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ディグ・モードvol.83「トーマス テイト(THOMAS TAIT)」

トーマス テイト(THOMAS TAIT)は、2010年にモントリオール出身デザイナーのトーマス・テイト(Thomas Tait)が設立したウィメンズウェア ブランド。新進気鋭のデザイナーとしてすぐに地位を確立したものの、その背後で借金と健康の問題に苦しんでいた彼は、2016年秋冬シーズンでブランドを終了させ、自身のアイデンティティをブランドから分離させた。


新鋭デザイナーとして地位を確立

2015年スプリング コレクション バックステージ(Photography by Coco Capitán)

母国カナダのラサールカレッジ(Collège LaSalle)でファッション教育を修了したトーマスは、カナダの権威あるFoundation de la Modeから奨学金を受け取り、セントラル セント マーチンズ(Central Saint Martins以下、CSM)に留学。2010年にファッション 修士号(MA)を取得し、自身の名を冠したブランドを設立した。

コンセプチュアルなクチュールとハードコアなテーラリングを融合させた彼の作品は批評家から称賛された。業界のクリエイティブな側面に飛び込みたいという熱意と技術的な能力を備えたトーマスは、すぐに新進気鋭のデザイナーとして地位を確立した。

彼はCSMを卒業すると同時に、ドーチェスター コレクション ファッション賞(Dorchester Collection Fashion Prize)を受賞。2014年、LVMH ヤング ファッション デザイナー賞を受賞し、その翌年にはブリティッシュ ファッション アワードでエマージング ウィメンズウェア デザイナーに選ばれた。だが、デザイナーは賞賛の背後で借金と健康の問題に悩まされていた。

ゼロからビジネスをスタート

2011年フォールコレクション(Photography by Marcus Tondo / GoRunway.com)

トーマスは銀行の残高、設備、チームがない状態から、学生ローンでビジネスを始めた。4人で倉庫に住み、暖房の無いなか二階で寝ていた。屋根には水漏れがあり、机として使っていた木片に滴り落ちた。それが受け入れられた唯一の理由は、自身が若かったからだとデザイナーは振り返っている。

CSMを卒業してから1年後、彼はコンサルタントとして働き始めた。十分に確立された、支払い能力のあるブランドで仕事を始めることができ、彼は自分のブランドを持つという経験を通じて、ビジネスを全般的に学んだ。大企業がどのように機能するかを知り、その経験や知識をロンドンに持ち帰って自身のビジネスに取り入れた。

2013年スプリング コレクション(Photography by Filippo Fior / GoRunway.com)

ビジネス ファミリーもパートナーもいなかったトーマスには、常に不安がつきまとい、 次のコレクションを作れないという恐怖に毎シーズン襲われた。自身の感情的なアイデンティティからブランドを始めたデザイナーにとって、ブランドの消失は人生を奪われることだった。

そのため、毎シーズンの初めに、彼はパーソナリティの新しい側面に没頭するようになった。すべてのコレクションがトーマスの新しい側面を世界に、そして自身に示す機会として捉えられることが重要だったからだ。しかし、いつも時間が刻々と過ぎているように感じられた、とデザイナーは当時を振り返っている。

ストレスがデザインの喜びを覆い隠す

2014年フォール コレクション(Photography byYannis Vlamos / Indigitalimages.com)

個人的および専門的なプレッシャーは、デザインの喜びを覆い隠し始めた。適切なリソースが無く、学生ローンや会社への個人的および財政的投資などの借金の蓄積は、デザイナーにとってストレスの多いものだった。破産に近づくほど自分を表現する時間がなくなり、1日のうちでクリエイティブな作業に費やされたのはわずか10%だけだった。

会社が制限され、構造的にも財政的にも不安定であるほど、デザイナーは感情的に脆弱になった。しかし、コレクションが進行するほどファッション メディアは作品に夢中になり、称賛と賞が多ければ多いほど、より有益な批評が得られた。

