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五月、京都で緑を追いかけた

五月の京都はさっぱりしている。桜の季節が終わり観光客も減り、鴨川沿いには床がではじめる。強くなった陽射しに、きらめく鴨川の水面。夏が始まると思う。そしてやがてやってくる祇園祭に思いを馳せる。

インバウンドが増え年がら年中どこにでも人が溢れるようになってから「さっぱりしている」と感じることもなくなったが、「そう感じていた」という記憶だけが私の中には残っていて、五月の眩しい光を感じるたび川床の連なる鴨川沿いを思い出す。私の頭の中の京都はあの頃のままであり、それは現在見ている風景と重なり溶けあっていく。こうやって過去は変容していくんだなと思う。私はそれを止めることはできない。

五月になると行きたくなる場所はあと二つある。

一つは貴船。

出町柳から叡電に乗り貴船口で降りると、ひんやりとした空気が首筋を撫でる。貴船神社のもみじの緑と、この涼しさを、私は五月になるといつも思い出す。

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川床へあがると気温はさらに下がる。川床はハードルが高いけれど、兵衛さんのカフェだとコーヒー一杯であがれるから良い。冷えた身体をホットコーヒーが芯から温めてくれる。

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貴船神社は本宮だけでなく奥宮、中宮もお参りすることをおすすめする。それぞれの違いはこちら、泉坂光輝さんの「きふねのはなし」に詳しいので読んでみてほしい。


二つ目は東福寺。

学生時代の下宿から徒歩で行ける場所であり、当時の生活圏内だったのでこのあたりにくると無条件に懐かしくなる。訪れたときはぜひ近くの今熊野商店街にも寄って欲しい。ベニヤ板の上に雑然と野菜やフルーツが並べてある八百屋。惣菜屋の前を通ると、だし巻きや煮付けが今晩のおかずにしてくれと呼びかけてくる。アーケードの「東大路駅の設置実現を!」の看板は日焼けしている(もちろんまだ実現していない)。ひなびた商店街にきっとはじめてでも懐かしさを覚えると思う。

私の中の東福寺はこうした景色と地続きになっている。ゲベッケンの煉瓦造り風の店先を過ぎ日赤病院の角を左へ曲がると、東福寺の寺域へ入る。塔頭のあいだの道々には丁寧に手入れされた緑が繁っていて、歩いているだけで穏やかな気持ちになる。

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少し行くと、谷にかかった木橋から東福寺の通天橋が拝める。

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青葉の向こうに五月を感じる。

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この時点で私はもう東福寺に来たという気分になって折り返してしまいそうになるけれど、本坊や庭園も拝観してみると良い。重森三玲のモダンな庭園が私は好きだ。

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昔、東福寺近くにここはなというカフェがあった。学生時代、先輩がアルバイトをしており、五月の休みに友人たちと東福寺へ参った後に訪れた。いつも外食は学食やマックぐらいしか行かない私に、一つ千円近くするパフェは思い切りのいる買い物だった。今となってはどんな姿形をしていたかまったく思い出せないが、美味しくて楽しくて幸福だったというその感じを、五月の緑とともに記憶している。

昨年、所用があり東福寺あたりに来たとき、連れの方に「ここでお昼を食べよう」と提案された。そこはここはなのあった場所だった。ここはなはバーガー屋さんに変わっていた。

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一つ千円を超えるバーガーのセットを高いなと思いながらしぶしぶ頼む。連れの方はなんでもないことのようにバーガーを二つ頼んでいた。己の金銭感覚の変わらなさに呆れつつ食べたバーガーは、やはり美味しかった。

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先日、拙作「花と小鳥」をモチーフにしたエッセイを丹宗さんが書いてくださりました。

「花と小鳥」は京都を舞台にした高校生の女の子ふたりの物語。鳩居堂の包み紙がキーワードになっていて、主人公の実家の喫茶店は実在する京都の喫茶店をモデルにしています。

それを踏まえた上で、物語の内容も丁寧にすくいとったエッセイに仕上がっています。作者として感無量でした。

それに感化され、私もエッセイを書いてみたいと思いました。加えて京都のことを投稿していたインスタが普通のママ垢になり京都のことをどこで話そう……と考えていたので、このnoteに投稿することにしました。エッセイになっているか疑問なところはありますが、今のところ思い出日記みたいな感じでいきたいと思っています。

京都遊泳手帖。今後も書きたいと思ったときに不定期で更新していきます。



読んでいただきありがとうございました。サポートしてくださると本づくりが一歩進みます。