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「作品主義」を超えて

九ヶ月ぶりのノートルダムの鐘。
そして、五年七ヶ月ぶりの飯田達郎さんのカジモド。

ノートルダムの鐘という作品そのものの良さについてはこちらで語っているので今回は省略します。(雑)

劇団四季ミュージカルの特徴の一つに、徹底した作品主義という考え方がある。
「知名度のある俳優の人気に頼って集客をするのではなく、作品そのものが持つ感動をストレートにお客さまに届ける」ことを第一優先するということだ。
だから公演ごとに毎回オーディションが行われるし、キャストスケジュールは直前まで分からないし、予定されていたキャストが当日しれっと変わっているなんてこともザラにある。
つまり、やや乱暴な言い方をすると、きちんとその役を演じ切れる演者であれば、誰が演じるかはさほど重要視されないのだ。

しかし、そうなると大変なのはオタクたちである。
いくら作品主義とはいえ、長年ミュージカルを観ていると好きな演者さんの一人や二人生まれてくる。
しかし私たちは、彼らがいつどこでどの作品に出るのか正確にはまったく分からない。
過去公演のキャストや、たま〜〜に公式から供給されるキャスト候補と練習風景の写真から推測はしてみるものの、公演ごとに多いときは五人ほどで一役を回すこともあるので、自分が行く公演に「推し」が出るかどうかはもはや運でしかない。
100%推しが出演するヅカオタに「キャストガチャ」と驚かれながら、私たち四季オタは誰が出るかも分からない半年以上先のチケットを取るのだ。

私にとって、ノートルダムの鐘のカジモド役・飯田達郎さんがまさにそれだった。
日本初演キャストにして未だに公式の作品紹介動画にも使われ続ける伝説のカジモド。
2017年8月に私が初めてこの作品を観たときの演者がまさに彼で、その声と迫力に終始圧倒されたのをよく覚えている。
しかしそれ以来、私は一度も観ることができていなかった。

いや、カジモドには何度も会った。
そして、飯田達郎さんにも何度も会った。
しかし、私が一番会いたかったのは「飯田達郎が演じるカジモド」だったのだ。

二週間前からキャストスケジュールとにらめっこしながら当日のキャストを予想し、キャスト発表当日には何度もページをリロードしながら更新を待った。
「飯田達郎 4日(夜)」
その文字列がどれほど嬉しかったか。

五年以上ぶりに達郎カジに会える喜びに胸を踊らせながら、一方で私は少し不安でもあった。
あまりにも達郎カジを神格化しすぎているのではないか、昔の記憶を美化しすぎているのではないか、期待を膨らませすぎない方が良いのではないか。
予想以上に長かった空白期間が少しだけ怖かった。

だが、それを圧倒的な力でぶん殴っていくのが飯田達郎なのだ。

舞台に彼が現れた瞬間から涙が溢れたのはちょっと自分でも引いたが、彼が一言話すたび、歌うたび、動くたび、そこには私が会いたいと渇望したカジモドが居た。
そしてその声は、CD音源で何度も聴いた彼の声よりもさらに深く、力強く、ときに切なかった。
二列目から見ると彼の表情もよく分かる。
歌声とリンクするように自在に変わる表情もまた、彼がカジモドたる説得力を増していて本当に「キツかった」。

ダメだった、もう何かあるたびにずっと泣いてしまい、さすがに情緒不安定にもほどがあった。
一幕終わりの休憩時間、普段ならオタクの早口をまくし立てながら我先にと妹と感想を語り合う時間なのに、その日は「もう無理………」と言いながらハンカチで顔を覆い、ただ首を横に振ることしかできなかった。まじで気持ち悪いね。
自分が一番びっくりした、いくらオタクとはいえ、ここまでとは思っていなかった。

完璧だった。
私の不安を振り払うどころか、膨らませすぎた期待を遥かに上回る歌唱と演技。
達郎カジは私の記憶の中で美化された思い出などではなかった。
今もなお進化し続ける、生きる伝説だった。

私は劇団四季が大好きだし、その作品主義という考え方も理解しているつもりだ。
でもやっぱり、私にとって「飯田達郎が演じるカジモド」は特別なのだと再認識した。
ああ本当に、あなたに出会えて良かった。

ミュージカル俳優になってくれてありがとう。
カジモドという役と出会ってくれてありがとう。
カジモドを演じ続けてくれてありがとう。

五月からの東京公演で、ぜったいに再会しようね。
(まじで頼むよキャストガチャ〜〜!!!!)

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