世界


(続)真直に



ー ひとつじゃない世界



進学をするなら目的を持って進学したかったし、働くなら興味のある分野の仕事をしたかった。同じ目的を持った人たちがいる環境に身を置きたかった。

割とすぐに答えは出た。夏。

《看護師になる》


私の新しい目標。

どうせ生きているなら、意味のある命にしたい。それが一番にあって。
小学生の時も入院中、とにかくつまらなくて嫌でたまらなかったけど、ある担当の看護師さんに救われた日があって。
ずっと笑えなくて、作った笑顔しか見せられなかったけど、その看護師さんと話している時は気持ちが楽だった事を思い出した。
それがきっかけで、私は、人に救ってもらった命で今度は人の命や生活を支えたい、って思って。看護師になる、そう決めた。

そのためには学校に通わなければいけない。専門学校か、大学か。
とにかく少しでも早く働きたかった私は専門学校一択だった。
そこまで決めたところで両親に伝えた。


「なんでそんな大変な道ばかり選ぶの?」

「私がやりたい事だから。」


絶対に折れない私を見て向こうが折れた。
第一関門突破。


第二関門、学校選び。
給料がどうとか、スキルがどうとか、色々言われて専門学校を絶対に認めてくれなかった。
大卒の資格を持て。それをひたすら言われた。
専門への進学は絶対に認めない、大学なら援助する。
ここは私が折れた。私の目標は看護師になる事だったから。
第二関門突破。

第三関門、大学選び。
私が看護師になったらやりたい分野があって、それに力を入れているコースがある大学を見つけた。比較的新しくできたコースだけど、オープンキャンパスと説明会に行って、ここに行きたいって私が思った。

母親は納得してくれた。

父親はこの大学に行け、と名の知れた大学、偏差値の高い大学の名前をあげた。
そもそも、私が専門にしたい分野すら認めてくれなかった。
「4年後にはやりたい分野変わってるかもしれないし。」とか適当な事言って無理やり私の行きたい大学を受験した。
滑り止めで専門も受けるって言ったらすごい怒られたな。


11月、第一志望の大学を自己推薦で合格した。

もちろん嬉しかったんだけど、決めてから4ヶ月足らずでスタートラインに立ててしまったもんでビックリの方が大きかった。
結果として合格貰えたのでひとまず安心。

足の手術は年明け2月。
それまでにやりたい事やる!ということで私の人生の夏休みが始まる。
小学生の時から練習と試合で夏休みも冬休みも年末年始も春休みもなかったから、自分の好きな事していい自由な時間に最初は戸惑った。

友達と遊んだり、好きなアーティストのライブに行ったり、車の免許を取ったり。
楽しかった。ノンプレッシャーでじかんをつかう事が。何も考えなくて良い。
世間一般の学生はこういう毎日だったのか、と新しい世界を知った。



ー 補聴器のある世界


あともう一つ、違う世界を知る出来事があって。
耳鼻科の先生に、

「補聴器試してみない?」

って言われた。
後遺症の難聴に対して初めてのアプローチ。
私の難聴は、ただ音が小さく聞こえる伝音難聴 ー 所謂いわゆる“難聴”ではなくて。
耳小骨の骨折と鼓膜破裂が原因の感音難聴。伝音難聴も混ざってるんだけど。
ただ小さく聞こえるだけでなくて、音が歪んで聞こえるって言えば一番わかりやすいのかな。
全く聞こえない音もあるし、逆に増幅して響いて聞こえちゃう音もある。音の高さによっても聞こえる音量、聞こえ方が変わる。
あと片耳だから、音の方向がわからない。
例えば、救急車のサイレンが聞こえたとして、それが前から来てるのか後ろから来てるのか、右から来てるのか左から来てるのかわからない。名前を呼ばれた事に気が付いても呼んだ人がどこにいるのかがわからない。
1対1で表情と口が見れれば文章として言葉を認識できるんだけど、複数人でバーーーっと喋られたり、ザワザワした所だと音として聞こえたとしてもそれを言葉として認識できない。
だから何喋ってるかわからないけどみんなが笑ってるからとりあえず笑っとこ、みんなが頷いてるから頷いとこ、みたいな事が多い。

