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花と小鳥【2】

《2》
文庫箱には手紙をいれた。ふとそれが包まれていた紙をみる。捨てるのがもったいなくて、ブックカバーをつくってみた。吉田さんの奥さんがそうしていたのだ。
吉田さんの奥さんは、店にくるたび違うブックカバーをかけていた。お友だちにお土産をもらったの、といっていろんな土地のお菓子の包装紙で文庫本を包んでいた。私はそれを見るのが楽しみだった。けれど吉田さんの奥さんはもうお店に来てくれない。彼女は、孫の顔をみないまま亡くなった。

***

図書室に午後のやさしいひかりが落ちている。窓際のこの席が、私と花のいつもの席だった。

「文学少女だ」

花が顔を寄せてくる。

「なに」

文庫本から顔をあげないままこたえる私にたえかねて、花は机に突っ伏した。

「琴里は私にだけ冷たい」
「どういうこと」
「みどりにね、琴里のこと話したら、優しい子だよねって言ってたよ。琴里は優しいんでしょう。優しいんだったらさ、」

胸元の紐リボンがぎゅっとひっぱられ、花の方を向かざるを得なくなる。花は唇を近づけてくる。それが重なる前に私はこたえた。

「優しくないから」

優しいとか、いい人とか、よく言われるけれどそれは私ではなかった。あかりちゃんのなり損ないだ。花はあきらめたという風にリボンから手をはなして、文庫本に視線を落とした。

「渋いね、琴里は」

昨晩つくったブックカバーを見つめながら花は言う。鳥と花が描かれている天平調のその柄はたしかに渋いかもしれない。でも私はこういうのが好きなのだ。落ち着いた深緑色も気に入っている。

「鳥と花だね」
花は言う。そして少し得意な顔で続けた。
「琴里と私だよ」
「ああたしかに」
「え、気づいてなかったの」

花はまた机に突っ伏した。本当にショックを受けているようで、しばらく経っても顔をあげない。

「花、知ってる」

なだめるように言うと、花は頬を机にくっつけたまま私を見上げた。

「アメリカでは表紙のことをカバーいうんやって。ほんでこの本についてるカバーはジャケットとかダストカバーいうて、捨てられることが前提でつけてあんの」
「じゃあ琴里はカバーの上にジャケットをかけて、その上にまたカバーを被せてるんだ」
「そう」

そうだ。幾重にも膜をはることで、自分を飾ったり、守ったりしている。だってほんとうの部分の価値が、私はわからない。空っぽだって知られるのが怖い。

「欲しい」

ポツリと花がつぶやいた。

「え、これ」
「違う、本じゃない。カバーが欲しいの」
「あげるで」
「いや、お揃いがいいの」

自分でその包装紙を手に入れることに花はやたらこだわり、結局、私たちは週末に鳩居堂へいくことになった。

***

「で、はじめてのデートなわけやね」
「デートちゃう」

反抗するように私が言うと、あかりちゃんはふふふと笑ってコーヒーをすすった。

「勇気出したんちゃうかな、花ちゃんは」
「そんなわけないわ」

花には勇気とか、そんな概念がない。勇気を出すとか出さないとか、そんなこと考える前に行動してる。と思う。多分。

「でもお休みの日に出かけるのは初めてなんやろう。ここにも遊びにきたことないっていうやない。顔寄せてくるだけで、キスやってしいひんのでしょう」

言われてみればそうだ。私は受け入れなければ拒否もしないから、ここに押しかけてきてもいいし、強引に唇だってくっつけてきたっていいわけだ。でも花はそうしない。
私と自分の境界を見極めて、ちゃんとそこを越えないようにしていたのだ。

少し申し訳なくなって目を伏せたら、カウンターの上に置かれた文庫本が目に入った。淡いピンクやブルーの小花が散らされた、かわいらしい装丁だった。
じっと見つめていた私の視線に気づいて、あかりちゃんは話しはじめた。

