14歳のわたしが感じた衝撃と、直感と、変わらない好き


小豆島が好きだ。

なんにも考えることがないなら、明日からでも暮らしたいくらいに。


中学2年のとき、小豆島へ行った。学校行事だった。


後にも先にも、場所が好き、と感じた学校行事はこれだけである。学年みんなで行く学校行事も、大きくなってから特別に仲の良い友達と行く旅行も、みんなと一緒にいることが楽しいのだ。夜遅くまで好きな男の子の話をして、大富豪や人生ゲームなんかもしちゃって、何とか朝まで起きていようとがんばったり、そういうところ。



知らない街に行くのは楽しい。

高いビルや緑のほとんどない大通り、ショッピングモールやドラッグストア、夜になっても明るいままの街で育ったわたし。

同じような都会も、自然がいっぱいの田舎も、やはり知らない景色というのは心躍るもので、旅行気分とはそういうことなんだ。

でも帰ってきて思い出すのは、あの子がこんなこと言ってたね、あの場所でみんなで写真撮ったよね、あなたたちと何日も一緒に過ごせて楽しかったよ。って、場所の記憶は人々の思い出のついでみたいにしか思い出せない。


だけど、たった14歳のわたしにも、小豆島は響いたのよ。

もう9年も経つけれど、しっかりと覚えている。中山農村歌舞伎の話を聞くために訪れた神社。きれいに整えられた千枚田のなかを走ったこと。千枚田と反対側の山に囲まれた一面の緑を、ほんとうにきれいだと思ったこと。すぐ近くの商店のおばあちゃんが水をくれたこと。(夏ではなかったけれど、ちょうど春が終わるころで、きっと良い天気の暑い日だった)


良い場所だ、と思った。

ずっと忘れられなかった。帰ってきてからも、何度も思い出した。


それから数年後、離島を舞台にした小説に出会い、小豆島の記憶が再燃し、瀬戸内から西へ南へと各地の離島を訪れるようになった。そして2年前、小豆島を再び訪れた。

良い、と思った記憶は残っていても、それが鮮明であるのかと言われたら自信はない。断片的で、曖昧で、きっとわたしの脳内で繰り返し編集の手が加えられてしまっている。


でもその時、まだ自分の街と祖父母の住む田舎と、数回の家族旅行で訪れた場所しか知らない14歳が、その風景や雰囲気をとても好きだと感じたことは、間違いなく大きな出来事だった。


今のわたしは海が好き。

海が好きだから島に住みたい。

海が見えるなら、島じゃなくてもいいかな。


でも島を好きになったルーツは小豆島にあって、小豆島で心惹かれた風景に海はなくて、一体わたしは何が好きなんだろう。最大の疑問である。全ての出来事に繋がりを求めることはしたくないけれど、不思議だなと思うのよ。都会で生まれ育って、どうしてそうなるのと。

それでもやっぱり、島に住みたい。全力で惹かれた、素敵だと感じた、その空気を日常にしたい。


実は出発前にもちいさな衝撃があった。オリエンテーションで先生が言った言葉。「島のバスは最終の時間が早いから気を付けること。でも間に合わなかったら、島の人が送ってくれるかな。」わたしの知っている他人との距離感はそこにはなかった。先生が言うべき言葉ではなかったのかもしれないけれど、知らない人と話してはいけません付いて行ってはいけませんの世界で育った当時のわたしが感じた驚き。これからすんごいところに行くんだ、って思った。そしてほんとうに、すんごい島だった、!




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