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話したがりは疲弊する

話したい、もっと話したい。

「いってきます」から「ただいま」までにおきた出来事のすべてをきいてほしい。息継ぎする暇もないくらい、今日ねこんなことがあったんだって共有したい。

話し半分で適当な相槌をうつ姿なんて気にもせず、わたしは記憶をなぞりながらオチも山場もない話をただつらつらと背中を追いかけながらしゃべり倒したい。

その行為はおそらくわたしにとって最大限の信頼の証みたいなのです。

そんなことができる関係性はわたしにとって甘えでしかなくて、母親と、あの人とあの人にしかできなかったと思う。もうしばらくそういうのは起こってないから安心してほしい。

(正確には起こりかけてもハッと気づいて自制することのほうが多かった)

普段は何の悪気もなく、むしろ嫌われたくないとかの無意識が働いて言葉をぐっと飲みこんではタイミングを逃し何を言いたかったのかも思い出せなくなってしまい、当たり障りもな言葉を発している。

これもまた好意からの産物でしかないのでどうか気悪くしないでほしい。なんだか極端すぎて、コミュニケーションが”へたくそ”っていうのがしっくりくるね。

それが日常だったあの頃にくらべて稀になってしまった今、その瞬間がいざ訪れると視界がチカチカ輝いて話すことに夢中になってしまうみたいでライフの消耗もはげしい。知恵熱でたり、寝込んだり。極端すぎるよね、0か100。

ほんとうは話したい、話したくて仕方ない。
話したいよ、もっともっとあなたと話したい。

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