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病気に向き合うことと社会復帰することには溝がある

「生活リズムすら整っていない状況で復職したいなんて」

全く以てそのとおりだった。


昨日は精神科への通院日でした。

気持ちが沈むときはあるけれど、自分が一番最低にきつかった時期と比べると明らかにその周期や頻度も減っていることを最近自覚し始めています。
ですので、そろそろ復帰出来ないかと考え、先月から先生に相談をしていました。

前回通院した際に得た回答は「まだ早い」。
じゃあ来月からならどうか?と昨日も復帰したい旨を強く伝えました。

そして冒頭の言葉に戻ります。
まずそもそも生活リズムすら整えていないのに、週に5日会社に通い業務をこなし、それを続けることが出来るんですか?と。

正直言って、その言葉に尻込みしてしまいました。
尻込みした自分にまた自己嫌悪。
先生からのそのシンプルな問いに我に返って、はっきりと「私はもう大丈夫だ」と言えなかったことが悔しくてたまりません。ひたすら先生の言うことを黙りこくって聞いていました。

そんな昨日はずーーーんと気持ちが沈みっぱなしでしたが、1日経った今、少し冷静を取り戻して今記事を書いています。

今日の記事は一部私の抱えている悩みも吐露しつつ、新しい発見もあったので、素直な気持ちを記事にすることにしました。

休職発令

先程も綴りましたが、私は来月で休職して1年を迎えます。

もう1年経つのか〜なんて呑気に考えていた私に、突然所属長からメッセージが届きました。

「休職し始めてから1年を経過しても復職の目処が立たないようであれば、休職発令が成されます。休職発令については担当者から説明がありますが、まずは診断書を書き直してください」

私の会社だけでしょうか?こんな制度があるのは。
他の企業で働いたことのない私には聞き慣れない単語です。
なので私の頭の中にたくさんのクエスチョンマークが登場しました。

「休職発令って何??」
「何故診断書を書き直さなければならないの?」
「休職発令されたからと言って何がどう変わるの?」

所属長に「休職発令とはなんぞや?」という質問を投げかけたのですが、はっきり「分からない」と答えられてしまい、「おおまかな概要だけでも知れたら、少し気が楽になるのに」ともやもやした気持ちになりながら、病院に行きました。

冒頭の、先生からの言葉で胸が抉られたままでしたが、説明を受ける約束をした手前、会社には行かざるを得ません。その足で会社に向かいました。

淡い期待

説明を受けた結果、「別に私が戻って来ようが来まいがどうでもいいのかもしれない」とその場の空気の中で感じ取ってしまったことが昨日1番つらいことでした。

きちんとした担当者からの説明を聞いて、私の謎が全部解けてしまったからです。

所属長が何故診断書の訂正を求めたのか、休職発令とはなんなのか。
担当者からの説明を聞いて、所属長が私に言っていたことのすべてが繋がった瞬間がありました。私が伝えたいことにその詳細は関係ないので説明は省きますが。

私が何故「戻って来ようが来まいがどうでもいいのかもしれない」とその場の空気の中で感じ取ってしまったかと言うと、所属長からの伝達はただ言われたことを調べもせずに右から左へ流しているだけだということ、そしてそれをはぐらかして何事も無かったかのように振る舞う素振りが見えてしまったからです。

休職している状況の人間が扱いづらいということは自覚はしていましたが、目の当たりにすると悲しいものですね。

そして私も、所属長に期待しすぎていたのかもしれません。
別に会社は"業務さえ回っていればいい"んです。休職している人間の対処など後回しにされても仕方ありません。その現実を身に沁みて実感しました。

新しい発見

さて、私の愚痴はこのへんにしておいて
また先生から厳しいながらも新しい気付きがありました。

それは「病気に向き合う段階」「社会復帰する段階」は異なるという事実です。

第1段階:病気に向き合う

私の今までの段階は、おそらく「病気に向き合う段階」でした。

病気に向き合う段階とは要するに、自分のつらい気持ちを理解する、向き合う、寄り添うこと。
=人よりも気持ちの浮き沈みが激しいことに対する苦しみ、自己嫌悪や恐怖を自ら赦し、受け入れるフェーズ。

そんな苦しい現実を受け入れなければどんなに長い休みを取っていても、身体も心も休息や心の充電をすることは出来ません。

昨年の1年間はひたすら病気に向き合い、理解することが出来た。だからこそ今新しいもやもやが生じ始めているのだと思います。

第2段階:社会復帰

そしてその新しいもやもやこそ「元気だと感じている日々が増えたのにまだ働けない」という点。

先生が昨日仰っていたことを要約すると、
「病気が良くなってきているのは確実。ただ会社の求める"復帰"のレベルにまで精神力や、体力や、生活リズムが追いついているとは思えない」
という内容でした。

たしかに私は未だに深夜中毒者で昼間は寝ている時間の方が長いし、ご飯は1日2食食べたら良い方。

会社の求めている"復帰"とは最低でも「1日6時間、それを週5日やり抜く」、そして毎週、毎月、1年と繰り返していけるかどうかです。

全然求められているレベルに達していません。


こうして考えると、社会復帰するまでにはこんなにも大きな溝があります。

でも「何かしなければ」「こんな生活をしてて社会に戻れないかもしれない」そう思って焦る気持ちがすごく大きいのです。

しかし私はその溝こそ私が見落としていた点だということに気が付きました。

例えば受験を例に挙げると、最終的なゴール(見方を変えればそれは始まりにもなると思うけれど)はまず学校に合格することですよね。
ですが学校に合格したとして、その先のことを考えると、いい会社に所属することであったり、はたまた自分の好きなことを見つけるための途中経過でしかありません。

その途中経過こそ私が見落としていた溝です。

学校に合格するためにはまず今の自分の学力を知るところから始まり、将来的に自分がこうなりたいと思うところに近付けるように、カリキュラムを組んだり逆算して勉強時間を積んでいく。
そういった段階を踏むということ自体、既に学生時代の間に経験していたことではありませんか。

社会で普通に働いている人を見ると、私も早く社会復帰したい気持ちが膨らんでいきますが、今はその気持ちをぐっと堪えて、段階をきちんと踏んでいくのが最も近い道なのだと、今回の通院で痛感しました。

遠回りのように感じて悔しいですが、私は、今の私が出来ることを着実にやっていくことしか出来ない。ならばもう開き直って努力あるのみです。

焦っていた私は「死に急ぎ野郎」に片足を突っ込む直前でした。
社会復帰を急いではいけないと感じた原因はそこにあります。

そんなことを痛感して凹みつつ「やるっきゃないかあ」と感じた今日の独り言でした。

だからと言って気持ちは追いつかない!(笑)
でもしばらくはこれを意識して生活してみようと思います。

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