会社が構造的に失敗すればするほど、より多くの人々が作品に恋をし、彼を尊敬するようになった。これにより、片方の足が前進するトラックに、もう一方の足が後退するトラックに乗っているような感覚が生まれ、彼はますます分裂しているように感じた。

賞金よりも多額の借金を抱える

2016年スプリング コレクション バックステージ(Photography by Daisy Walker)

デザイナーがLVMHプライズを受賞したとき、会社はすでに賞金30万ユーロよりも少し多い30万ポンドの借金を抱えていた。会社のすべての側面で財源が不足しており、ひとつの側面だけにお金を投入できるわけではなかった。彼は借金の一部を支払うことと、より多くのリソースを必要とする他のコレクションを完成させることを両立させていた。

大好きな自身のブランドが何年も続くことを望んでいたが、彼は最後の2年で、その必要性や自分にとっての持続可能性を疑い始めた。会社を始めたときは商業的に成功させるという使命を持ち、その野心を守っていた彼は、財務提案、株主契約、エンジェル投資家のレビューに多くの時間を費やし、商業面で助けてくれるプロを探した。

業界とLVMHグループから、会社とブランドの昇格に成功することを期待されていることを理解したうえで、コレクションを維持しながら債務の状況を改善しようとする綱引きとなった。しかし、舞台裏で実際に起こっていたのは、資金を使用して事業を前進させ、同時に負債を解消しようとするシーソーだった。

ロンドンのランウェイから去る

2015年フォール コレクション(Photography by Yannis Vlamos / Indigitalimages.com)

2015年、トーマスはロンドンのランウェイ ショーから去り、代わりにパリ ファッション ウィークでプレスやバイヤーとの1対1のアポイントメントを通じて新しいコレクションのプレゼンテーションをおこなうと発表した。

自分の仕事にふさわしいと思う時間をかけて、実際に衣服をどのように提示するかを再検討、再開発することは、彼にとって戦略的な決定だった。「私がしていることには非常に多くの仕事があり、内部と外部が非常によく考えられているものを実際に開発することは、ブランドのDNAの非常に大きな部分です」とデザイナーは『WWD』のインタビューで語っている。

実際、彼は最後のコレクションである2016年秋冬シーズンまで、1年以上健康の問題に苦しんでいた。落ち着いた快適な環境でコレクションを発表する必要性を感じていたため、デザイナーはロンドン ファッション ウィークから去った。ショーをプロデュースするお金もなく、ショーをおこなうための体力もなかった。

健康を取り戻す必要性に気づく

2016年フォール コレクション(Courtesy of THOMAS TAIT)

デザイナーはパリのギャラリーでコレクションを発表できるように、病院で脊椎にステロイド注射を受けていた。そのとき28歳で、ファッションをやめて健康に取り組む必要があることに気づいたときだった。しかし、それは楽しい話題でもなく、メディアに話すことはできなかった。

何年も闘い続けた結果、彼はこれ以上ブランドを続けることは無責任だという現実を受け入れた。人生のひとつの側面である仕事にすべてを注ぎ込み、持続不可能な他のすべてを無視していたため、体は悲鳴をあげていた。彼は体の声を聞き、密接に結びついていた自身のアイデンティティをブランドから分離させることにした。

アイデンティティをブランドから分離

トーマス・テイト(Photography by Philip White)

それまでブランドの外で稼いだすべての収益や、獲得したすべての賞金は、ビジネスの銀行口座に直接送られ、デザイナーは私生活を通じてファッションのプロとしての収入を経験する立場になかった。それらの収入がライフスタイルの面で何を生み出すことができるか、彼は分からなかった。

「私は現在、デザイナーやコンサルタントとして働いている会社のマネージャーやCEOではないので、自分の時間が増えています。デザインは、はるかに短い時間で非常にうまく作業できるため、個人的な開発により多くの時間を割くことができます。本当に感謝しています」とトーマスは『INDIE MAGAZINE』で語っている。

この記事は、フリーランスで翻訳や海外アパレルブランドの日本向けPRをしている𝐡𝐢𝐫𝐨𝐤𝐨が、自身のファッション業界に対する見識を広める目的で書いたものです。

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