すばらしい日々《1》
二〇〇九年一月五日。
寒い、寒い、寒い。京都の冬はどうしてこんなにも寒いのだろう。盆地だから、市内を鴨川が走っているから、琵琶湖ほどの水を地下に湛えているから。いろんな理由を聞いてきたけれど、私は思う。年頃なのに恋人の一人もいない学生たちのそこはかとない寂しさがこの街を覆っているからではないかと。葵橋西詰をさらに西へ入ったところにぽつねんと佇む簡素な学生アパートの一室で、私はそのような答えに至った。
したがって寂しさと寒さは比例する。昨晩、実家からこの街に戻ってきた私は八条口バスターミナルに降り立つなりさっそく友人に招集をかけた。そのままこの部屋で飲んで、今だ。ベッドから顔を出す。カーテンの隙間からは仄白い明かりが差し込み、東へ向かう人々のやや速めの足音が窓の外から聞こえる。みんな出町柳から通勤快急に乗るのだろう。世間は今日から仕事始めだ。
枕元に置いていたケータイが震えたのはそのときだった。同時に『イージュー★ライダー』が流れる。
この着信音を設定しているのは、あの子しかいない。手にしたケータイはひんやりとしていたが心はほんのり温かかった。私は目を擦りながら受信トレイを開く。
『くるみ、大変なことが起こったよ。ニュースをみて!』
文面を確認するなり、私は急いでケータイのWebボタンを押した。その見出しはポータルサイトのトップにあった。
――信じられない。その事実に私は思わず叫んだ。
さっきまで眠っていた友人がなあに、と迷惑そうに言うのを横目に、震える手で見出しをクリックする。記事を読んでいると、画面の上部でメールの受信マークがチカチカと点滅した。受信トレイに入るのとほぼ同時に私はそのメールを開く。
『ねえ一緒に行こうよ』
あの子の少し低い、はっきりとした声でそのフレーズが再生される。心が躍った。思わずケータイを抱きしめた。それから「私たち、ふたり一緒ならどこへでも行ける」そう確かめあった春の始まりの日のことを思い出していた。
***
なんでもないような佇まいなのに格好良くて。余裕があって、ユーモアがあって、ブレない自分を持っていて……。
彼氏? いえいえ違います。私にそのようなものはおりません。じゃあ誰かのことかって? それは――
「奥田民生です」
私がそう言うと皆がきょとんとした顔をした。シンとした音楽室にウグイスの下手な鳴き声がケキョ、と響く。しばらくしてへー、という先輩の間延びした声が後ろから聞こえた。
「どんな音楽きくの?」そう尋ねられたら必ずこう答えることにしている。だって民生が好きだから。すると決まって、よく分からないな、という反応が返ってくる。名前は聞いたことあるとか。くるみは自分の好きを貫いていてすごいね、などとなぜか褒められたこともあった。けれど私がほしいのはそんな褒誉ではない。「民生格好いいよね」というたった一言だった。それも半ば諦めかけていたが、今回ばかりは違うのではないかと思っていた。だってここにいるのは高校生で、軽音楽部員で、つまり皆は音楽が、ロックンロールが好きなのだ。そして民生は日本一のギタリストなのだ。
しかしどうだろう。その反応はこれまで私が経験してきたものとそう変わらなかった。ちなみに他の新入部員がよく聴く音楽としてあげていたのは、インディーズの某ダンスロックバンドや某サブカルバンドだった。一般的にはそれらがマイノリティだと思うのだが、ここでは私がマイノリティのようだ。
こんなとき私は決まって「普通」というもののありかについて思いを馳せてしまう。
つまるところそれは自分の属する集合体によって決まる相対的なものだ。そんなものによって自分の考えを変えてしまってはいけない。自分の好きは絶対的であるべきだ。そうして私は民生への思いをさらに強くするのである。
「奥田民生かあ、渋いね」
静まりかえった空気に波紋を広げるように顧問の先生が感想を述べた。
いやいやそんなことはない。私は心の中で否定する。確かに現在進行形の民生は渋いかもしれない。齢も四十を過ぎ、大人の魅力を湛えていると思う。しかしすでに解散してしまったバンド「ユニコーン」のボーカルを務めていた頃の民生はアイドル並みにキュートだ。『ケダモノの嵐』の頃は色気たっぷりだし、『PANIC ATTACK』の頃なんてはちゃめちゃに可愛い。
