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意味のあるなし。

ー”意味”とか考えずにやってみるー

 昨夜、生き方において道に迷っていても、「いつかは目的地にたどり着く、ずっと迷い続けたまま立ち止まった場所にいるわけではない。」と考えながら一日を終え、今朝になって、冒頭のような気持ちになっていた。

 そんな中、今朝の朝日新聞、オピニオン面のブレイディみかこさん(イギリス在住の保育士・ライター。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとぶブルー』の著者)の<欧州季評 続けた拍手 未来のため>という記事を読んだ。じっくりと、いつもより心の深いところを使って。そういう風に読んでしまう記事だった。

 記事には、コロナ禍で明らかになったのは、医療、教育、介護、保育など、直接的に「他者をケアする」仕事をしている「ケア階級」の人々がいなければ社会は回らないということが書かれている。(ちなみに、「ケア階級」という言葉は、著書『負債論』で有名な人類学者のデヴィッド・グレーバー氏によるものとのこと。)同氏はケア階級の仕事と対峙する概念として、「ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)」という言葉も唱えている。

 どうでもいい仕事 ——  私が一番食いついた言葉。

 ここでは、意味のない会議に出るための書類を作成し、なくてもいい書類作成のための資料を集め、整理するのに忙殺されるような仕事と書かれ、

「内心必要がないと思っている作業に時間を費やし、道徳的、精神的な傷を負っている」のは高収入なホワイトカラーの管理・事務部門で働く人の多くだと。

 誰もが判りきっていても、このような仕事はなかなか無くなったりもしなかったりする。

 この度のコロナ禍で、仕事の仕方ががらりと変わったどさくさに紛れて、デトックスのようにどうでもいい仕事がするりと消え去ることを願う。どうでもいい仕事がどれかを探さなくてもおのずと浮き彫りにもなっただろう。人々の間にそれをさらりと無くせる柔らかい風が吹けばいいなと思う。

 —”意味”とか考えずにやってみるー

けれど、-”意味”がないとわかったらやめてもいいー

 自分の大切なエネルギーはもっと大切なところで、大切に使いたい。

 シンプルに。