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海と心と夜明けは広い世界で

先日、モネ展に行ってきた。
モネだけは初めて見た時に心を奪われた。
しかし、美術への関心が薄い私。
前に関東でモネ展が行われると知り、行きたかったと思った。それがあまりに珍しいことだから自分でも驚いていた。
今回たまたま中之島美術館で開催されていると知り、行くしかないと足を運んだ。

基本的に人と一緒に楽しむということが好きな私だが美術鑑賞に関してはひとりで行くに限ると思っている。
目の前の絵画に対して「綺麗だ」とか「素敵だ」とかそんな陳腐な言葉でしか語れない自分が嫌になるから。
世の中、あまりに言葉が足りなさすぎる。
美しいとか凄いとか感動したとか
どれも違う
あるいはどれもが正しい、この入り交じった感覚を「エモい」「ヤバい」みたいな便利な言葉で言い表したくない。
言葉にした途端に浅くなってしまう。
まあ、元から深みなどないのだけれど


モネ展の中には教科書で見たような作品もあった。
モネだなあ なんてモネの何を知ってるんだ、私は

その中でいちばん心に残っている作品が
『モナコ湾、またはモナコの港(夜明け)』

『モナコ湾、またはモナコの港(夜明け)』


そんなはずないのに、一週間ほど前に小豆島へ向かう船で迎えた夜明けが重なった。

モネが絵画に残したように、私たちはそれをカメラに収めた。
時代も場所も何一つ交わらないのに夜明けを残しておきたいと思うことは変わっていないのだと思った。


船の中で夜明けを感じて上着も持たずに飛び出し展望デッキでひとり月と太陽が浮かぶ空を眺めていた。
モネもこの夜と朝が共存する空をひとりで見上げていたのだろうか。

しばらくして、扉の音に振り向くと友人がいて、「おはよう」と言ってふたりで空を見ていた。
船は高松港に到着しようとしていた。

 少しして3人に揃ってしばらく海を眺めていた。
私は寒冷蕁麻疹に懲りてすぐ船内に戻ったけれど。
3月下旬とは思えぬ寒さで冷えきった体を連れてホールに戻り、温かいうどんを食べた。
多分、あのうどんはこの為に用意されている。


船は坂手港に到着。
船を降りてバス停の方へ歩くと、
防波堤、広がる海と青空。
吸い込まれそうな景色の中、ぽつんと立っている止まれの赤色だけが私と現実を確かに繋げていた。
「ねぇ、ちょっとあっち行ってきていい?」
そう聞くのとどちらが先か、私は駆け出していた。
海無し県育ちみたいなもんだから、海は未だにテンションが上がる。ずっと好き。瀬戸内海綺麗すぎ。


バスでゴトゴトゆらゆらオリーブ公園に行った。
途中、
「〇〇医院をご利用のお客様はお申し付けください。近くで止まります」
みたいなアナウンスが流れて、なんだか田舎を感じた。すごい地域密着。

オリーブ公園の最寄り。
降り際の
「オリーブ公園は右手上がったところに〜」
というご丁寧な案内をフル無視して真逆に進んだよね、私たち。
案内所で荷物預けたり、渡し舟の存在を知ったり
私はトイレでカッターシャツに黒のプリーツスカートという格好に着替えた。
というのも、今回の旅行は被写体も兼ねている。
襟元に赤の細いリボンをつければ、田舎の女子高生という感じ。
金髪だし、多分学校はちょっと窮屈なタイプ。
それか、卒業してこの島を出ていくんだろうなあ。

この時は分からなかったけれど、海水浴場みたいな海辺はここしかなかった。
砂浜は白くて、海はエメラルドグリーンでキラキラしてる。
自撮りの為に回した動画は気がついたら海がメインになっていたし、加工もフィルターも付けたくなくてバッチリな私がノーマルカメラを開いていた。

