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「BTS: Yet To Come in Cinemas」を観て



かなり前になってしまったが、先月「BTS: Yet To Come in Cinemas」を観た。
MIC Dropのイントロが始まった瞬間、久々に心の底からこみあげてくる熱いもの。座っているだけなのにセーターを腕まくりしてしまうくらい上がる体温。
このひとたちが好きで好きでたまらなくて、人生のすべてを賭けていた時期を思い出した。

私がBTSのファン、ARMYになったのは約5年前。前から名前は聞く機会はあったけど、しっかりと向き合うことはなかった。ある日東京へ出かけた時、SHIBUYA109に貼り出されていた大きな広告を見て、一目惚れをしたことがきっかけである。寒くてたまらないクリスマスの時期だった。

出不精の私が、土砂降りの日も、溶け出すような夏の日も、たとえホテルがとれていなくても、日本各地の公演を飛び回った。夜行バスで帰宅した数時間後に仕事へ出勤したり、台風が来てフライトが危うい中でもギリギリ韓国へ出国したり。今の私なら「ちょっとやめておこうかな」と怖気づいてしまうようなことさえ、あの頃の私はいとも簡単に越えていった。
人生の軸はBTSだった。彼らが居るから私はそこへ行った。それだけで十分だった。

あの頃の全てが色濃く思い出せるのは、きっと自分の中の「好き」に忠実に、全力で生きていたから。
今思うと、これが青春というものだったんだなと思う。


そんな日々は続くと思っていた。コロナウイルスが流行するまでは。

次々と中止になる公演。海外への渡航制限。地元のショッピングモールにすらも遊びに行くことも罪悪感を抱き、籠る日々。同時に仕事も思うようにいかなくて、そうしているうちにだんだんと彼らを見ることが辛くなった。気づいた時には闇に落ちていて、私の中から全ての物事に対する「好き」という気持ちが一切消えた。脳も働いてなくて、眼だけが開いてる日々だった。全てがどうでもよかった。
手放したのは、私だった。勝手に憎んで勝手に逃げた。今思うとなんて幼稚だったんだろうと思う。

今回の映画も、もともと一緒にずっとオタ活していた友人が誘ってくれて観に行った。自分ひとりだったら、行かなかったかもしれない。1年ぶりくらいにしっかりと姿を見た7人は、あの頃と変わらずそこに居てくれた。
その姿に堪らなく安心したのである。

변화는 많았지만 변함은 없는 우리
変化は多いけど 変わらない私たち

生きていく上で、変化はつきものだね。永遠をいくら願っても儚く消えていく。どんなに守りたいものでも、零れ落ちるように。変わらないものなんて無い。それでも誰かへ向けた強い想いや願いは、きっとそこに在り続ける。

客席を愛おしそうに見つめる彼らの後ろ姿が映し出されたとき「この人たちには、どうか綺麗なものだけ見て生きてほしい」そんな願いが生まれた。誰かの幸せを願えること。傷ついてほしくないと心から想える誰かがいること。他者の幸せなど考えられないくらい余裕がなかった自分に、小さく、でもしっかりと生まれたこの感情は、堪らなく幸せなことだった。

彼らのステージはいつだって命がけだ。命を燃やして生きるというのはこういうことだと思う。一度きりのこのステージの上で、過去や未来ではなく、今この瞬間を歌い、踊り狂う。その姿に美しさを感じる。同時に、私も命をかけてこの人たちを好きで居たい。好きで居続けたい。そう強く誓った。

はあ、あまりにも刺激的すぎたから、しばらく余韻に浸れる。


自分の弱さに負けそうになったら、ソクジンさんを思い出そうと思います。あんなに好きだったのに言葉にすることが遅れてしまった。どうか怪我なく元気で居てください。何年かかったとしても、また絶対に会いたい。

“rest of my life”
 彼らが居てくれたらいいな。

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