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mental clinic #1

心が壊れた

っていうお話。
私は、1年前から心の風邪を引いています。

心の風邪とは、どんな病気ですか。


だれでも気分の波はあるものですが、その波が深くなり、気分がゆううつで元気が出ない状態が2週以上続く病気のことをいいます。うつ病はありふれた病気であることから、よく「心の風邪」と表現されますが、患者さんのつらさは、風邪の比ではありません。

https://www.japha.jp/doc/byoki/010.pdf


うつ病だと言われた日

それは2022年4月
夜眠れなくなった、朝起きても疲れが取れずシャキッとしなくなった
仕事に集中できなくなった、ミスをたくさんした
マルチタスクをこなせなくなった
仕事に行くたびに不安や焦りが日々募るような状態だった

3ヶ月は休職できるから休もう。と上司に提案され休んだ。

でも休んだら、もう仕事に行けなくなるのはわかってしまっていて

落ち込んだ、そう。かなり。

そして近所にあったクリニックに通うこととなる
ここでの先生は優しくしてくれた

仕事に復帰するためにがんばっていた矢先に私はコロナになった
それは仕事に復帰できるかできないか決める時期だった

大切な時期に、私はライブに行っていた。(密)
後悔しかなかったけど、復帰できず、ここで退職することになる。

私はこういう諦めることに対してすごく落胆する性格である

先生の前でも、ケースワーカーさんの前でも
めちゃくちゃに泣いた。泣いた。泣いた。

異動なんかしなければ…とか、最悪な職場に配属になったとか、

出かけたことに失敗したとか。

でもそんなことよりもうしんどい。


8月から無職になった

8月から2月まで。大阪にいながら、仕事しているフリして
毎日部屋でYouTube、TVer、Amazon prime

部屋を出るのは買い物とごみを捨てるときだけ

食事は好きなものだけを好きなときに

お風呂は人と会うときだけ

カーテンを開けれない日もあったし

夜になると朝まで消えない大阪のマンションの明かりをずっと眺めていたり
眠たくなるのを待ったり、スーパーマンがくるかと見ていたり…

家族にやっと打ち明けた日

そして2022年12月中旬、実家に帰ったときに
全部を話した。帰ってきたいですと。
両親は「そうだったんか~、部屋はあるし大丈夫。帰ってきなさい」と
温かく迎える準備をしてくれた。有難かった。

2022年→2023年 年末年始は実家に帰ってゆっくり過ごした。
どこにも行かなかったけど(笑)


認知行動療法について

そして3月。

倉敷に帰ってきたけど、クリニックが見つからなかった。

予約がめちゃくちゃに先だったりで薬が途切れるのが不安で藁にも縋る思いで見つけたクリニックで受診ができました。

こころが晴れるノート:うつと不安の認知療法自習帳
この偉大な先生が書いた本を読むことを勧められました。


そのときの、いや、いまの私には
本を読むことだけでなく、テレビや音楽も
右から左へ流れていくように
みる、きく、おぼえる

なにか一つしかできないのです
ほんの少し、本を開くだけでぼやぼやしてしまうのである

このクリニックでは
あなたはうつ病適応障害もありますね
と言われた。

信じたくなかったから、私は転院した
決めつけがいやだった
待合まで先生が迎えにくるのがいやだった

認知行動療法ができるほどのレベルだったのか?
ほんとうにわからなかった
いまだに認知行動療法はわからない


メンタルクリニックには、いろんな先生がいる

前の先生は前向きに考えていけるようにと思っていってくれたんだなぁと思うのだけれど

いま、通っているクリニックの先生は「ゆっくりでよろしい」、「ちゃんと寝れてますか?」を確認してきてくれます

ちゃんと寝れているかはわからなくて、薬で気絶したみたいに寝てるし、朝は家族の活動音がして目が覚めるし、朝の家事が終わったら昼過ぎまで寝ています

いまだにUNIQLOのもこもこきてます。季節感(笑)
これは5月前半の私。

先生の明言


休み上手以外はうまくできていない…

そうしたい気持ちはめちゃくちゃあるし
でも「日々の生活をがんばる!」から諦めたくない…
こういう性格が良くないこともわかっています。

そして、私が通っているクリニックの先生は本も出していました😳



2012年 精神医療を歩く-私の往診記




2017年 地域精神医療の真髄

元気になったら読んでみたい。
それか、読んだ方に話を聞きたい。(ズルい女)


診察にはめちゃくちゃ時間とられる(待つ)けれど
先生に出会えたことは私にとってほんとうに救われたような気持ちです。

自立支援の申請も、先生が率先して決めてくれたし

私はだいたいのことが「つらい」とか「しんどい」とかそういう表現になるのですが…

考え込まなくてよくなるように薬で調整したり、お話聞いてくれます。


倉敷に帰ってきて1番良かったことは、家族との時間があることで

2番目に良かったことは、和迩先生に出会えたことでしょう

悪かったことは文字には残さないけどたくさんある


私はこのクリニックで絶対よくなれる
大丈夫だ!

こころの不安も軽くなっている
薬のおかげが半分、気の持ちようが半分

言い方の悪さや口の悪さで、家族に怒られることもあるけど
(特に、姉)

でも家族がうまくサポートしてくれている
実家にいたときは全然話さなかった父親とはたくさん話すようになったし
相変わらず母親とは仲良しです。だいすき。

私(姉)だって、俺(兄)だってお皿洗いくらいならできるよ!

って言われてブチ切れる私の心の狭さと
わかってもらえないもどかしさといったら(泣)

それなら、手伝おうか?とかなんかしようか?とか
ほかにかける言葉が

あるじゃろが~!!!!!!


とキレ泣くのであった。

めんどくさい。あぁこんな私めんどくさい。
わかっているのですよ
自分との付き合いは31周年を迎えるのですから


でも
がんばる!!!!!!
私以上に私を大切にできる人はいないから

私ならできる!!!!!!!




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