どうやって渡すんだよ とかツッコまないでね。
どうしても画質悪くなっちゃうね。
本物はもっともっと綺麗だったのに、
肉眼に勝るものはないから眼は大事にしよう。

ちなみに、雲ひとつない快晴だったし現役高校生の頃の夏と同じ格好しているけれど、めちゃくちゃに寒かった。見返したら12℃って書いてあった。楽しい気持ち1色で海に入ろうとしていたけれど、辞めておいて正解だった。
入らなかったけれど、間近で見てローファーだけ海水に浸かってもらった。
海って本当にずっと見ていられる。
私は本当に海に対して飽きるということを知らない。


お目当てはオリーブ公園なのでそちらに向かう。
坂の上なのだけれど、登りきったら次は真っ青な海が広がっていた。
緑の丘の先に背の低い一軒家が並んでいてその先に青い海が広がっている、この景色も同じ日本なのかと驚くことしかできなかった。
どちらかが異国風なわけではないから、余計に信じられなかった。日本って百面相だ。

オリーブ公園


目に映る景色全てが綺麗だから、どこに行くにも進まない。3人のうち誰かはカメラを構えている。
坂を降りる途中の木陰で本を読んでる姿を撮ってもらった。
久々に開いた単行本、買ったのは小学生の頃だけれど今読んでも痛くて青いお話だなあと思った。意外と変わっていない。

渡し舟で二十四の瞳映画村に向かう最中私は多分一言も発さなかった。
ずーっと海を見ていた。海のキラキラをひとつ残らず捉えてやるという気概で。もう見られないかもしれないと思うと心がおかしくなりそうだったから。

映画村についてすぐ売店に惹かれて入った。
コロッケやメンチカツが売ってると書いてたのにショーケースは空だったから、売り切れちゃったのかなあと1人落ち込んでいたら、お店の方が他のお客さんに
「注文頂いたら揚げたてご用意しますよ」
と話されていて思わず
「揚げたて…!」
と言ったら友人に笑われた。酷い。
だって、揚げたてなんて滅多にないじゃんね。
ちゃんと揚げたてに釣られて3人でコロッケを食べた。大きいのに安くてホクホクで美味しかった。

もろみコロッケ

映画村の中に入って、どうしても食べたかった給食を食べに行った。
揚げパンとカレーと冷凍みかんに珈琲牛乳。
揚げたての揚げパンってなんでこんなに美味しいんだろう
そういえば、給食って地域によって全然違う。
私たちの出身も一人一人違う。
1人が関東、1人が中部、私が関西。
だから、揚げパンがなかったとかカレーはもっと甘かったとか、システムもお箸箱があったりとか、何気なく話すと通じなくて面白い。
私がびっくりしたのが冷凍みかん
私は初めて食べたけれど、ふたりは当たり前に出ていたらしい。
他の関西の友達に聞いてもなかったと言っていたから関西にないのかも、、
食べたことない人みんな食べてほしい。美味しいから。私はあの日からストックしてる。

海の方に出て、校舎に入る。
海が見える教室っていいなあ。
教室から見た景色って在り来りな街並みでも映えていなくてもなんだか愛おしいから不思議だ。

職員室に日誌が置かれていた。
どうも旅行者が書き込んでいいものらしい。
結婚して何年目 とか 小学校卒業したよ とか
交わるはずのない人の鱗片を見ている不思議さ
それで言うと私たちはもっともっと不思議なのだ。
3人それぞれ歳も住所も性別も被らないのに、旅行に来ている。会うのもまだ2回目とか
私たちも生きてるんだぞ!とノートの3分の1ぐらいに主張しておいたので、小豆島に行く予定のある方ぜひ見つけて見てほしい。

本当は二十四の瞳映画村から10分のところにある岬の分教場にも行きたかった。
けれど、気づいた頃には行っても10分見られたらいい方ぐらいの時間になっていた。
どーしよどーしよとなって結局じゃんけんで決めた。私が勝ったので行かなかった。

売店の方に会うと
「まだいたん!?16時のバス乗り言うたのに」
と笑っていた。
そうそう、今から見たら16時のバスに乗れるよって、お店全部閉まるからそれで帰りなって言ってもらったんだった。
「つい、、」
と笑いながらお店を出た。
裏がすぐ海だった。
曇ってきてるから壮大な夕焼けは見られなかったけれど、雲の隙間から淡く見えるオレンジが切なくて綺麗だった。

