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少子化って必然だし、良いことだと思うだけど違うのかな?

今年の7月に女の子に恵まれました。僕にとっては紆余曲折あった人生で念願の我が子だったので、嬉しさもひとしおです。そして、今は毎日少しづつ変化していく我が子を暖かく見守っています。

かねてより、日本の大きな課題は少子化と言われ、様々な対策が打たれています(効果は別として)。そして少子化は、GDP低下をはじめとする経済成長への影響、ひいては経済にとどまらない国力全体の低下を招くとして、解消すべき悪玉として議論されています。

と、その辺りは一応理解しているのですが、それでもなお、僕は少子化って当たり前だし、長い目で見れば良いことだよね?っていつも思うのです。

1.社会成熟と子育て費用

全世界各国は緩やかながらも、日々進歩して少しづつ成熟しています。日本も戦前・戦後に比べれば遥かに豊かになり、中国も一世代前の暮らしとは比べ物になりません。

社会は成熟すると同時に複雑化していき、その社会で生きていく(適用して稼いでいく)には高度な教育を時間をかけて行うことが必要になってきます。親であれば全てを犠牲にしても、子供に良い教育を施したいと思うのは当然です。

そして、高度な教育には時間もコストもかかります。結果として多くの子供を育てる余裕はなく、子供の数は限られることになります。

これが少子化の最も大きい原因のひとつと思います。だからこそ学校無償化が議論されるわけですが、我が子を立派に育てたいと思えば、多くの子供を養うのは難しいというシンプルな経済(家計)の問題に帰着します。

もちろん、これは乳幼児の死亡率低下が大きく関係しています。乳幼児の死亡率が高ければ、本能的に子孫を残すために子供を多くもうけます。

※近代日本においても乳幼児の死亡率は高く、大正時代に作られた「シャボン玉消えた」は子供が亡くなる歌です・・今度こそと育っていった子供が亡くなるのをシャボン玉になどらえているのです。知った時は悲しかったですよ・・七五三って昔は本当にめでたいことだったのです。

2.で、持続可能な世界の実現って結局・・

SDGsの推進で持続可能な世界を目指そうと国連で議論している・・と今日もニュース報道されていました。SDGsのバッジは会社でもらって僕も襟につけています。

SDGsの理念はよくわかるのですが課題も多く、それを最も早く実現する手段は、全世界の人口が減る事なんじゃないのかな?とシンプルに思うのです。

国連の人口予測では、世界の人口について、2030年に85億人、2050年に97億人、2100年に109億人とされています。2020年時点で78億人ですから、日頃は楽観的な僕でもえらいこっちゃと思います。

でも、どうなのでしょうか?本当にこのまま人口は増え続けるのでしょうか?

もしも、今の発展途上国が成長を続けていき(かつての日本や中国やその他の国のように)、経済的に豊かになっていき、社会が成熟していったらどうでしょうか。

同じように教育が高度化していき、出生率が緩やかに低下していくのではないでしょうか。もちろん時間はかかると思います。

今現在も進行している人間社会の成長と成熟は、人間の生物としての進化の結果として起こっているものです。それが大きくは人口を抑制する方向に動いていると感じるのです。

これはある意味において、自然の摂理なのかもしれません。

となると、人口が爆発的に増加している発展途上国を支援して、経済と社会を成熟させて教育を高度化していくことが、全世界的に人口を抑制し、持続可能な地球を作ることになる。という美しい話がクルッと一周綺麗にまとまることになります。

なんとも話が大きくなりました。

3.結論です。

少子化は数十年レベルでは、経済を中心として様々な問題を引き起こすと思われます。ただし、それは社会成熟に伴う子供の教育コストと生存率向上の当然の帰結であり、発展途上国を含めた世界各国の社会成熟が進んでいけば少子化は各国で起こり、その結果として世界人口の増加は抑制される。世界人口の抑制は持続可能な世界を実現することになり、それは自然の摂理にさえ思える。よって長々期的に考えると少子化は必然であり、悪いことではなく、むしろ良いことだとさえ思える。









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