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あなたにとってウェルビーイングって何ですか?見つけにくいものですか?

「すべての人がウェルビーイングである場ってなんだろう?」
今年から参加したコミュニティで再三話題にあがる問いである。
理想ならいくらでも語れると思う。
バリアフリーで、差別もなく、社会的・精神的・肉体的に安心安全なこと。
——しかし、それって人それぞれじゃない?
人によって、騒がしいところが得意だったり、
静かではないと落ち着けなかったり、セロリが好きだったり(?)、
さまざまある。

「あなたにとって安心・安全に対話できる場ってなんですか?」
”すべての人”が”ウェルビーイングな場”を考えるのは幾分難しいので
個人に焦点をしぼってみる。
すると意見がわんさかでる。
・否定されない
・みんな笑顔で
・言葉尻を取られない
・無理して話さなくてもいい
・話を(興味あるように)聞いてくれる
・話を途中で遮られない
・参加していない人がいない
なんとかかんとか。ウンウンわかるなーと黙って話を聞いていると
「あの、何も意見言いませんけど、なんですか?
参加していない人がいないことが嫌だと言ったばかりですが」
えー!!!
何個か前に無理して話をしなくてもいいと出たのに!!
しかしなにやら発言しないといけない状況。
捻り出した私の答えは「猫とかいる、お菓子とかある」・・・最低だ。
これじゃあ万年平社員決定だよ。
平社員どころか掛け持ちフリーターが現実じゃないか。バカタレ。

・・・これは、どう考えたって私にとって安心・安全ではないわけです。
誰かによって数個前に出された意見を、誰かが聞いていたとしても、
その誰かが承諾していないことは多い。
だからつまり個人個人のウェルビーイングというものは、
すべての人のものにはならない。
だったらどうする?

私なら、譲歩する。妥協する。
相手のウェルビーイングと己のウェルビーイングが
ベン図で表されたとして重なる部分を大事にする。あと法律とか人権とかを守る。
私の信条のひとつに
「ひとは分かり合えない。分かり合えないことからはじめる」
という言葉がある。
どれだけマブダチだろうと運命の恋人だろうと
ピッタリ重なって一つになれるなんてことはないと思う。
しかしそれを忘れているから、
「どうしてわかってくれないの!?」やら
「アイツ最近、なんか変わっちまったよな」なんてことになる。
だから、分かり合えないことから始めるのだ。
(多様性だってこういうことだと思っているけど、
 それはまた別のはなし。)

ま、そこから先のことについては
コミュニティでも話せていないことだし、
自分にもさっぱりわからないことであるので
追々わかってきた頃に書いてみようと思う。

コミュニティのおかげで
自分と社会、自分と他人との関わりについて考え込む機会ができた。
しかし生まれも育ちも年齢も何もかもが違う他人だらけの場で
お互いにやんややんや言い合っていると齟齬も生まれる。
その結果の愚痴と、考えの羅列のようなものを
こうやって1人でインターネットに書きこむとき、
自分は幸せなのかもしれない。
自分で何かを思考し続けられていることが楽しいし
思考できて、言語を習得した人間で良かった、幸せだと思う。
そのために他人と衝突するのは設計ミスだけれど。

#ウェルビーイングのために

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