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星を見上げる余裕を

どうせ眠れないだろうから書いておく

明日、否、上がる頃にはもう今日
私は約8年過ごしたこの家を出る


母が言った

「寂しいの、心配してる」

「お金注ぎ込んでるんだから単位取れないとか言わないで真面目にやって」

「帰ってきなさいね」

「友達もいいけど家族を大切にして」

とりあえず心の籠らない「はい」を返した


私のことを知らない人に何言われても何も感じない
必死にそう言い聞かせて自分を宥める
この家に居る時の最近のスタンス


結局、私は両腕に広がる傷を最後まで隠し通した

気づけるタイミングなんていくらでもあったはずだ

長袖なんてもう何年も着ていない
日焼け対策だったとして夜のパジャマまで長袖なのは不自然だと思わなかったの

学校の先生がそれを指摘した時だってあったよ
私の「してない」に「ならいいや」で済ませてたね

『知らないことがあるのならば知りたいと思う 普通でしょ?』
サビが気に入ってたまたま聴きはじめた曲に当たり前のように登場したこの歌詞に鈍器で殴られたような衝撃を覚えた

つまりは何も普通ではなかったのだと思った


別に気づいてほしかったわけじゃない
でも見たくないものは都合よく見ないふりしてきた人の“心配”なんて言葉は響かなかった

稀に「心配だからこそ言えなかったのでは」と指摘されるが、だとしたら学校に病院を勧められたときにすんなり応じてくれたはずだ

私が零すそのネガティブな言葉たちが本気だということも伝わっていなかったらしい
そんな意図はないのだろうけれど、またあの生に刃向かって生きる日々を繰り返せと言われている気がした
だったら死んだ方が早いと思った
私の中で「真面目にやって」は応援ではなく「死ね」と同義だった

そんなことにも気が付かないのかと思った

でもそれもそうだ
だってあの日、病院で主治医は確実に“うつ”という言葉を使ったのに、話を聞いていたはずの父はそれを口にしなかったのだから
忘れていたのか意図的に言わなかったのかはわからない
どちらにせよ、その程度の関心だったのだと思う


それでも違和感を抱かず生きてきた
気づけたのは他人のおかげだった
違和感を指摘してくれる人もいた

私の食事量が減っていることに気づいてくれたのも、死んだように生きている時に連絡をくれたのも、こちらを向いて「うんうん」と話を聞いてくれたのも、全部友人たちだった

「水和ちゃんの味方だからね」と言って本当に味方をしてくれたのも、自分の仕事を投げ出してでも傍にいてくれたのも、私の進路に真剣に向き合って少しでも不安を取り除こうとしてくれたのも、全部先生たちだった

そんなこと、気づきたくなかったと思う時もある
その方がきっと楽だった
でも気づかずに同類になるのも恐ろしい

経済的には恵まれてきたと思う
だから経済的には恩返ししたいと思う
奨学金も返すし親にもお金を返していきたい

でも精神的な親孝行はできない
私が生きる世界の時間は有限だ
精神的に返す恩が分からない人に心を割いている暇は無い

慈悲がないと言われるだろうか
無礼と言われるだろうか
恩知らず?そうだと思う

この辺りで昨日の下書きが終わっている


今日、ようやく引越し
朝から親が来なくて不動産屋さんを待たせて私が謝ることから始まり一筋縄で行ったことなど何もなかった
友人にリアルタイムでLINEをして凌いだ

あらかた片付いた頃、出された紙
明朝体で書かれた『約束事』
内容はとことんおぞましかった
とうとう頑張れなどと言われて早くここを事故物件にしようと思った
最後には名前を書かされた
こんなの約束という名の契約じゃん
しかも拒否権なし
友人に言ったらクーリングオフできないからアウトと言われた
確かに

破ったら大学を辞めさせる
と言われたが、常に辞めたいなあと思っているので反射で(あ、これ破れば辞められるんだ)と思っていた
自分でもさすがに驚いた
普段は辞めさせないと言うくせにこういう時は辞めさせるぞと脅してくるのあまりにも筋が通っていない気がする
けれどまああの人たちの筋が通っているところなんて見たことないから通常運転か

サブ垢の親しい友達で愚痴ったら普段反応しない人さえも驚いたような連絡が来た
「えぐい」とか「こわい」とか「やばい」とか
並ぶ通知を見て自分はどこか冷静になっていった


家に帰った母から来ていたLINEの中に
「みんなに振り回されてマジでしんどい」
と来ていてうっすら笑った
相変わらず親は自分の言いたいことだけ言ってどこかへ行くんだなあと思った

好きの反対は無関心
よく言われているけれど、あまり納得していなかった
でも最近本当にそうだと思う
私はもう両親に何かを訴えかけることはない
目を向けない
自分に不利益が及ばない限り関心がない
自分の気持ちを頑張って伝えた振り向いてもらおうみたいなそんな考えはなくなった
学習性無力感
そんなふうに言ったりもするらしい


とはいえ金銭面で頼ってしまっている以上どうしようもない
こうなる度に自分の選択を恨む
1年制の専門の子はもう卒業したし、2年制の学校の友人も今年には就活だ
私もそうしたかった、そういう選択を取りたかった
でも短大じゃ高校の教員免許は取れない
通信で家に居たらもっとしんどい
でも4年かけたいほど好きでもない学習内容
あの時の私の考えが甘かったとは思わない
寧ろ日本の高3の中で最も進路を考えた10人とかに選ばれてもいいと思うぐらい考えた
それでも、考え抜いて出したからと言ってその答えが正解だとは限らないのだ


昨日は星を見上げながら帰った
引っ越し先の街は明るいからもう星は見られないかもしれないなと思って、引越しが決まってからの帰り道は首が痛くなるぐらい空を見上げていた
星座早見盤のアプリを再インストールした
高3のもう寒くなった秋
月食だかなんだかの観測のために開けられた屋上
大人も子どもも関係なく空を見上げて
「あれ木星やって」
「わー!月見えんくなってきた!」
「あっちで土星の輪っか見れんねんて」
あちこちでそうやってはしゃぐ声が聞こえていたあの日を思い出した
受験が迫り下ばかり向いていた日々の中で久しぶりに顔を上げた
満点の星空では無かったけれど、見える数個の星を星座早見盤のアプリを使いながら星の名前を口にするのが楽しかった
明日になれば記憶にはきっとないし見てもわからない
初めて忘れることを神秘的だと思った


今日は夜、日用品とご飯を買いに外に出たけれど、空は見上げなかった
今日1日肉体的にも精神的にも疲れ切っていたら見上げることを忘れていた
もしかしたら星は見えただろうか
私はあの夜空特有の吸い込まれそうになる感覚が好きだ
世界には自分しかいないように思えて、なのに寂しさではなく落ち着きを感じる
星を見上げるような余裕を求めて私は生活を築いていく

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