そう言いたかった。好きなものを好きだと。でも波風は立てたくない。結局私は肝心なところで弱気なのだ。何も言えずに固まっていると後ろから声がした。
「先生知ってますか。ユニコーンの頃の民生。ケダモノの嵐の頃は色気たっぷりだし、パニアタの頃なんてはちゃめちゃに可愛いんですよ」
振り返った。そこにいたのがみどりだった。彼女は私と目があうと白い歯を見せてにやりと笑い、小さくダブルピースをした。
みどりは新入部員の自己紹介が終わるなり私のところにやってきて、そのダブルピースが民生の真似だということを宛転と語った。ライブが終わり袖に捌けるとき、高らかにダブルピースする民生の姿がたまらなく好きなのだと。
「けどあんな空気の中、発言するなんてすごいね」
私がそう言うとみどりは
「だって民生が好きなもんで」
と腕を前に突き出してまたダブルピースをした。
その日の帰り道、私たちはお互いのことを話した。私たちは同じ寮の別々の階に暮らしていることが分かった。みどりは静岡から、私は愛媛からこの街へ出てきた。みどりの方も地元に民生を好きな人はいなかったという。
「でも別にみんなは民生のことバカにしてるわけじゃなかったと思うよ」
みどりはそう言って桜を見上げた。ソメイヨシノの並木道をやわらかい風が通り過ぎて、薄桃色の花びらがよくできた映画みたいに散っていく。
「それにバカにするってことは誰でも簡単にできる。好きなものを好きって言い続ける方が難しいんだよ」
夕陽に縁どられたその横顔は清々しかった。
***
ソロよりもユニコーンの頃の民生が好きという点でも私たちは一緒だった。八〇年代バンドブームサウンドの手習いみたいな初期、へんてこでシニカルな個性が花開いた中期、個々が音楽性を突き詰めた結果、分裂していった終末期。全てひっくるめてみどりは好きだといった。私も一緒だった。私たちはすぐに仲良くなり、当たり前のようにバンドを組んだ。
パートを決めるとき、みどりは言った。
「ギターかベースかドラムならできるよ」
私は驚いた。そして民生みたいだと思った。
「ピアノは? できないの?」
できるはずだと思ったのだ。私がそう問うと、
「ピアノはいい」
みどりは目をあわさずに言った。
「くるみがやるといい。阿部ちゃんだよ」
それから私の方を見て笑った。
阿部ちゃんはユニコーンのキーボード担当で、おちゃらけ担当でもある。ルパン三世やフレディ・マーキュリーの変装をしてステージに立つ彼の姿を、古本屋で収集した音楽雑誌でみた。そこだけ切り取ったら目立ちたがりの調子乗りだ。けれど阿部ちゃんは途中から加入したから、そうやって自分の位置を確立しようと一生懸命だったのだと思う。ボーカルなのに前へ出たがらない民生に代わっていたともいえる。それはとても客観的な行動だ。そういう意味で私は阿部ちゃんを尊敬していた。
そうして私はキーボード担当になった。そんだけ民生好きなんだったらやるしかないでしょ、という周りの推薦でみどりはギターボーカル担当になった。
***
民生への思いをこじらせているという点では私と全く同じなのに、みどりはなにかにつけてひどくさっぱりとしていた。ほっそりとした身体の中に熱さと冷静さをバランスよく備えていて、余裕があって、ユーモアがあって、ブレない自分を持っていて……民生みたいだった。その素朴な態度の向こうに、私は何度も故郷の牧歌的な風景を見た。それは瀬戸内海の穏やかさ、みかんの木の連なる山のへり、そこに降る温かな陽射しだった。
みどりは民生みたいだ。そのことを伝えると「だって民生になりたいんだもん」と彼女は笑った。それから、
「私たちそんなに変わらないよ。だって民生が好きじゃん。それにみかんの育つとこの人間はだいたい一緒」
そう言ってダブルピースをした。
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