次の日はエンジェルロードに行った。
お天気は曇りだったけれど、たまに太陽も顔を出してくれた。
曇っていても海のエメラルドグリーンは綺麗だった。
エンジェルロードは1日2回干潮時にしか現れない道で、天使の散歩道とも言う。私はこちらの和名の方が好き。
また、恋人の聖地らしく
「3人とも恋人いないね、、」
と虚しくなっておいた。
恋は素敵だけれど誰かを大切に思う感情が恋じゃないといけないわけじゃないし、恋人がいないとかつまらないなんて私の友達舐めんなよと思う。
恋愛であろうが友愛であろうが私は私の好きな人に愛を伝えて生きてる ただそれだけ

意外とすぐ消えちゃった。天使は掴めないね


雨予報だったから雨が降らないうちに迷路のまちを見て歩いた。
昭和を感じるねで済む家から踏み入れたら壊れそうな家もあった。ごく普通の住宅街なはずなのにこんなにわくわくするから日常って意外と面白いものなのかもしれない。
途中でオリーブの餃子を食べた。
どうしても海鮮が食べたいと駄々を捏ねて海鮮丼を食べた。わさびを入れすぎて顔を顰めるなどした。

最後に小雨の中、醤油記念館に行った。
先にお土産屋さんで醤油を買ったら、その後の入場者特典でまた醤油を貰った。旅の前にも買っていたので今家に醤油が3本ある。流石に多い。
「美味しいんだよ!」と言われて半信半疑で食べた醤油ソフトがこの旅行でいちばん美味しかった。
後々、醤油プリンも食べたけれどこれもめちゃくちゃ美味しい。
どちらもみたらしが好きな人は高確率で好きだと思う。

見終わって大雨になってきた頃、港に移動して船で本州に帰って小豆島旅行はおしまい。
私の家で朝方に寝て、関西を観光して計2泊3日の旅をした。


何度か書いたけれど、私たちの関係は本当に不思議だと思う。
年齢も性別も住所も全部違う。
勿論、友達も家族も違う。一人一人を成形してきた環境は何一つ重ならない。
出会ってだいたい5年ぐらい。
顔も名前も声も知らないところから、家まで知っているような関係になった。
海を見て綺麗だと言い、猫を見てはしゃぎ、ソフトクリームを食べて美味しいと言う。
男女の友情は成立しない とか 所詮ネットの関係だ とか、まあそういう場合もあるのだろうとは思う。

でも私たちの関係を括らないでほしいと思う。
生きづらさの糸が伸びた先で出会った私たちは、2回しか会っていなくても良き友人だし、時にふたりは私のことを姪のように見て私もまたふたりの前で幼子のように無邪気になったりする。

広い広いこの世界で、目に見えるものが同じじゃないから分かり合えないなんてそんなはずはきっとない。
ずっと昔のずっと海の向こうのモネが夜明けを美しく思い絵に残した。私たちも夜明けを美しく思い写真に残した。
あの瞬間、モネと私たちは同じことを思った。
歳が違う、体が違う、言葉が違う
でも、私たちは一緒にいることが心地良いしモネの絵は今も多くの人に支持されている。

逆にずっとそばにいて同じように生きてきたからと言って分かり合える訳でもない。
だから人間は面倒だと思うし、だから人間は面白いとも思う。



家族に恩知らずだと言われ、異性にどれだけ言い寄られても惹かれない私はなんて冷淡なんだろうと自分が嫌いだった。多分この先もずっと悩むと思う。

人生は耐えられないほど長いけれど、大切な人の為に割ける時間は短い。
だからやっぱり私は自分を本当に大切にしてくれる人の為に時間を使いたい。
私だって、誰とも分かり合えないわけじゃない。
誰のことも愛せないわけじゃない。
大勢とは異なっても、どこかで誰かと通ずる何かがあればいい。

この広い世界で私たちは傍にいないけれど傍にいた。


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