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汐れいら「センチメンタル・キス」歌詞解釈とメタファーについて

今日は、いつもとは違った雰囲気の
投稿をしてみたいと思います。

汐れいら「センチメンタル・キス」
この作品について
掘り下げていこうと思います。

(この記事は2023.2.20 執筆のリライトです) 

センチメンタル・キス|汐れいら

この曲は、
恋愛関係にあった二人の終わりを
煙草やドラマ(映画)に置き換えて
表現している作品。
人と人の愛の終わりを
直接的にではなく間接的に表現することで、
こんなにも繊細な心を
ありのままに表現することができるのかと
衝撃を受けた作品です。

前置き

この曲は、まるで取り憑かれたように
長らくずっと聴いていた曲です。

noteの方向性を模索して
非公開にしてしまいましたが、
多くの方に読んでいただいていたので
改めて書いてみました。

単純におすすめしたかった
という思いで書きましたが、
感じているものをなんとか言葉にしておきたい
という思いも同じくらいありました。

メタファーが多い作品の特性上、
意味や解釈を言語化して
はっきりさせておかないと
私自身も解釈を忘れてしまいそうだったので
今回は解釈中心にして残しておこうと思います。

また、この解釈は私の勝手な解釈です。

そしておそらく
これからも聴くたび読み深めるたび、
受け取り方は変わっていく気がしています。

作品と私の今現在の心との
化学反応みたいなものとして
読んでいただけたら嬉しいです。


聴き手により解釈が違ってくるものなので、
皆さんの解釈の手助けになれたら
この上なく幸せです。



解釈

1番

熱にうなされてたみたいで
温度差 気持ちいいって
煙草を吸わない君の隙間
入り込んでもやさしかったな

熱がうつっていくみたいで
温度差 君に合わせるよ
短くなってしまった吸い殻の火消し役は 私だ

この曲において、
【煙草】は恋または愛の感情です。

「君」は【煙草】を吸ってないから、
きっともう恋愛感情は
「熱がうつっていく」くらいに
冷たいのでしょう。


「煙草を吸わない君の隙間
入り込んでもやさしかったな」

「君」の感情はもうわかっているから、
入り込んで優しさを感じたんですね。
悲しい。

「短くなってしまった吸い殻の火消し役は 私だ」

短くなってしまったけれど残っている
【煙草】という名の恋愛感情を
自ら途中で終わらせようとしているのですね。


2番

終わり方がわからなくて
巻き戻した最終回
結末はきっと距離感だって
変わらないのに

二番冒頭からは二人の関係を
【ドラマ】に例えています。
結局終わりきれずに、
ズルズルと長引く関係性を感じます。
「巻き戻した最終回」は別れ話でしょう。

このドラマのメタファーは
個人的に凄く好きです。

チャンネルを変えたら
他の人とキスをしてる
主演だったあの人が
脇役になって

巻き戻して見ていた最終回のドラマ
(繰り返した別れ話)から、
チャンネルを変えた先の「君」の別のドラマ、
つまり別の場所で起こっている
彼氏と別の子の恋物語です。
「主演だった」自分は
脇役になっていたなんて。

Cメロ

映画化されたあのドラマ
別れのシーンはあのまんま
一時停止もできない
涙もろい二人だから
エンドロールが見れない

自分主演のドラマは、なんと映画化です。
最終回を何度も巻き戻したドラマだったけど、
映画は巻き戻せないものね。

「別れのシーン」はあの最終回の
やっぱりドラマと同じだったのですね。
映画は巻き戻せないからエンドロールへ。
これで本当に最後なんだと感じさせる表現です。

大サビ

なんとなくで一緒にいても
きっとなにも変われないのに
「愛してる」を濁したライター
明かりがないんだ 中身がないんだ

また【煙草】に火をつけようとしています。
でもつけられなかった。
明かり(=熱)も中身もない愛は
燃えるはずがないものね。

火をつけられなかったのも、
「愛してる」という言葉を曖昧にしたのも、
恋愛感情は無くなっているからでしょうか。

「理由なんて どうだっていいよ」
どうだっていいから そばにいさせて
唇まで伝った涙
釣られて ライアー
泣くなよ

「愛してる」は言葉にしなかったけど
火をつけようと試みたり
「理由なんて どうだっていい」から
そばに居たいと泣いていたり

ここまでを見ると、
まだこの主人公の子には
愛情はなくても
情が残っているように感じました。

釣られて泣いただけの嘘つきの「君」、
私は嘘じゃ無いんじゃないかと思います。

同じような情は残っていたから
涙が流れたんではないかなと。
ただ、優しい「君」だったから
この子は嘘の涙だと感じたのかな、、


メタファーで表現するということ

今回ご紹介した作品には
たくさんのメタファーが用いられていました。

メタファー(隠喩)とは表現方法の一つです。

goo辞書 デジタル大事泉(小学館)


この曲はきっちりとは表現せず
けれどぼやっとさせすぎない、
絶妙な情報量で余韻を与えている作品だと
私は感じています。

日本語って本当にたくさんあるし、
豊かな表現で直接的に伝えることはできるけれど

メタファーを取り入れるからこそ
少々の曖昧さや余白が出来き、
受け取り側に想像させる余地を与えるから、
より繊細さを表現することが可能なのだと思います。

前置きでも書きましたが
人が作品に出会うと
受け取り側の中では
化学反応の様なものがおきます。

過去の出来事や経験を蓄えた心に
何かが起こるのです。

だから、
たくさんの記憶が呼び起こされたりして
それぞれ少しずつ違う景色が
心に湧いてくるのかもしれません。


皆さんはどう感じますか。
是非、何度も聴きながら
ああでもない、こうでもない、
と脳内会議してみませんか。

これができるのがメタファーの魅力ですね。

THE FIRST TAKE  short
とても素敵でした。


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