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櫻井翔という大海原へ



はあ

やっと私がどれだけやばいことを言っても許されそうなお題が来た。

「ハマった沼を語らせて」

私が生涯どっぷり浸かっている沼、嵐の櫻井翔さんと私について語らせてほしい。


以下、私と全く合わないヲタクの人にとってはイライラする文章の可能性があるので、こいつ頭おかしい…と思った瞬間に引き返すことをお勧めします。

(かなり盲信的です)

(とてつもなく長いです)(大学のレポートの2倍くらいの長さです)



私が彼と出会ったのはいつだろう。
あれは小学生の頃だった。中学受験を控えたあの頃の私は今では信じられないくらいテレビに疎く、テレビっ子の友人にいろいろ教えてもらっていた。
確かその中に嵐がいた。

私の小学校時代は嵐とAKB48がこの世を支配するギラギラ輝くアイドル黄金期だった。

給食の時間は絶対に放送で嵐の曲が流れていた。
そしてみんなで歌っていた。
だが、悲しいことに中学受験を控えた私はテレビをほとんど見ていなかったのでその大合唱に意気揚々と混じることができなかったのだ。

まあ、ここまでで察している方もいらっしゃるとは思うが、正直に申し上げると知ったのもちゃんと認識したのも花男〜10周年そこらなので永遠のド新規と言われる部類であり、こんなデカい顔して語る資格はないのかもしれない。

そんなフワッとした嵐という存在を決定的に結びつける出来事が起こった。


皆様、嵐が出演していたとんがりコーンのCMをご存知だろうか?

5人が草原みたいなところでおしゃべりした後にとんがりコーンを片手に円になって「とんがってる?」と言って終わるCM。その円になった状態でどセンター1番カメラに近い位置にいたのが、私を底なし沼、いやどこにも逃げられない大海原の中心に落とした張本人『櫻井翔』だった。
(普段は大変失礼ながら「翔くん」と呼んでいるので、翔くんと表記します。)

私はこのCMの翔くんを見て思った。

こんなかっこいい人、この世にいんの?

そう、正真正銘の顔ファンである。それは今も、現在進行形で。
マジであんなかっこいい人みたことない、あれが人間の限界値なんじゃねえかと翔くんが何歳になっても思っている。
太っちゃっても、役柄で眉毛生やしっぱにさせられても、武蔵三郎の傷だらけの顔でも一瞬たりとも揺らぐことなくずっと思っている。
櫻井翔がこの世で1番美しい。

ラップ担当らしい、ということしか知らないので、育ちがいい慶應BOYなのに反骨心を持った才色兼備で、海のように広い優しさを持つ人間であることはこれから知ることになる。


当時小学校4年生かそこらの私はCMを指差し父に聞いた。「この人誰?」と。
この頃の父は思いもしなかっただろう。これから自分が口にする名の男が、まだ10代になったばかりの娘の人生を全て狂わせることを。
そんなことを知る由もない父の口からは「櫻井くん」と返ってきた。

櫻井くんって嵐の人じゃね?

と思った私は、次の日から意気揚々と嵐の話題に混じっていった。
みんなが「嵐の中だったら誰が好き〜?」と喋っている輪の中にもやっと入ることができる。「私は櫻井翔くんが好き!」と目を輝かせながらデケェ声で言っていた。
これが終わりの始まりである。


中学受験を終え、中学に入学したら今までの溜まりに溜まった嵐応援したい欲の蛇口がぶっ壊れた。
母にFCに入りたいと懇願し、やっと入れた中3の頃。初めてコンサートに行った。
忘れもしない LOVE というツアー。
初参戦というバフがかかっているとはいえ、LOVEは私の中で1番感動したコンサートである。

愛を歌おう で始まり 愛を歌おう で終わる構成。
壮大な愛の中に私たちファンを誘ってくれる、とてもとても嵐らしくて、でもそれまでの嵐からするとちょっと大人びた色気のある内容だった。

嵐への蛇口が壊れている私は、暗転した途端バカみたいに泣き始めた。一緒に行った友達に心配されたが、止めようと思って止まるものではない。
ちなみに実質最後のコンサートとなった5×20も何公演かお邪魔したがもれなく全部泣いた。


