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種を蒔く人


熱を注いでいるもの


私には、サッカー観戦の他にもう1つ熱中していることがある。


それは、通称"サバ番"と呼ばれるもの。"サバイバルオーディション番組"のことである。


例を挙げれば、最近ではNiziUを生んだNizi Project、それから、今や世界中で人気を誇るTWICEを輩出したSIXTEENなどがその類である。"アイドルやアーティストになりたい"という大きな夢と志を抱き、様々なバックボーンを持った同士たちがボーカルやパフォーマンス審査を通してデビューを目指し切磋琢磨してゆく。


形式は様々だが、一般的なオーディションにおいては、そのラウンド(ステージ)ごとに残念ながら脱落者が出てしまうというシビアな展開が描かれることが多い。念願の夢へと近づく者と、惜しくも夢敗れる者。はじめは皆その目的地に向け一斉にスタートを切ったはずである。それでもデビューという名の切符をつかむことが出来る者は全体の参加者のうちのほんの一握りで、輝かしさと残酷さの対照的な描写がまた切なさや儚さを助長させる。


光と影



そんなオーディション番組とサッカーの世界には、いくつか共通点があるように感じる。


中でも顕著なのが、まさに先述した"勝者と敗者"の存在である。”努力は必ず報われる”という言葉があるが、生き馬の目を抜くような厳しい世界に身を置く彼らにとっての”報われる”瞬間とは、具体的にどういったときを指すのだろうか。


華々しいデビューを飾ったとき


各チャートで1位を席巻したとき


大きい会場でライブをすることが決まったき



はたまた



決定的なゴールを決めたとき


W杯のメンバーに選出されたとき


悲願の優勝カップを掲げたとき



一体いつだろう?


終着地点は何処なのだろう?


「あとどれほど努力し続けたらいいのか」と葛藤に苛まれることがあっても不思議ではない。幼い頃からたゆまぬ努力を重ねてきたであろう彼らなら尚更である。


果たして”努力は必ず報われる”のか。率直に言えば、個人的にはそう言い切れないと思う。ただ、鍛錬を積んできた者たちしか辿り着けない境地と見れない景色があるのではないだろうか。必ずしも望んでいた結果が得られなかったとしても、その努力の過程は確かな糧となって自身に還元されるに違いない。


応援する対象がいること


他にも何か共通点はないかと考えたとき、頭に浮かぶのは、やはり”応援する人”の存在である。これらの界隈に限った話ではないが、とりわけオーディション番組における”ファン”と、サッカーの”サポーター”は熱狂的な人々が多い。


というのも、前者に関しては、何よりデビューがかかっているからと言える。とある大型オーディションでは、PDからの評価の他に視聴者投票といった制度も取り入れられており、それによって順位も目まぐるしく変動する。そのため、皆”推し”のために毎日の投票や布教活動を欠かさない。もはや推しとともにそのオーディションを戦っている感覚だろう。投票ボタンに想いをのせて、「推し」の背中を「押す」のである。


一方で、後者に関しても似たようなことが言えよう。同じチームや選手をこよなく愛する多くの者が、同じ時間、同じ場所に集い、週末のヒーローに会いに行く。そして、そのヒーローたちが、あと数歩、あと一歩を踏み出せるよう90分間を共にする。勝てば嬉しい。負ければ悔しい。喜怒哀楽の感情それら全てを共有する。風向きが良いときもそうでないときも、絶えず声援を送り続ける。まさに”共闘”である。


夢の旅路


さて、2022シーズンも早くも折り返しを過ぎた。


私の推し選手は言わずもがな古賀くんであるが、彼は、先日のサガン鳥栖戦にて記念すべきJ1通算100試合出場を達成した。きっと1番のサポーターであり、活躍を誰よりも願っているであろうご家族を迎えてのセレモニーは終始温かく和やかな雰囲気に包まれ、照れながらも嬉しそうに花束を受け取る様子がとても微笑ましかったことを記憶している。いつかの日立台通信然り、各媒体にてよく家族のことを口にしている彼の姿を見るに、素敵なご家族のもとでたくさんの愛を受けてきたのだろうな、と思う。改めて”おめでとう”の気持ちと同時に、これまで歩みを止めることなく駆け抜けてきてくれたことに対する”ありがとう”の気持ちで胸が一杯になった。


昨季と比べ、笑顔が見られる機会が多くなったように感じる今季。彼は、以前のインタビュー記事にて”ピッチ内で思い通りに試合を運べていなかったとしても、それを全員で乗り越えようとしているチームになっている”という力強く澱みない言葉を発していた。(以下ツイート参照)その通り、たとえ劣勢にあろうと、チーム全体で足並みを揃え、同じ方向を向いて戦っているのが手に取るように伝わってくる。多くの経験を経てきた新加入の頼れるベテラン選手から、いわゆる”柏の育成 俺たちの宝”を体現し、その名を轟かせようと秘めたる力を発揮している若手選手まで、新戦力と既存の選手の融合が図れているからこそ、結果としてそれが現在の順位にも反映されているのだろう。そして何より、そういった選手の橋渡し役を担いつつ、キャプテンとして先頭に立ち、プレーと言葉でチームをまとめ上げる古賀くんの胆力がレイソルの核になっていることは言うまでもない。


可愛すぎやしませんかね…(号泣)(急なオタク人格)



私情を挟むようで申し訳ないが、私はここ最近現地観戦が出来ていなかった。主に就職活動のためである。それに加え、日々の課題、卒業論文に使用する文献や資料集め、アルバイトなどに追われ齷齪していた。頭では分かっていても上手く行動に移せない。メンタルも安定せず、好きなもの・ことへの興味が薄れていく感覚と、自分なんかが好きでいて良いのか、応援していて良いのか、というような思考にさえ陥っていた。余裕が無く身の回りのことをこなすだけで精一杯の毎日。


そんなモノクロだった日々をカラフルに色付けてくれたのは、やっぱり古賀くんだった。


青く静かに燃える炎が、私の心に灯をともしてくれた。


名前の通り光輝く太陽で、それでいて、真っ暗な夜空に煌めく一等星の姿がそこにはあった。


あぁ、後にも先にもこの人だけだ。この人を超越する存在は現れない。そう思った。


思い返せば、古賀くんにはたくさんのものを与えてもらった。彼が其処にいなければ、日立台に足を運ぶことはおろか、こうしてレイソルの試合を気にかけることはなかっただろう。当然、いつもお世話になっている方々との出逢いもなかったわけである。

連れていってくれる場所、見せてくれる景色。教えてくれる世界。

そのどれもが彼を応援していなければ知り得ないものばかり。

点と点の繋がりを、線にしてくれたのである。


最後に



8月も半ばに差し掛かり、早いものでJリーグは後半戦へと突入した。柏レイソルは序盤から好調な滑り出しを見せ、現在、上位を争う位置にある。ただ、コロナの影響など、内情大変なことも多かれ少なかれあることと推察する。変わらず大変な状況の中で勝利を届けようと日々研鑽している選手たちをはじめ、監督やスタッフ、コーチ陣、会場運営に携わっている方々、レイソルに関わる全ての人に頭が下がる思いである。


だからこそ、いつ何時もその裏側に寄り添った応援がしたい。そう思う。


どうか、最終節では選手たちの屈託のない、眩しい笑顔が見られますように。


心より愛を込めて。

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