無意識のうちに私は、
“相手の表情と口の動きで音を読んで、聞こえた音を言葉に変換して、その時の話題から文章に変換する。”
という技術を身に付けた。
それで会話してるもんだから、間違ってたらごめんねみんな。

だから補聴器付けてもそんなに変わらないよって事故当時の主治医に言われてて試してこなかった。テニスの時は付けられないし。

途中から主治医が変わって、別件で鼻の手術を受けることになって診察に行った時に、「最近耳の調子はどう?」って話から補聴器の話になった。
今までその選択肢が無かったから最初はちょっと戸惑ったけど、可能性があるなら、と試してみたい!って補聴器デビュー。18歳。
健聴の時の聞こえ方なんて覚えていなかったし、何かが変わるなんて正直あんまり期待していなかったんだけど。

改めて聴力検査をして、あ、難聴者がやる聴力検査って学校とか職場の健康診断でやるのとちょっと違うんですよ。音の種類とか色々あって面白いの。ヘッドフォンの他におでこに付けるやつとかあって。片耳に雑音流しながら反対側がピーピー流れたり。補聴器付けながらの聴力検査はヘッドフォン付けられないから防音室でスピーカーでやったり。あと私は言葉の聞き取り検査もある。

話が脱線しました。戻します。

言語聴覚士の先生と補聴器メーカーの人とで、◯Hzの音は△dBで出力して、という感じに私の聴力に合わせて細かく補聴器の設定をしていくんだけど、私が生活していて聞こえて欲しい音は?とか逆に不快な音は?とか生活スタイルとかに色々合わせてくれる。
あと何より言葉が聞き取りやすい話し方をしてくれて、さすがプロ!って感動しちゃった。音を読まなくても言葉がわかるってなんてストレスフリー!

いざ補聴器の音の世界に踏み込む私。
涙が流れるほど感動したのは一生忘れないです。

「どう?聞こえ方。」
先生に聞かれた。

「音が聞こえる。」

目から鱗ってこの事か。

紙を擦る音。ボールペンをカチカチする音。キーボードを叩く音。

「実は今、さっきの半分くらいの声量で喋ってるんだけど聞こえる?」

「うそ?!?さっきより聞こえる!」

「世の中には色んな音があるんだよ。これで生活してみて、どんな事でも良いから感じた事をまた教えてね。」

好奇心旺盛な小学生みたいな私を見て、先生も嬉しそうだった。

いざ、病院の外に出る。私の感動は止まらない。

自動ドアが開く音。風の音。葉っぱがザワザワする音。車が走る音。人の足音。ウインカーの音。
今までの音量でテレビを付ける。うるさすぎてビックリ。そりゃあ父親にテレビうるせえって嫌な顔されるわけだわ。字幕が出るバラエティばっかり見てたけど、ドラマもちゃんと見れそう。

学校に行く。

「おはよう!」

女の子たちの声が耳に入ってきた。目が合って口が動いて初めて「おはよう」を認識してたのが嘘みたい。

私の聴力は、低い音は比較的聞こえるけど高い音が聞こえづらい。
1000Hzだと60〜70dBくらい、2000〜4000Hzだと70〜80dBくらい。あくまで静かなところでの聴力だから、日常生活の中だとさらに落ちる。
だから女の子の声があんまり聞こえてなかった事に初めて気が付いた。今までシカトしてたかも、ごめん。
この人の声ってこんな声だったんだ、って思う事もあった。
あと改札通る時の音。ピッて。音が鳴る事は知ってた。でもちゃんと音を認識できた。電車が走る音。車掌さんのアナウンス。
チョークが黒板に当たる音。ノートに文字を書く音。教科書をめくる音。