初参戦のLOVEに始まりTHE DIGITALIANでは初めてのアリーナ席、Japonismは自名義で伝説の名古屋Wアンコ公演にムビステ下で参戦。
その後Are You Happy?で天井席を経験した。


そんな私の次の転機は「untitled」。
初めて明確に翔くんと目が合い、頷いてもらった。(多分)

なぜか自名義で自担リフター目の前を引き当てて、明確に視界に入らざるをえなかったのだが、いざそうなるとメチャクチャに怖気付いてしまう自分がいた。
え?視界に入っていいのか?視界に入るって何?
と超ビビり倒した私は、周りの人が「翔く〜ん!」と呼んでいる中、全く声が出ずひたすら手を振るほかなかった。すると目が合って頷いてもらったのだ。

私を見て頷いたかどうかの真偽はわからない。こういう時によくいう「周りに櫻井担いなかったし私…か…?いや、私だ!!!!!」みたいな言い訳を今でも心の中で唱えている。

だいたいこういうのは思い込みで補正して自己満足に浸るのが鉄則。私もそう思っていた。それに加えて翔くんは分かりやすい個人ファンサなんて滅多にしない。答えられないと自分でも言っている。1人より100人に手を振るタイプ。だから手を振られないこともないが、自分だけが視界に入っていることもまたないのだ。

しかしさすが櫻井翔。すでに鷲掴みしているヲタクの心をさらに強く締め付けてくる言葉を発する。

「櫻井翔のファンの皆さん、俺はみんなのことを見ています。(中略) それは、俺のファンの子達は理解してくれていると思っています。俺はたくさんの人に手振ったり顔合わせたりしかしないから。僕が手振って、“え、私?ってなっても、隣の人は“いやお前じゃなくね?”ってなる可能性が高いから。でも安心してください。見てますよ!」
『ARASHI ANNIVERSARY TOUR 5×20』の挨拶にて

じゃあ、アレ私やん…。

私は何があっても翔くんのファンでいるしかなくなってしまった。


そしてその言葉通り、なのかわからんがこの言葉が発せられた5×20ツアーでは櫻井担の「あのファンサは絶対私だった」というレポがTwitterに溢れた。
1人だけにファンサをしない、といいつつも、5×20で完全にやってた。確かにバーンしてとかそういうわかりやすいファンサうちわの類には応えていないけれど、会場の中で絶対に櫻井担を見つけてその櫻井担にだけ分かるようにやってた。
別に何かわかりやすい反応があったわけじゃない。目があって微笑んでもらったとか手を振ってもらったとか、そういうくらいのものだったけれど、絶対に私だったし、絶対にみんなもらってた。

というかTwitterに「私だった」が溢れすぎて、そしてあの翔くんの言葉も相まって、私が指さしてもらったように見えたり手を振り返してもらったように見えたりしたのも「絶対私だった」と確信が持てた。
あの人は全ての櫻井担に櫻井担にしかわからない個人ファンサをして回っていたんだと思う。(主語デカの拡大解釈失礼します)

1番わかりやすいのが私と同じ櫻井担である東海オンエアのてつやさんのツイートだ。
当時見て「わかる!!!!!」と心の底から思ったので失礼ながらそっとリンクを貼っておく。櫻井担は当時みんなこう思っていた。

ここまでくるともうファンサの嫉妬など起きない。だって全員もらってるということは、私もあなたももらっているのだから。

全員に、2人だけの思い出みたいなのを作っていくという、質も量も担保したファンサ、前代未聞だ。

やっぱそういう人だよな、翔くんって。
常に私たちの理想像のその先へいく彼に頭が上がらない。


だが、そんな私の楽しい嵐ヲタクライフに急な終わりが訪れた。
それは世間をも大騒ぎさせた「活動休止」という5人の選択。

当時の私は、嵐というかステージに立つ櫻井翔を取り上げられるようで悲しい反面、5人でないと嵐ではないという強い思いが嬉しくもあった。

休止発表のあった翌日、私は初めて車の路上教習で「精神的に不安定なときはハンドルを握らない」という掟を大破りする羽目になったことは、笑い話として今もよく話している。


