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ディグ・モードvol.16「ヴァケラ(VAQUERA)」

ヴァケラ(VAQUERA)は、2013年にパトリック・ディカプリオ(Patric DiCaprio)が立ち上げたニューヨーク拠点のファッション ブランド。スタイリストとして手にする服にうんざりした彼は、YouTubeで服作りを独学し、デザイナーとなった。ブランドは、ドーバー ストリート マーケットのパリに拠点を置くブランド開発部門からビジネス支援を受けている。


YouTubeで服作りを学び、ブランド設立

2018年春夏コレクション(Photography by Hanna Moon)

もともとスタイリストをしていたパトリックは、仕事で手にする服に飽き飽きしていた。裁縫の経験はほぼ無かったがYouTubeで服作りを学び、22歳のときブランドを設立。ヴァケラはスペイン語で「カウガール」を意味し、かつてパトリックが働いていたレストランで付けられたニックネームでもある。

2016年、ブリン・トーベンシー(Bryn Taubensee)とデビッド・モーゼス(David Moses)、クレア・サリバン(Claire Sullivan)がチームにジョイン。現在デビッドとクレアはチームから抜けており、パトリックとブリンの二人体制だ。

ヴィヴィアン・ウエストウッドの顔をプリントしたシャツ(Photography by Indigital.tv)

彼らは、自分たちの作品を「ファッション ファン フィクション(fashion fan-fiction)」と呼ぶ。それは、本質的にはファンが作ったアマチュア作品であることを意味し、無許可で既存の作品をベースに製作したものだ。そこには、マルタン・マルジェラやジョン・ガリアーノなど、歴代の偉大なデザイナーへの敬意が込められている。

過去には、2001年のヨウジヤマモトのデザインを再現し、財布をエプロン ドレスに仕立て、ヴィヴィアン・ウエストウッドをはじめとするデザイナーの顔をデザインしたシャツ シリーズを製作した。

風変わりでクリエイティブなファッションやDIYで作り上げたショーによって、ブランドは熱心なファンを獲得。しかし、批評家たちの目にはそれほど魅力的に映らず、業界で最も尊敬されているデザイナーを「ぼったくった」と非難された。それについてブリンは、「決して、完全コピーすることではありませんでした」と『AnOther Magazine』で語っている。

アイテムが売れず、経営状態は悲惨に

2022年秋冬コレクション(Courtesy of VAQUERA)

その後、彼らは収支の問題に悩まされる。ヴァケラのアイテムが売れなかったのだ。ランウェイ ショーのルックは、ショップ フロアでは上手く表現されなかった。デビッドとクレアは円満にチームを去り、パトリックとブリンは小売業とケータリングの仕事をしながら、年2回のコレクションを何とか作り上げていた。

彼らは疲れ果て、投げ出しそうになった時もあった。才能ある若手へのサポートが欠如している状態を嘆いた彼らは、コム デ ギャルソンとドーバー ストリート マーケット(Dover Street Market以下、DSM)のCEOであるエイドリアン・ジョフィ(Adrian Joffe)に助けを求めた。

コム デ ギャルソンのデザイナー川久保 玲がメトロポリタン美術館の2019年エキシビション「Camp: Notes on Fashion」で、ヴァケラのティファニー ポーチ ドレスを見つけた後、キュレーターのアンドリュー ボルトン(Andrew Bolton)の紹介によって、パトリックとブリンはジョフィと出会った。DSMは2020年春夏シーズンから、ヴァケラの取り扱いを開始した。

2017年秋冬コレクションのティファニー ポーチ ドレス(Courtesy of Darian DiCianno/BFA.com)

翌年、ブランドは悲惨な経営状態で、ニューヨークでショーを開催できないという壁にぶつかった。そこでヴァケラは、DSMに助けを求めた。DSMはニューヨークの店舗を貸し、ヴァケラは1週間でコレクションを作成させてラックの周りでゲリラ ファッション ショーを開催した。

それを気に入ったDSMは、2020年9月、ドーバーストリートマーケット パリ(Dover Street Market Paris以下、DSMP)を通して、ヴァケラの支援を発表。DSMPとはコム デ ギャルソンの子会社で、ドーバーストリートマーケットの運営や企画開発の以外に、ブランドの開発や育成などをおこなっている。

DSMの支援で状況は好転

パトリック・ディカプリオとブリン・トーベンシー(Courtesy of Shina Peng)

ヴァケラの2022年秋冬コレクションのほぼ半分は、コム デ ギャルソンの工場で生産されている。DSMが衣料品の製造や卸売に携わるようになって以来、ヴァケラの卸先は世界中に拡大した。アイテムにはブラトップやTシャツ ドレスなど、より商業的な作品が含まれてる。

DSMは流通やマーケティング、プレスリクエスト、サンプル生産など、ヴァケラが必要としていたものを誰よりも理解し、支援した。「彼らがいなければ、私たちはここにいないと思います」とブリンは振り返っている。

この記事は、フリーランスで翻訳や海外アパレルブランドの日本向けPRをしている𝐡𝐢𝐫𝐨𝐤𝐨が、自身のファッション業界に対する見識を広める目的で書いたものです。

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