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花と小鳥【1】

《0》
放課後のチャイムがなると図書室へ向かうのが私の決まりごとだった。渡り廊下をひとつ越え、ふたつ越える頃には生徒たちの喧騒も遠くなって、階段をくだる自分の足音だけが耳に響くようになる。

タン、タン、と上履きが床を打つ。

クラスメイトと話しているときよりも、鏡をみつめているときよりも、テストの結果が返ってきたときよりも。自分の足音を聞いているとき、私は確かな自分を感じられた。見た目とか立ち位置とか成績とか、そんなものにごまかされないただの音が、私の輪郭を明確にさせた。

それは花の足音を聞いているときも同じだった。迷いのないしっかりとしたその足音を聞いているときだけは、私は確かな彼女を感じることができた。言葉を重ねても、隣りあってペンを動かしていても、私は花のことがよく分からなかった。

キスしたら。どうなんだろう。

「琴里」

図書室の扉がガラリと開き、その足音は本棚の脇に立つ私のところへ近づいてくる。ふりかえると目の前に花がいた。そしてためらいなく、いつものように、顔を寄せてくる。唇まであと二十センチ、十センチ……今はどれぐらいだろう。ギリギリ、くっついていない。でも、多分、どちらかが言葉を口にしたら触れあうと思う。

「ねえ」

あ、と思ったけれどすれすれのところでそれは触れあわなかった。安心したような、がっかりしたような、よく分からない気持ちになった。

そう、よく、分からない。

「くっつくと思ったんだけどな、唇」

近づいてくる誰かの足音を察して、離れながら花は言う。それは残念そうでもあったし、仕方ない、という雰囲気も感じられた。キスをするもしないも私たち次第なのに、それを選択する権利は今、私たちの手の中にはないような気がしていた。

「琴里次第なんだよ、ほんとは」

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《1》
「変わった子なんやねえ、その、花ちゃんていう子は」

あかりちゃんはそう言って、コーヒーカップをそっと手で包んだ。ふうと息を吐くと、ゆらゆらと踊る湯気が揺れた。あかりちゃんの息の形だ、と思う。

『花って変わってるよね』

クラスの子たちが言うそれは、いろんな意味を持っている。みんなとうまくやっていけてるの、とか、琴里はなんでそんな子と一緒にいるの、とか。あかりちゃんの変わってるね、はシンプルに「面白い子だね」というように響く。あかりちゃんは続ける。

「どこに住んだはんの」
「寮にいてる。中学までは親の転勤であちこち住んどったって」
「私の友達にもおったわ、そういう子。いつのときもいてるんやねえ」
「私の実家は移動式、て言うたはるわ」

ふふふ、とあかりちゃんは笑う。あかりちゃんの笑い方は気取ってないのに品がある。育ちがいいんだなってすぐに分かるし、なによりかわいらしい。その笑い方ができないまま、私は高校生になった。

「ちょっとなっちゃんに似たはんの」

私がそう言うと、あかりちゃんはカップの中に視線を落とした。肩で切りそろえられた黒髪がさらりと流れる。

「傍若無人でエキセントリックというか。周りにどう思われるとかあんまり気にしてへんの」
「なんやひどい言われようやなあ」

まるで自分が言われたとでもいうように、あかりちゃんはカップを見つめたまま困ったように笑う。きっと何かを思い出してるんだと思う。そうやって誰とも視線を合わせないとき、私はあかりちゃんをとても遠くに感じる。敵わないなと思う。今、目の前にいるのは私なのに、その思い出の強度に敵わないのだ。

***

私の家は小さな喫茶店で、あかりちゃんは小さなころから、幼なじみのなっちゃんとよくこの店へ来てくれていた。

「おばあちゃん、トーストちょうだい!」

叫びながらお店に入ってきて、押しつけるように五十円玉を二つ渡してきたなっちゃんのことを思い出す。彼女たちは一人五十円ずつ持ち寄って、百円のトーストを分けあって食べていた。おばあちゃんはいつも焼いてそのままだすトーストを二つに切り、それを二人に給仕するのが幼いころの私の役目だった。私は、ほんとはトーストを三つに切ってほしいとか、木テーブルにしがみつくようにしてわあわあ話す二人にまざりたいとか、そういうことは不思議と思わなかった。二人を横から眺めている時間が、私にとってはとても特別だった。

***

中学に入ってしばらくした頃、なっちゃんは家庭の事情で京都の街を出ていった。彼女がこの街に戻ってきたのは、彼女が高校生、私が中学生になったとき。なっちゃんはあかりちゃんと同じ学校に通うために猛勉強して嶺女の高等部に入学し、私は私であかりちゃんみたいになるべく猛勉強して嶺女の中等部に入学したところだった。

「あかりから聞いたで、中学から嶺女入るって。えらかったんやな、琴里は」

なっちゃんは私のあたまに手をおいてヨシヨシした。その目はやわらかくなったというより、熱いものが冷めてしまったような、そんな感じがして私は少し怖くなったことを覚えている。

「そんなことあらへん。私は、あかりちゃんみたいになりたくて……」

そう言ったところでにわかに彼女の顔が曇り、その手はあたまから頬へ滑って私の顔を包んだ。そして冷たい目で言った。

「琴里はあかりにはなれへんよ」

その手の、その目の冷たさを私はまだ覚えている。

***

「琴里はあかりにはなれない」

そう言われた次の日は始業式で、ホームルームでは一人ずつ自己紹介をした。みんな自分の育った街とか、通っていた小学校のこととか、習い事のこととか、どんな漫画やアニメが好きかとか。そういうことを流暢に話していた。

「関琴里です。私は、」

私もそういうことを言ったと思う。五条に住んでます。家は喫茶店です。でも本当は言いたかった。

「私には、なにもありません」

あかりちゃんになりたいといってつくりあげた部分はぽっかり穴になってしまって、そしたら自分には何も残されていなくて、あかりちゃんのようになれないと分かってからも、そうなろうとすることでなんとかそこを埋めようとして、私はすっかり本当の自分というものがどこにいるのか分からなくなってしまっていた。

あかりちゃんは大学生になった今でもこんな風に毎週ここへ来てくれる。時々お店も手伝ってくれる。一方、なっちゃんはあんなに大切にしていたあかりちゃんをおいて東京へいってしまった。私はというと、あかりちゃんになれないまま、私にもなれないまま、あの日のなっちゃんと同い年になった。

***

「琴里、これ吉田さんのん」

おばあちゃんに呼ばれて、コーヒーを吉田さんのもとへ運ぶ。

「ほれ」

私がカップをおくのと、吉田さんが小包みを差し出したのはほとんど同時だった。小包みをつかむ吉田さんの手はしわしわで、私も早くこんな風になりたいなと思った。そのころには私だって、自分がどこにいるか分からないなんてそんな悩みくだらない、って笑っていると思う。おばあちゃんになった自分を想像する。なにもかも未来の自分に任せてしまいたい。そんな気分になった。

「あけてみ」
包みを受け取って開けると、それは麻の葉模様の文庫箱だった。深い紺色がきれいだ。
「これ、鳩居堂のやつや」
「知ったはるんか」
「この柄のん、欲しかってん」
「来月から孫が小学校入るさかい習字道具買いにいったんやわ。ほしたらかわいいのんあるわ思うてな。和柄好きやろう、琴里ちゃんは」
「うん。ありがとう、吉田さん」

私は私のことが分からないのに、なんでみんなは私のことが分かるんだろう。

「良かったなあ、琴里ちゃん」

あかりちゃんが笑っている。私はその文庫箱を見つめてから、そっと抱きしめた。

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