とはいえ、ここでも私の追いかけてきた櫻井翔の"らしさ"が爆発する。

私たちは最後まで彼の口から『嵐を続けたい』という言葉を聞くことがなかった。

大野さんにポロッと「嵐続けようよ」言ったことを大野さんが教えてくれなければ、マジで一生知らないところだった。
実は、自ら作詞した5×20のRap詞にも『ずっともっとこうしていたいよ』と書いていたのだが、それを消して『揺れる船に響く誓いよ』と書き直している。それくらい私たちファンに対しては秘めた思いをなんとか隠し続けてきたのだ。

Netflixのドキュメンタリーにて「自分は中立でいようと思った」と言っている彼だが、本当に私たちから見える姿はその言葉のまんまだった。大晦日のラストライブのラストの曲 Love so sweet を歌い終わり5人で手を挙げるところまでは。

手を挙げた後にそれぞれ5人の顔が1人ずつ抜かれていった。そうして画面に映った翔くんは、顔を歪ませて泣いていた。

最後の最後に『中立』でいられなくなってしまったのだ。

やっぱり続けたかったんだ…。素直にみんなが「続けたい」と言う中で全く何も話さなかったくせに、思いの強弱はわからんけど、たぶん1番続けたいんじゃんアンタが。

辞めようと思っていたジャニーズをコンサートで「We are 嵐」と手を挙げたところで『もう戻れない』と思っていた青年は、「俺たちの名前は何だ?せーの、嵐!」と手を挙げるところで『続けたい』と未練タラタラの涙を流す立派なアイドルになっていた。

家柄にも顔面にも頭脳にも全てに恵まれて勝ち組ルートを進めるはずだったのに、アイドルという茨の道を選んだ彼にとって、嵐はかけがえのないものなのかもしれない。



私が櫻井担である理由はここにある。
こんなに掴みどころがなくて本当に同じ人間なのかわからないくらいの完全無欠アイドルに見えて、実は1番人間味あふれる人なのだ。

今までも"実は運動がちょっと苦手""絵が下手""服装がダサい""不器用"とか少しずつ人間っぽいところを出してきた翔くん。
とはいえ涼しい顔で全てをこなし、基本的に何でもできる超人なところを私たちは知っている。そしてそれが全て、彼の血の滲むような努力の上に美しく咲く花だということも知っている。
彼の書いた詞にある「研いだ爪隠し 牙を剥く」という言葉のままだ。

みんなの真ん中に立てる強さがある。
みんなに平等に接することのできる優しさがある。

多くは語らないのに、私たちが欲しい言葉だけは確実にくれる。

常に正解のないアイドルという世界に、全員が正解だと思う答えなんてどこにもないアイドルという"たかが偶像"に、正解を叩き出し常に正しいと思える姿で居続けてくれるのが彼だ。

アイドルとして推せるのはもちろん、1人の人間としてこの世で1番尊敬できるのだ。
私は疑似恋愛という観念を飛び越えて、彼のような人間になりたいと思うようになった。

いつだって正しい。何も間違ったことなんてしない。
そう思えるのが櫻井翔だ。

とはいえ、こんなの盲信しているファンの戯言で、もちろん正解だと思っていない人もいると思う。
結婚した時も、批判こそ目立たなかったものの離れていった人もいるだろうし、それは仕方のないことだ。
でも何が起きても、対応に迷いがなくて理想で凝り固まったヲタクの狭い視野でも追える速度で歩いてくれる。
だからどの瞬間でもファンになって良かったと思える、それが何よりの正解だと私は思う。


顔も名前も綺麗な上にこんな設定モリモリなアイドル、二次元にすらいないが、私たちの生きる三次元にはいる。

それが、私が全身全霊で推し狂っている櫻井翔なのだ。
心の赴くままに溺れることのできる、沼というにはあまりにも広く深く、そして偉大すぎる、私の自担なのだ。


今から、あなたも飛び込んでみませんか?
櫻井翔という大海原へ。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
他にも頭おかしい自担語りしておりますので、よかったら。


ちなみに初投稿のショートショートに出てくる「推し」のモデルは櫻井翔さんです。

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