「これ家にハードカバーのんあるんやけどね。文庫も装丁が綺麗やし買うてしもうたの」

あかりちゃんはその小さな花たちを手のひらでそよ風みたいに撫でた。

「カバーも本の一部やと思うよ。それ込みで楽しいやないの」

そうか。花は分かってて私を誘ったのかな。

「でもなんで花ちゃんは琴里ちゃんにこだわるんやろうねえ」

たしかに。どうして花は私のことが好きなんだろう。考えたこともなかった。

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待ち合わせの市役所前に花はすでに到着していて、左右対称の荘厳なその建物を見上げていた。ゆったりしたジーンズに白いシャツ。からし色のニット帽が小人みたいだ。

一度、花と一緒に踊り場の鏡の前に立ったことがある。すると花と私の背はそう変わらなかった。私は、花はもっと小さいと思っていたから驚いた。本当の花の姿と、私が見ている花の姿が違うことを、私はそのときはじめて知った。

花が私に気づく。手を振るたび、短い髪がさらさら揺れる。花も花で私の方をじろじろみてきた。

「休みの日も三つ編みしてるんだ」
「せや。あかん?」
「琴里いつも三つ編みじゃん。デートなんだからさ、特別な感じがほしいの」
「デートやないし」
言い終わる前に花は私の三つ編みをほどいた。
「こっちの方がかわいいよ」
得意げに言って、花は目的地と違う方向へさっさと歩きはじめた。
「どっちいけばええか分かったはんの」
「分かんないかも……」
途端、信号が変わって鳥が鳴き出す。人々が迷いなく青信号を渡るなか、困った顔をしている花は少しかわいかった。

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鳩居堂にはいると、墨とお香の匂いがした。私はとても落ち着いた。お寺の匂いだ、と花は言った。店内に並ぶはがきや筆やお香をひととおり眺めた後、花は鳥の柄の便せんを手にとった。

「ことりだよ」

私は季節ものの棚に置かれていた水仙の便せんを手にしていた。

「これは花やね」

二人でレジへ持っていく。包装紙で包んでください!と勢いよくいう花を、言わんでも包んでくれはるから、となだめて店を出た。そこから寺町を南へくだった。三条に突き当たったところで、寺町へ進むか新京極へ進むかどうしようという話になった。花は寺町をのぞき、新京極をのぞき、ううんと考えた後、こっちの方がデートっぽいといって新京極を選んだ。私たちはゆるやかな坂を下って、賑やかなその通りを歩いていった。花はそのあいだ何度も鳩居堂の袋の中をのぞいて、花と鳥の包装紙を見つめていた。その姿を見て、今だったらキスしてあげてもいいかなと思った。

「琴里のお店いきたい」

四条へでたところで花は言った。今お店では私の代わりにあかりちゃんがカウンターに立ってくれているから、必然的にあかりちゃんと花が会うことになる。なんとなくためらわれたが、断る理由もなかったのでそのまま二人で店へと帰った。

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「おかえり」
あかりちゃんは白いカップを拭いながら懐かしいものを見つめるようにして笑った。
「あかりちゃん今日はありがとうね。こちらが、花」
「こんにちは、道重花です」
「琴里ちゃんからよう話は聞いてるわ。村木あかりです。私も去年まで嶺女通うとったの」

挨拶もそこそこにあかりちゃんはカウンターに腰掛け文庫本をひらいた。その代わりに私がキッチンに立った。花はあかりちゃんの隣に座った。

「本、よく読まれるんですか」
あかりちゃんの文庫本を見つめて花が尋ねる。
「そうやねえ。同じのんよう買うてまうしね」
「だったら電子書籍とかの方がいいですよ」
「それもあるけどなあ。私はしっかりと、この手で確かめられるものがええの」

あかりちゃんがいま誰のことを頭に浮かべているのか、なんとなく分かって私は少し寂しくなってしまった。
寂しい私の向こう側で、花とあかりちゃんはよくしゃべった。花は寮に入る前は神戸にいたとか、いちばん長くいたのは東京だとか、そんなことを言っていた。全部私の知らないことだった。

  

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