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誕生日について。

先週、わたしの27回目の誕生日でした。

妹の誕生日も過ぎて誕生日ウィークが終わった感もあり、誕生日について書いてみます。


去年の誕生日から364日待って、やっときた。

クリスマスから半年、ひな祭りから3か月、ゴールデンウィークから1か月待っていた。

だんだんと、そわそわしながら。

そのくらい、わたしは誕生日が、6月3日が好きだ。

世界にはこの日に生まれた人がごまんといるはずだけれど(実際、友達の中に同じ誕生日がいて、わたしはきっと何十歳になっても彼を思い出すと思う)、わたしの日のような気がする。

誕生日はたくさんのひとが、おめでとう、と言ってくれる。そんなしあわせな日なんてあるだろうか。


生まれてから(おそらく)ずっと、家族がお祝いをしてくれている。

わたしの家族は、特にママは誕生日とか記念日だとかが好きだ。

丸いケーキを食べて、わたしの好きなものを夕食に用意してくれて、きちんとお祝いしてくれた。

妹の誕生日がわたしの5日後なので、わたしの家族は1週間のうちに丸いケーキを2つ食べたりもする。

子どものころから、誕生日とクリスマスが半年に一度来るのは、なんて効率のいいことだろうと思っている。

クリスマスにもらえなかったプレゼントを誕生日にもらおうだとか、計画を作戦的に立てられた。

クリスマスに生まれた友達がいた。彼女は誕生日、クリスマス、お正月を一括されると聞いて、これほど可哀想なことはないと思っていた。


高校生くらいの頃から、友達がパーティをしてくれるようになった。

日付が誕生日になった瞬間に、メールをもらったり、教室で騒いだり、ケーキを投げたり、とっても楽しかった。

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プレゼントをもらうのも、嬉しかった。もちろん、今もらっても嬉しいから過去形にする必要はないのだけれど、この2年くらいで少し気持ちに変化があった。

祝ってくれる人の気持ちが何より嬉しい、と素直に感じられるようになった。

”祝ってくれる気持ちだけで、嬉しいよ”

こんな言葉を子どもの時に、大人たちからよく聞いた。

お誕生日おめでとう+プレゼントで誕生日がはじめて完成すると信じていたわたしには全く理解のできないことだったし、大人が格好つけているだけ、若しくは社交辞令のようなものだと思っていた。

そんなわたしが今は、”祝ってくれる気持ちだけで、嬉しいよ”と感じている。

遠くに住んでいたり、しばらく会っていなかったりしても、SNSなどでメッセージをもらうと、わたしのこと忘れていないんだなだとか、メッセージを書く数秒でも私のことを考えてくれたんだだとか、こちらも僅かながら想いを馳せることができる。

その人が1日のうち数秒をわたしにくれたと思うと、なんとも嬉しいプレゼントのような気がする。

わたしは祝われるのも好きだけれど、祝うのも好きだ。祝われるより、気持ち的に楽なのもあるかもしれない。

いろいろ準備したりして、その人が特別な1日を過ごすことを考えると、わたしもドキドキして楽しい1日になる。

こうやって歳をとり、大人になっていくのかと思うと不思議だ。


ママの影響からか、わたしも誕生日含め記念日が好きだ。

特別な日として、きちんとお祝いしたい。

そうすることで何でもない日を気分良く過ごせるし、何かに感謝する機会ともなる。

誕生日は、どんな1年だったか、どんな1年にしたいか、ニューイヤーズデイより自分のことのように考えられる気もする。

その人の生まれた日をお祝いするって改めて考えると、とてつもなく良いことだと思う。

大変な思いをして産んでくれたママに感謝して、ここまで育ててくれた家族に感謝して

また新しい1年も、素敵に生きていきます。


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唯.


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