さらば、すべてのソーシャルメディア
※編集後記
はじめに、全ての読者に謝っておきたい。ひどく恥ずかしいことに、この記事はあまりにもミニマリズム的な、丁寧な暮らし的な、普段の僕ならばもう完全に嘲笑の対象としていた類のものになってしまった感がある。丁寧な暮らし教の信者達以外には相当不快な思いをさせてしまう可能性があるので、即座にブラウザバックして頂くことを推奨する。
以下、記事本編。
SNS文人主義
現代を生きる人間は、利用しているSNSの分だけ人格を使い分けて生きている。さらに言えば、それぞれのSNSごとに情報空間が存在し、その、それぞれ異なる世界を、それぞれ別の人格を利用して生きているとも言える。
もちろんTwitterのリンクからInstagramに飛ぶなど、それぞれの世界が交差することもある。
Twitterという世界と、そこで見せる人格。Instagramという世界と、そこで見せる人格。あとThreadsか。
どれが本当の自分かという話ではなく、それぞれが全て本当の自分であるので、それら複数の人格を総合したものが自分、ということになる。
こういった主張を分人主義と呼んだりすることもある。
この思想に触れるだけでも、SNSでの「自分に嘘をついてる感」から解放される人は少なくないだろう。
SNSを有効に使う人たち
SNS上のそれぞれの世界を有効に利用している人たちもいる。例えばTwitterでエロ動画選手権を開催してアフィリエイト収入を得る人たち。Instagramで、女の子に手当たり次第に「どしたん?笑」と送りまくり、性行為にありつく人たち。
特に、Instagramをやっている連中の性行為への渇望には目を見張るものがある。インスタグラマ―を構成する二大要素が、性欲とマウンティング欲なのだから、なんて人間的で愛らしいのだろう。全く、Instagramを続けている連中にロクなやつは居ない。Instagramの新しい呼び方として、「性欲」という名前を付けてもいいくらいだ。
他にも、リールで流れてきたなんかセンス良さそうな喫茶店に行ってパシャパシャ写真を撮っている人たちも、それが楽しいのだから有効に利用できていると言えよう。
なぜ空しいのか
では、僕たちがSNSに興じている間、一抹の空しさを覚えるのは何故か。
ハッキリ言おう。それは、僕たちのSNSが物理空間に何の影響も及ぼさないからだ。
言い換えれば、僕たちが貧乏でセックスをしていなくて喫茶店にも行かないからだ。
Twitterの選手権bot達は、収入という物理世界における利益を得ている。どしたん系チンポ達も、言わずもがな肉体的な利益を得ている。センス喫茶店おばさん達も、喫茶店の実店舗という物理空間での喜びを得ている。
しかし僕たちは、無断転載ポルノで小銭を稼ぐ卑しさに耐えられない。
容姿の良い異性にDMを送って、あわよくば、を狙うほど切羽詰まった性欲を抱えてはいない。もし抱えていたとしてもそれほどの度胸は無い。
喫茶店に行っても、インスタ映えを狙う他の客たちに感じる同族嫌悪に耐えられない。
様々な理由があって、SNSは僕たちの物理空間になにひとつ影響を与えることが出来ない。
そんな状況で、シコシコ書き溜めたシュールなツイートでたくさんのいいねを貰っても意味が無いと感じてしまうのは当然だ。
僕たちはみな肉体を捨てきれておらず、かつSNSから物理的な影響を一切受け取っていないから、いいねを無意味だと感じてしまう。
僕たちはみなドスケベな寂しがり屋さんである
これが本記事での僕の主張である。
ダラダラとSNSを続けてしまう人はみな寂しがりである。
そして、SNSに空しさを感じる人間は、みな無意識に物理空間でのよろこびを求めている。なんてドスケベなんだ。
空しいけれどSNSを辞められない僕たちは、まず自分がドスケベな寂しがり屋さんであることを自覚しなければならない。僕たちは、電脳空間のいいねだけでは満足できないのだ。
それに気付けたのならやることは決まっている。
SNSのアカウントを全消しして、母親に電話を掛け、昼飯を自分で作り、友達に会いに行き、なりふり構わず好きな人をデートに誘え。以上。
とまあ、色々と思うところがあったので先日SNSのアカウントを全部消しました。
Instagram以外は。
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