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#3 記憶を消す呪文「オブリビエイト」が使えたら(私が文章を書く理由)

『ハリーポッターと死の秘宝』の冒頭、ハーマイオニーは家族を危険にさらさないために、記憶を消す呪文「オブリビエイト」を使って、自分に関する記憶を消す。
魔法が使えたらいいのにと思っていた。魔法が使えるなら、私に関する記憶をぜんぶ「オブリビエイト」で消し去って、そしてすぐに死んでしまいたかった。

中学を卒業するときに配られ、そのまま本棚にしまいこんだ卒業文集を、卒業式ぶりに開いた。

当時、どうしても、文章を残したくなかった私は、どうにかして卒業文集を提出せずに卒業しようとしていた。進捗を聞かれても、のらりくらりとかわし続けた。「提出まだの人ー!」と言われても、かたくなに無視した。でも、結局、逃げ切ることはできず、「今日は書くまで帰さない」と言われて、教室で見張られながら書くことになった。

そんな風にして出来上がった文章を、7年近くが経った今、読んだ。
記憶の中では、とてもひどい文章を書いたと思っていたが、案外そんなことはなかった。というより、必死になって、当たり障りのない文章を、自分の色の出ない文章を、と考えながら書いていたのだと思う。書きたくはなかったけれど、書かないと卒業できそうもないので、無理やりにとってつけたような文章を書きましたというのが、原稿用紙3枚くらいの短い文章から、ひしひしと伝わってきた。

昔から、文章を書くことも読むことも好きだった。国語の問題文に使われる、切り取られた物語の続きを読むために、本の名前をメモしたりしていた。ただ、自分のことを書くのは、嫌だったし、どう書いていいのか全く分からなかった。

「オブリビエイト」が使えたら、心置きなく死ねるのに、と当時本気で思っていた。「思春期だった」と言えばそうだし、「そういう時期だ」と言ってしまえばそれまでだけど、どうしてそんな風に思うのか、今よりも知識がなかった上に、「つらい」とも「助けて」とも言えなかったことは、私を苦しめた。

「助けてほしい」と一言、言えたなら、きっと助けてもらえたと思う。それも、私の期待を上回るような形で状況は好転したかもしれないとさえ思う。それくらい、周りには恵まれていた。だけど、今でも、なにかひとつに熱中したり、悩んだりしたら、全く周囲が見えなくなる私にとって、誰かに助けを求めることは、ハードルが高すぎた。

自分の気持ちをさらすのが、とてもへたくそだった私は、小説に没頭した。
問題文に使われたものや、学級文庫、図書館で背表紙だけで選んできたもの、手当たり次第に読んだ。中学生の経験値では、分からない描写もあったけど、とにかく小説と呼ばれるものはジャンル問わず色々読んだ。

これが、死にたかった私を救ったのだ。振り返ってみて、そう思う。
当時、なにに悩んでいたのか、もう鮮明に思い出すことはできないけれど、私が誰にも話せなかったことを、主人公が代弁してくれたし、たくさん読み漁る中で、ふと出会った言葉に救われたりした。

結局、「オブリビエイト」は使えなかった。
誰の記憶も消せないし、私がいやいや書いた卒業文集は、私の手元にも、一緒に卒業した200人近い生徒の手元にも残っている。

そして、今、そのいやいや書いた文章をネタに、当時必死に隠そうとしていたことを書いている。書いては消して、書いては消してを繰り返して、もう書き切るのをやめてしまおうかと、うんうん言いながら書いている。
卒業文集を書かずに卒業してやろうと、逃げ回っていた15歳の私が見たら、なんと言うだろうか。かなり尖っていた時期でもあったから(今でも頑固なところは変わっていないけど)、「恥ずかしい」とか、「ばか」とか言われてしまうかもしれない。

でも、やっぱり書いていたいと思う。
小説にすがるしかなかった私は、つい先日22歳になり、当時より知識も増え、誰かを頼ることを覚えて、少しだけ大人になった。ひとりで抱え込んでいた時期を乗り越えた今でも、ふと出会った言葉に、物語に、何度も救われる。

物語の力を心から信じている。きっと人は救われる。

だから、書いていたいと思う。
さんざん助けてもらったから、今度は自分が書き手になって還元したいと、矛先の分からないおせっかいをやいている。

魔法はいまだに使えないし、卒業文集からは逃げられなかったし、もしもあの時もう少し大人だったら、楽に過ごせたのかもしれない。
だけど、いやいや書いた文章も、小説にすがったことも、決して無駄にはならなかった。

思春期の私に「うざい」と言われるくらいおせっかいに、書き続けていようと思う。



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