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今を自由に生きてるだけなのに

いつからか「忙しい」という言葉がきらいになっていた。

きらいかも、となんとなく思い始めてからはプライベートでも仕事でも「忙しい」の一言は使わないようにしてる、気がする。


この言葉がきらいになったきっかけはたぶん、高校の時の塾の恩師が、こう発したとき。

忙しいは心を亡くすこと

先生は英語の担当だったし、なぜ「忙しい」の字の話をしたかは全く覚えてないけど、当時高校3年生だったわたしの心には、重くずっしりと残った。


この12月。
「忙しい」という言葉がきらい、という以上に人から言われる「忙しい」がすごく嫌だと言うことに気づいた。


時間は限りある資産

もともとわたしは時間に厳しい方の人間で、5分前行動は当たり前だし、遅刻なんて以ての外で生きていた。

若干過去形なのは、都会へ来て、コンクリートジャングルに揉まれ、時間通りに事が運べないときも多々あるから。とはいえ、根っこの部分は変わってない、と思ってる。(出口間違えるだけでほんと積むから東京怖い)


この時のnoteにも書いている通り、この本を読んでからはほんとうに時間は限りある資産であり、唯一平等に与えられているものということを、実感している。


だからかわからないが、わたしはなかなか予定を詰め込んでしまうタイプだ。
何かに追われているわけじゃないけど、1分1秒を無駄にしたくない、と思って生きてる。
(もちろん生産性のない時間もたくさんある。ベッドの上最高)


わたしはただ、自由に生きているだけ

自由というのも若干語弊がありそうだけど、平等に与えられた時間をわたしは自分の思うがままに、自由に使って生きている、ただそれだけ。

変えられるのは未来だけであって、今をどう使うかで未来は変わる。
自分がやりたいことや行きたいところの予定をどんどんこなしていってる。

予定を埋める、というよりもやりたいことをこなしていってる、という感覚の方が近いかも。

だからこそ

わたしは全く心を亡くしてないし、
むしろ心がワクワクすることをやり続けてる

この思いが芽生えて、人から言われる「忙しい」が嫌になってきたんだろうなと思う。


忙しい、が意図すること

わたしにとって「忙しい」は心を亡くすと状態のこと。
心を亡くすくらいに忙しいときは、周りに対して「忙しい」と言える間もないと思ってる。

だからか友人から「忙しいそうだね」「忙しいから」と言われてしまうと、そんなことない、と思う自分がいて、いつしかあまりにも言われすぎて嫌になっていたのかも。


事実、予定がありすぎて物理的にも時間的にも難しいときは頭を下げることもあったし、こちらの予定に合わせてもらったこともある。
それなのに「忙しいもんね」と言われるのが本当に嫌だった。

人から忙しいと言われるたびに忙しくないよ!と否定したことも多かった。けどあまりにもいろんなところで言われすぎて、なんだか否定するのにも疲弊して、そこからは否定もしなくなった。

改めて言葉にすると、なんとめんどくさい人間なんだ。


人がこの言葉を使うとき、特に深く考えずに言葉の意味をそのまま使っていると言うことも重々承知してる。

でも、忙しいの意味を「心を亡くす」と捉えているわたしにとってはそうじゃなかった。ただそれだけのこと。


と、ここまでつらつら書いてみたけど、基本的にはフッ軽人間で、誘われたら行くし、物理的時間的に無理な時は普通に断る。(みんなごめん)

だから気にせずに声をかけてもらえると嬉しいな。




このnoteは、THE COACHAdvent Calendar冬_2022に参加させていただき、書いたnoteとなります🎄🎁
りみさんまーさんをはじめ、25日間言葉を紡いでくれているみなさま。
ありがとうございます!残りのnoteも楽しみです。


わたしのもらったキーワードは「時間」でした。
この言葉を受け取った11月中旬は全然違うnoteを書こうと思ってたけど、12月に入ってふと湧いてきたこの気持ちをnoteとして残します。


あー、今日からまた1.5倍速で生きようかな、無理だけど。


おわり。

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