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宇宙一、私に甘い夫・ラッコ氏。と私の正体👀

きっとこの世界で、1番私に甘いのは間違いなく、夫・ラッコさん🦦

見た目がなんとなく「ラッコ」に似ているから、SNS上でそう呼んでます!

私、本当はどちゃくそ、
わがままで気分屋で、ヘタレでその癖、負けず嫌いで。すぐ泣くし、諦めは悪いし、興味あることには猪突猛進。
承認欲求もあるのに、ビビりという矛盾もすごくある。

それが「私」なんです。笑

こうやって書いてみると、世間一般では「どうしようもない」女だと思います。笑

そんな世間的に「どうしようもない女」である自分を、1番認めてあげられず1番嫌って責めていたのは、私だった。

けれどラッコさんと出会って、付き合って〜結婚して夫婦になって、そんな自分の一面が少しずつバレていき(笑)

でもそれでも変わらず愛してくれて、その体感を得たことで、私は「それが私」であることを認めてあげられるようになり、どうしてそこに葛藤があったのか?も理解できるようになって

私、レベルアップしたヽ(。>▽<。)ノ!!

過去に友人から、こんな事を言われたことがある。これはアドバイスの意味でね↓

「りほちゃんの正体は、ずるくて、根性なくて、飽きっぽくて、でも自分悪くないし。だよ」

文字だけ見たらその状態の彼女が最高に可愛い状態。

それが愛される状態。すごい才能

でも彼女は自分はこうありたいと思ってた↓

ちゃんとしてる礼儀正しい可愛がりたくなるような子、能力も高い子。
って見られたがってた、そのために

不器用で、人付き合い上手くなくて、人好きだけど好かれる自信がない女の子だと自分のことを思ってた。

これを言ってもらった頃は、自分のことがよくわかっていなかったり、敢えていうと「悩みたかった時期」だったから、

「え!これのどこが愛されるの?!汗」
「言われてることはわかるけど、腑に落ちない!」と思ってた(笑)

「りほちゃんにぴったりな曲は、シャ乱Qの『ずるい女』!!」

なんて言われたりしてさっ🤣🤣笑
私シャ乱Qはちゃんと聞いたことなかったんだけど、今改めて歌詞を見て
「あー、私これやる人だわ」と思った(笑)

Woo 気持ちいいこともそう
真珠もそう あんたのため
Oh 高級レストランもそう
花束もそう あんたのため

この日だけは 僕のためだよって
言ったじゃない
なぜ 来ない 来ない 来ない
来ない 来ない あんたは

歌詞の一部を抜粋

つまり、私多分無意識に「この人じゃないな」と思ったら、何をしてもらっていても「ありがとう」と受け取って、それ以上には、応えない🖐️

で、自分の楽しいことをまたする。みたいな。
多分相手の男性が、思ってる以上に特別な事をしてる、とも梅雨知らず…。



そして、夫と付き合い〜結婚をして改めて「私はずるいと言われるようなことを、当たり前だと思って無意識にそういう言動してるんだな…」と、

自分に「そういうことか笑」と理解が進んで、

友人のアドバイスにあるように、私は自分が思ってる以上に、そして無意識にズルい女に見えることをやっているんだな…と、納得した。笑

でもそれで良いんだ!と、思えるようになって、それは夫のおかげ👍💛笑

どうして、自分のズルさを許せなかったか?というと、それは総合して、

楽して幸せになるからだと思うんだ。

そして本当はそれを望んでいるのに、罪悪感だったり不幸っぽくいることで、なんとなく人と繋がれる安心感と、そこから脱する怖さがあるんだよね。

私も今まさにそうなのかもしれない。

私はね、上に書いたことにプラスして、
やりたくないことは「やりたくない」。
だから、どうしたらやらなくていいか?考える

苦手なこと、できないことは
「りほちゃん出来ないんだから(笑)」と、いつも助けてもらってて、大した事ないことで褒めてもらってる(爆)

でもこれは、「やったこと出来ることは、全然認めてもらえない!」なんていう幼い頃の拗れもあって。
ただ「やったー!ラッキー✌️♡」と喜べばいいのに、一生懸命評価される事を頑張ってた。笑

そしてこれはきっと、今までの私みたいに「我慢」して生きていたり、ズルさがあっては嫌われる!と思っている人ほど、腹が立つ奴だと思う。

でもそれは、あなた(自分)もそれでいいんだよ!と言うサインなんだ。

今改めて友人のアドバイスを読み返してみて、特に

そのために、〜”の部分の理解がすんごい(笑)
つまり私は言い換えると↓

自分を不器用で、人付き合い上手くなくて、人好きだけど好かれる自信がない女の子。でいられたら

“ちゃんとしてる礼儀正しい可愛がりたくなるような子、能力も高い子。”
という人間として生きられる気がしてた。

「ちゃんとした女の子」でいるために、わざわざ自分のことを責めていたり、「〜できない」なんて自分を偽っていたよね🤣笑

でも今ならわかる。

そんな「ちゃんとした」自分を目指さなくても、私は時と場合・相手に寄って、その辺の配慮や尊重は、きちんとできるよ、ということ。

そして「可愛がりたくなるような」一面は、そういう正しさや礼儀にあるのではなくて、

自分の話しを楽しそうにしたり、何か物事に一生懸命だったり、興味あることにケラケラ笑い、やりたくないことは「めんどくさ〜い」なんて言ってる
人間らしさや、人懐っこさにあること👍


そして私、自分が愛される人間だとわかっていて、ただ幸せそうに生きてたらいいんだよってことも、わかっているんだ。

ここにはまだ少し葛藤というか、そういうものもなるけど、徐々にそれが溶けて行ってるその最中なのもね!

そんな「ズルさ」を許せたのは、紛れもなく、いつも「いいよ、いいよ」と許してくれる夫のおかげ。

昨日も一生懸命、お風呂掃除をしてくれた。

私はもっと「ありがとう」と夫のしてくれることを、受け取って幸せでいよっと✌️✨

今日も早く帰って来ないかな…ラッコさん。

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