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いつかは きっと、

忘れられない曲がある。

わたしがその曲に出会ったのは14歳の時でした。中学三年生。そのころ聴いていたラジオ番組で流れてきた曲。毎回曲名を言わないから名前が分からなかったのだけど、その時のわたしにとってはそれは重要ではなくて、今日もラジオ越しにあの曲が聴けるということが楽しみになっていました。「今月の一曲!!」とかではなかったから毎週流れるわけではなかったのだけど、今日も聴ければそれでいいや、くらいの感覚で、それでもどきどきしながら布団の中でイヤホンを付けていたことを思い出します。

こんな環境から抜け出したい。

もっと自由に生きたい。

早く大人になりたい。

狭い世界から少しだけ広い世界が見え始めていたわたしにとってあの頃は " いい子 " でいることが " わたし " を保つ上で落ち着くことであると同時に、苦しいことでもありました。ラジオから聴こえてくる癖のある声は今までのわたしの中での " 普通 " と違っていて、それでいて歌詞はなんだか応援してくれているような気がして、だからすっとこころに入ってきたのだと思います。音楽におけるわたしの中の " 普通 " が変わった曲でもありました。

新曲としてリリースしたからという理由で毎週のように流されていたあの曲は新たなる曲の登場により、次第に流されなくなり、高校生になりいそがしくなったわたしは次第にその番組を聴かなくなっていきました。それでもあの曲のことを忘れたわけではなくて、ときどき応援歌のように口ずさんでいました。

今年に入り新曲のMVが斬新だということを聞いて、初めてとあるバンドのYouTubeチャンネルを開きました。MVは思っていた以上に斬新で、再び " 普通 " というものが変わりました。そんなことを思っていると、次の曲が再生されていて、なんだか聴き馴染みのあるイントロが流れてきました。あの歌詞、あの声、あのメロディ。突然すぎて、こんなところで出会えるとは思っていなくて、少しだけ動揺してしまいました。少しじゃないね、かなりです。まさかあの曲と再会できるなんて。こんな身近にいたなんて。そんなことばが頭の中を回りながら、何回も何回も再生していました。

再会した頃のわたしは大人になるのが怖くて、自分で何かを決めるのが怖くて、人の顔色うかがってる毎日で、初めてあの曲に出会ったころとは違うけれど、でも、なんとなく悩んでいることは似ていて、ことばにするのは難しいのだけど、苦しいときでした。もし再会したのがあの時でなかったら、ここまでこの曲に対する思いは強くなかったのかもしれません。

初めて出会った14歳

再会した19歳

何か節目となるようなタイミングでこの曲と出会っているのも、曲に対する思い入れを強くさせます。

そして、20歳になった今も、変わらずあの曲に助けられる日々を送っています。


いつかはきっと報われる いつでもないいつかを待った

もういつでもいいから決めてよ そうだよなだから「いつか」か

《 二十九、三十 / クリープハイプ 》



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