コロナ禍の1年半より、それ以前の自分を呪いたくなる

普通に生きるってなんだろう

よく聞く言葉だけど、最近よく思ってしまう

でも大学に通ってさらにその上に進学をしようと決めている以上社会の中から見たら普通ではないのかもしれない

まだ全然世の中を知らない

まだ全然社会人として生きるなんてことに具体性を感じたこともない

でも、

この何者にもなれてない感というか

地面に足がついていない生活を送って半年。

映画を見れど、多様性の時代を肯定する、色々な生き方を示す内容につい反吐が出そうになってしまうようになった。

最悪。


コロナの影響を身近な人は実際どれくらい受けているのだろうか

今まで以上にみんなの近況を知ることができなくなった

コロナがあっても変わらない人もいるし、まあ気をつけるよって軽く言って実際かからずに日々をこなしている人もいる

誰かに無意識に支えられていた人たちは、脆さが露呈する

私の家族はコロナ2年目で色々なことが起きている

そのほとんどは良くないこと

失ったものは大きく、家族の繋がりさえも実体のないものなのかもしれないと思わされている

私もその一人だ


ただ、長い。

この1年半は、皮肉だ。

なぜなら、この1年半を呪うのではなく、それ以前の自分を呪いたくなるからだ。

先が見えないから嫌なのではなくて

過去を見てしまうからだ。

しかも現実は辛い

やっぱり、このデジタルな時代

他人と比較せず、自分を貫くことは難しい

自分の力では足りないところを他人から補うことの大切さを教えてくれると同時に嫉妬や相対評価を与えられる

今はSNSでアンテナを貼ること、自分磨きのチャンスやジャンプの踏み台は尖ってばかりじゃ拾いきれない


最近バイト先の店長代理だった人が店長試験を経て、新天地の店舗へ異動した

年齢はおそらく45歳くらいだったと思う

私は、その歳からこの挑戦をする意味ってなんなんだろうと正直思ってしまった

その人は未婚で実家暮らしらしいが、趣味は登山だったり、マニアックなお笑いにも精通していて、お酒もタバコもしない。

「○○(その人)は店長になりたいんだってさ」あるスタッフが教えてくれた


そしてその人の後任で店長代理のポジションに異動して来た人は

「25歳」の3年目らしい。

その年齢だと出世コースらしく、キャリアアップのステップとしての期間にあたるらしい。

ここまで色々な偏見が混じって話してしまったが、

なんか不思議な気持ちになった


最近2ヶ月で感じたことを羅列した

YouTubeを見ることでしか笑顔になれないこの生活が少し楽になるかなと思って書いた

五輪開催、熱海の土砂災害、トラック事故、ロッキン中止、4度目のなんちゃら、

 


いま私は3年前にパソコン数台を開いて大勢でみた2018年W杯を思い出して、目を細めている。

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