短歌五十音(つ)塚田千束『アスパラと潮騒』
塚田さんの歌との出会い
塚田さんの歌と出会ったのは『うたわない女はいない』(中央公論新社)を読んだ時でした。
塚田さんは「額縁になる」という連作を寄せていたのですが、この連作の内容、韻律の美しさに惹かれ歌集を手に取りました。
塚田さんは北海道に生まれ、現在は「まひる野」に所属。
第六四回短歌研究新人賞を受賞され、2023年7月に第一歌集『アスパラと潮騒』を出版。
歌集の帯には「もがく日々のうた。医師として、母として、娘として、妻として。」と記されており、『アスパラと潮騒』は帯に記されているように塚田さんの医師として母としての葛藤を詠まれた歌が多くありました。
母としての歌
一首目を読んだときドキッとしてしまいました。
「私の名があるような」というところが妙にリアルで、一歩違えば自分もこうなっていたかもしれないという心の危うさを感じます。
二、三首目は「母」という自らの存在を俯瞰的に捉えた歌だと読みました。
結婚や特に出産で女性は人生の舵を自分で取ることができないと感じる場面が多く出てくると思うのですが、そんなやるせない気持ちが強く表れている歌ではないでしょうか。
また、歌集の中には働きながら子育てをすることに葛藤する歌もいくつかありました。
四首目は本来大人が子どもに言いそうなことをこの歌では子どもが言っています。
子どもの大人びた口調に少しおかしみを感じる景にも見えますが、「ママが泣いちゃうからね」と言われ、主体は安心したのではないでしょうか。
川底に眠る小石は子どもと捉えることもできますが、子どもと一緒に丸みを帯びた小石となって眠ったと読むと子育ての孤独の中で感じる不安を子どもが消してくれたような穏やかな歌に感じました。
医師としての歌
塚田さんの医師としての歌もグッとくるものが多くありました。
ここで少し『うたわない女はいない』(中央公論新社)の塚田さんの文章から印象に残った言葉を紹介します。
一首目の歌はまさにこのことを詠んでいると思いました。
塚田さんの医師としての歌は医師という重圧に常に押し潰されそうな不安感のある歌が多く、二首目も雪と一緒に白衣(医師という立場)を払い落としたいと詠んでいるのではと読みました。
三首目の歌は「ゆっくりと頭を上げる」というところからまるで患者の身体の中に顔をつけていたようなイメージが浮かびました。そして「領域」というのが、回復をただ待つことしかできない静かな待ちの時間が表されているように感じました。
個人的に好きだった歌
塚田さんの歌は母としての歌も医師としての歌も、もちろんよいのですが、伸びやかな韻律の歌やハッとさせられる表現の歌もあり、とても好きでした。
一首目の歌はサ行とカ行の文字が多く声に出して読みたくなる一首ですし、二首目も促音と半濁音が多くこれもまた声に出して読みたくなります。
三、四、五首目は生や死、孤独を詠まれたものですが、塚田さんの歌はそれらと距離を起き俯瞰した視点から読まれたものが多く静かで美しいとすら感じました。
おわりに
『アスパラと潮騒』って題名がすごく素敵ですよね…
月並みな感想になってしまうのですが、とても素敵な歌集だったので多くの人に読んでほしいです。
次回予告
「短歌五十音」では、初夏みどり、桜庭紀子、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉の4人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。
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お読みいただきありがとうございました。
本稿が、みなさまと歌人の出会いの場になれば嬉しいです。
次回は桜庭紀子さんが寺山修司『寺山修司青春歌集』を紹介します。お楽しみに!
短歌五十音メンバー
初夏みどり
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ぽっぷこーんじぇる
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