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私が劇場を愛する理由

先日大好きな劇団四季「ノートルダムの鐘」が三年ぶりに再演したため、横浜まで観に行った。

2022/05/28 昼公演

作品紹介

15世紀末のパリを舞台に、ノートルダム大聖堂の鐘楼に住む男カジモド、その彼を密かに世話する大聖堂聖職者フロロー、同警備隊長フィーバス、そして、その3人が愛するジプシー娘エスメラルダが綾なす愛の物語―。今回の演出版では、ユゴーの原作がもつシリアスな印象を重要視し、人間誰もが抱える“明”と“暗”を繊細に描くことで、深く美しい人間ドラマに創り上げました。

https://www.shiki.jp/applause/notredame/about/

この作品、とにかく暗いしつらいし重いし、正直周囲に自信を持って勧められる作品ではないのだが、そのしんどさをもってもなお伝わってくるメッセージと、劇中の楽曲の素晴らしさに毎回胸を打たれるので、私にとってはトップクラスに好きな作品だ。

これを観るたびに毎回泣いてしまうし、加えてオタクはすぐ泣きたがるので、開演前から別に泣いてないのに「泣く😭😭😭😭😭」とか言ってはしゃいでいたけれど、今回は今までの比ではないくらい、ぼろぼろに泣いてしまった。
もはや一曲目から嗚咽をこらえきれず、さすがに自分でも引いた。

でもそれくらい、めちゃくちゃ良かった。
私も今までそれなりの回数いろんな作品を観たが、ここまでミュージカルで心が揺さぶられることがあるのかと驚いた。
もともと作品自体が大好きなことや、聖歌隊に代表される圧倒的歌唱力にぼこぼこに殴られ判断力が鈍っていたことを差し引いても、この日のステージは素晴らしかった。
野中フロローと金本カジモド、特にこの二人が本当に最高で、自分が劇場を愛する理由をあらためてその二人に見た。

観劇レポ

①野中フロロー

野中フロローは前回も観て、他の人が演じるのに比べて優しいというか人間味が感じられるような気がしていた。
カジモドへの接し方もどこか親としての愛情のようなものが伝わってきて、だからこそ歪んだ愛によって狂っていく彼を見るのがつらかったことをよく覚えている。

今回一曲目から涙が溢れた理由、それはひとえにフロローの人生を想ってしまったからだ。
唯一の肉親である弟への愛情、そんな弟を奪ったジプシーの女への憎しみ、二人が遺した「怪物」への複雑な感情。
神の教えを説き人々を導くことだけが孤独な彼にとっての正しさで、出来損ないのカジモドに「正しい」生き方を教えることはある意味彼の生き甲斐だったのかもしれない。
そんな彼の半生が歌われる一曲目で、ずっと「正しく」生きてきた彼がこれから直面する葛藤と苦悩と狂乱を思うと涙が止まらなかった。

登場人物の中で唯一「過去」を知る人物。
エスメラルダとの出逢いは、彼が人生でもっとも憎み恨んだであろうジプシーという存在との因縁の再会だ。
それを思うと、この救いようのない愛の物語の主人公はある意味で彼なのかもしれないと思った。

やっぱり今回も、彼のフロローはどこか人間臭かった。
それゆえに終盤の「私にかけられた呪いは、私が人間であることだ」の台詞がより痛切に心に突き刺さった。
どれだけ「正しく」生きようとしても、彼もただの人間だった。
抗えない自分の想いに戸惑い焦りながらもエスメラルダへの狂愛を止められず暴走する、怪物のような心を隠し持った人間だったのだ。

②金本カジモド

カジモドの役を演じるのは非常に難しい。
むちゃくちゃな音域と難易度の楽曲を一人で歌い上げる圧倒的な歌唱力、「出来損ないの怪物」になりきる演技力、それらを両立させる体力。
扱うテーマがシビアゆえに、主人公に説得力が無ければこの話は終わる。
そんな難しい役だから、これをきちんと演じられるのは飯田達郎(↑の作品紹介動画の人)しかいないと思っていたし、実際に他のカジモドを見て残念に思ったこともあったので、今回も初演の達郎カジを狙って開演すぐの日程でチケットを予約した。
ところが予想は外れ、初めての金本カジ。
前評判は上々だったものの、達郎信者としては内心かなりドキドキしていた。

それがどうだ。
彼が一音歌うたびに、一言喋るたびに、彼がカジモドたる証がビリビリと伝わってくる。
そこにいたのは強烈な説得力を持った主人公、カジモドだった。

ミュージカルを観るときに私がもっとも嫌なのは、演者の歌唱力を無意識に心配してしまいストーリーに入り込めなくなることなのだが、彼はその逆だった。
低音域を歌っているときから溢れ出す安定感、あの高音を出せるかどうかを心配する必要が一切無く、むしろどうやって歌うのかを楽しみにさせられる余裕。
こんな素晴らしい歌唱力を持った演者に私は未だ出逢っていなかったのかと度肝を抜かれた。

さらに驚いたのが、彼の演技力だ。
主人公のカジモドはいわゆる「障害者」で、醜い外見だけではなく、聴覚と発語にもかなり障害を抱えている。
加えて、教会の鐘つき部屋に閉じ込められまともな教育も受けてこなかった生育環境ゆえに思考や行動は子ども同然。
だから演者がカジモドをリアルに演じれば演じるほど、観客にとってはそれがけっこうキツイ。
そして金本カジ、めちゃくちゃキツかった。
ここまでやるかと思うほど、言動すべてがリアルだった。

だから、だからこそ、彼の歌が映えるのだ。
今まで普通に話していた人が突然美声で歌い出すのはミュージカルあるあるで、その唐突さが不自然だというミュージカル苦手勢からの指摘も分からなくはない。
でもこのカジモドは違う。
本当は上手く話せなくて、表現に必要な語彙もほとんど持ち合わせていない彼だけど、心の中には溢れんばかりの気持ちが満ちているのだ。
外の世界への憧れも、外に出たことで初めて覚えた感情も、容赦ない現実に打ちのめされた絶望も、ただ「歌が上手い人が急に歌い出した」のではなく、カジモドの心の内から溢れ出すものの表現であることがひしひしと伝わってきた。
これがミュージカルの素晴らしさだと、本気で思った。

歌唱力と演技力が掛け合わさった、畏怖すら感じる説得力を持った金本カジ。
泣くのを通り越して、もはや過呼吸を起こすのではないかと思うほどぐちゃぐちゃの感情に飲み込まれた最高のカジモドだった。

私が劇場を愛する理由

一週間経った今でも、あの日のフロローとカジモドを思い出すと鳥肌が立ち、少し泣きそうになる。
ここまで鮮烈に記憶に残る作品を観たのは、いったいいつぶりだろうか。

ああ、これだから観劇はやめられない。
これだから私は劇場が大好きだ。
同じ作品でも演者が異なると、その人の個性が入ることで解釈も少なからず変わる。
そして時々、こちらの予想を遥かに上回る素晴らしい配役に出逢えることがある。
その瞬間を求めて、私たちはまた、一期一会の出逢いのために劇場に行く。

出逢ってくれてありがとう。今度は冬の京都で、待っています。

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