう決めた時、あなた自身の人生がやっと始まると思います。

きっと、
ここまで読んで、あと半分の方は、
「もう親に幸せにしてもらおうとは思っていない、でも。」というでしょう。

その『でも。』はなに?
親御さんに、言っていない言葉はなんでしょう?

そして、あなたはどうしたい?
どうなりたい?

愛をこめて
elly

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