生活の中には音がたくさんある事をもう一度知った。

すっかり補聴器の虜。
白黒テレビがカラーテレビになったみたいな。知らんけど。

ただ一つ、不快な音がある。不快というか、聞こえるようにならなくてもいい音。
それは、セミの鳴き声。
裸聴だとセミの鳴き声はほとんど聞こえない。それが聞こえるようになってみて、やかましいわ!と思った。夏になると難聴で良かったって思います。



ー 可視化できない世界


この時に出会った言語聴覚士の先生には本当にお世話になって。
補聴器の事はもちろん、難聴との向き合い方、見えない障害との付き合い方を学ばせて貰った。

耳が悪いって事を伝えると、今まで普通に話してくれていた人が余所余所しくなったり可哀想って言われるしどこか腫れ物を扱うような態度になったりして、それが嫌で嫌で堪らないから基本的に言わないようにしていた。どうせ治らないし。

それは補聴器を付けるようになってからもそう。
補聴器を見ると「あっ、、、」って見ちゃいけない物を見た反応をされる。

自慢したいくらいに補聴器のある世界は感動に溢れているけど、これは共有するべきじゃない。私の中の問題だ、って言い聞かせてきた。

その先生には、

「自分の聞こえる音を知る事も大事だけど、あなたの音を周りの人たちに知ってもらう事も同じくらい大事だよ。」

って言われて。

「もちろん偏見とか持つ人はいるけど、理解してくれる人もいる。それはまず伝えてみないとわからない。難聴は見た目ではわからないから、自分から話さないと何も伝わらないの。何よりあなたがコミュニケーション取らないようになって欲しくない。せっかく補聴器のおかげで音の幅が広がったんだから。」

この言葉に勇気貰えたし、どこか救われた。

いざ自分の補聴器を買うってなった時、色もたくさんの種類があって母親には
「目立たない色が良いよね!これがいいよ!」
って言われたけど、
「この色にする。」
ってパッと惹かれた青にした。目立つ色。

今では、難聴だって事だけじゃなくて、こういう事が苦手だからこうしてもらえるとありがたいって事まで話せるようになったし、補聴器ユーザーな事に誇りも持ててる。

この先生に出会っていなかったら今も隠し通していたかもしれない。
目立たない色の補聴器を使って。

難聴者って言っても聴力レベルは人様々だし先天性の人も中途の人もいる。両耳の人も片耳の人も、口話が出来る人も手話を第一言語にしている人も、かつての私みたいに隠している人も。
だから身近に難聴の人がいたら、まずは可哀想だと思わないで欲しい。
みんなそれぞれの音と向き合っているから。
苦手な事、配慮して欲しい事、それを遠慮せずに聞いて欲しい。
見なかった事にされるのが一番つらいから。

理解しようとしてくれるだけで、本当に救われます。
難聴に限らず、障害を持つ多く人に当てはまる事だと思います。きっと。
私もそういう人でありたい。

聞かないで欲しいっていう人も中にはいるかもしれないから、そこは空気を読んでもらって。うん。

難しいよね、障害との付き合い方って。私自身13年以上障害と一緒だけど、いまだに正解はわかりません。難聴の事を伝えずに関わっている人の方が多いし。私にとっての日常と健聴者にとっての日常は違うし、難聴者もひとそれぞれ日常は違うから。相手の世界を100%理解するのはまず無理だから。
障害を持って気付いた事は、先入観とかイメージだけで決めつけられる事は本当に悔しいという事。障害の有無に関わらず、相手を知ろうとしない事は辞めようと思います。

ちなみに私は障害者手帳を持っていません。持てません。
片耳の難聴は障害認定を受けられないから。片耳の聴力が90dB以上でもう片方の聴力が50dB以上でないと受けられないらしいです。
健聴者ではない事は確かだけど、難聴者として公的には認められない。もちろん援助を受けられる訳でも無い。
私は健常者でもなく障害者でもない。
東京喰種の金木くんみたいな。人間でも喰種でもない彼の気持ちが痛いほどにわかって苦しかった。

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